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冷やしゾンビのスキーウェア包み

『冬ね』

『冬だね』

『最近寒いわ』

『冬だからね』



 自室にて。

 なにかをするでもなくゴロゴロしていた俺に、ピロンと連絡が入った。



 スマホを確認すると草壁雪花の文字。



『古来より人は寒さと戦ってきたわ』

『どうした急に』

『でも癪じゃない。服を着たり暖房を作ったり、まるで寒さから逃れているようで。人間はそんなに弱い生き物なの?』

『そうだと思うよ』



 一体彼女はどうしたのだろうか。もしかすると遅咲きの中二病にでも目覚めたのかもしれない。合掌でもしよう。あれは幼い頃だから許されるのであって――まぁ許されない可能性もあるが、中学生だからギリギリなのだ。



 高校生にもなったら……ねぇ。

 俺は生暖かい視線を画面に向けた。



『やはり人間は寒さに打ち勝たなくてはならないのよ』

『あそう』

『というわけでスキーに行くわ』

『いってらっしゃい』

『一緒に行くのよ』



「どういうわけだよ」



 反射的に言葉を吐く。

 寝転んでいたのに自然と腰が浮いた。

 横暴ゾンビめ。



 読んでいた「痴人の愛」――美穂に借りたもの。俺は遠慮したのだが、是非にと勧められてしまったのだ。又貸しするのはどうかと思うけれども、彼女の善意と勢いに頷いてしまった――に栞を差し込む。紫苑の栞だ。



 いつまでもスマホで連絡していても埒が明かなそうだったので、メールではなく電話を直接かけることにした。



 しばしのコールが鳴ったあと、



『はい』

「俺だけど」

『オレオレ詐欺?』

「連絡先交換してるやつからオレオレ詐欺されるんだったら、そいつとは交友を切ったほうがいいぞ」



 雪花はなにを言っているのだろうか。やはり冬の寒さゆえに頭がどうかしてしまったのか。

 ゾンビは寒さに強そうなのにもかかわらず。

 臨死体験永続中という意味で。



『用件はわかっているわ』

「そりゃスキーの話題をしているところに電話をかけたからね。これで天気の話とか仕出したら、二重人格を疑うでしょ」



 どうしてスキーに行くという話になったのか尋ねたところ、雪花は『私滑るの好きなのよ。真っ白なゲレンデに、己の身で風を切る快感。素敵でしょ?』などと言っていた。



「スキー行ったことないんだよね」

『じゃあ丁度いいじゃない』

「なにが??」

『初めてを私に捧げるということよ』

「うわぁ表現の仕方ひど」



 しかもなにが悪いって相手がゾンビなことだ。仮に雪花が美少女ならば許容できるところ、現在進行系で腐敗真っ盛りな動く死体である。俺は腐乱死体に群がるハエではないので、全力で遠慮願いたい。



 まぁ化野曜は頼まれたら断れない性格をしていることで有名なため、そのまま雪山に行くことが決定したのだが。



 もう少し精神を強く持つべきなのかもしれない。



     ◇



 スキー場までのバスに乗っている。

 電車を乗り継いで山まで来たのは、思い出せる限り初めてだった。



「それにしてもさ」

「なに」

「時間早くない? まだ暗いんだけど」



 窓の外を眺めると夜。

 いや、人によっては夜と表現しない人もいるかもしれない、程度の時間帯だった。



 普通の高校生を自称する俺的にはめちゃくちゃ夜である。



「こんなものよ」

「まぁ人多いし、そうなんだろうとは思うけど……」



 信じられないことにバスの乗客は多かった。非常に多かった。夜行バスと見紛う――実際に夜行バスと形容してもいいかもしれない状態であるのにもかかわらず、乗客達は爛々と目を輝かせている。



「車があるなら車を使ったほうが楽なんだけどね」

「高校生だから無理……と」

「お母さんは仕事だし、お父さんは川に洗濯に行ってるし」

「もしかして寝不足?」

「そうかもしれないわ」



 実は楽しみで眠れなかったのよ。

 と雪花は不器用に苦笑した。

 ゾンビのくせに様になっている。



 山道というからには狭く曲がりくねっており、酔いやすい体質である自分は、酔い止めがなければ悲惨なことになっていただろうな、と身を震わせた。



「スキー場だから当たり前なんだろうけど、こっちのほうでは雪が積もってるんだね。住んでるところでは見たことない」

「私は見慣れて――はっ。これは巧妙に隠された〝田舎者煽り〟ね?」

「やっぱり寝たほうがいいよ」



 彼女はちょくちょく自虐ネタを使う。

 ネタではない可能性もあるが。

 多分ネタだと思う。

 ネタだよね?



 かくいう俺もだいぶまぶたが重くなってきており、真っ白い雪の狭間に垂らされた墨汁のごとく生えている木々を眺めていると、だんだんと意識が遠くなっていくのを感じていた。



 すでに雪花は眠りの世界にいざなわれて、俺の肩に軽くもたれかかっている。シャンプーのものだと思われる花の匂いが鼻腔を潜るが、それ以上に、彼女がゾンビであるという事実がすべてを打ち消していた。



「はぁ……」



 おかげで目が覚めてしまった。

 体も冷めてしまうかもしれない。

 死亡的な意味で。

 ゾンビって接触感染する?



 まぁゾンビが移るのであれば、とっくに菜々花はぐじゅぐじゅの肉塊になっているだろう。だから大丈夫なはずだ。泥船に乗ったような安心感。駄目じゃねぇか。



 バスが大きな曲がり道を行ったとき、向こうの山々の隙間から太陽が顔を覗かせた。鋭く優しい日差しが網膜を焼き、反射的に細める。



 あたりを覆う雪に強烈に照り返した朝日は、さっきまで暗かったはずの世界を一瞬にして染め上げ、赤褐色の木々を鮮明に映し出した。白と黒のモノトーンの世界が急激に色を持つ。朝露に濡れた寂しい枝の一つ一つが、限りない空間を内包するかのように光り輝く。



「雪花」

「……んぅ」

「着いたよ」



 乗客達がバスを降りていくのを眺めながら、俺は可愛らしい寝息を立てていた雪花を起こして、寒々しい地面に降り立った。



「さむ」

「……だから言ったじゃない」

「防寒着を持ってきたほうがいいとは言われたけど、まさかここまでとは思わなかったんだよ。この近辺にだけ氷河期でも来たの?」



 スキー場だから当たり前なのだろう。

 ものすごく寒かった。

 雪花の呆れたような視線も寒かった。

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