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テクニカル手とり足取りルート

 スキーやらスノーボードやらに情熱を注いでいる人は自分用の道具を持っているのだろうが、少なくとも初めて挑戦する俺に、そんな上等なものが存在するはずなかった。



 長い行列。

 室内は外に比べて遥かに暖かい。

 だからといって快適なわけでないけれども。



「雪花」

「なに」

「進み遅くない?」



 並び始めてどれほど時間が経過しただろうか。誰かと二人きりでスマホを弄るというのもどうかと思い、ここまで雪花と雑談をしてきた。ところが話題が無尽蔵にあるはずもなく、現在倦怠期真っ盛りである。



 二人共が会話に劣っているわけではない。ただ、行列が長すぎて本来ならば尽きないはずの弾数が、補充もできずになくなっていくのだ。



 かろうじて見つけだした話の取っ掛かりを逃さずに、普段と変わらずゾンビゾンビしている彼女に話しかければ、ゆったりと首を持ち上げて雪花は言う。



「あら、なにか問題が?」

「スキーしに来たからさ、問題はあると思うよ」

「私はアンタと一緒にいれば楽しいわよ?」

「…………さようか」



 一体何を言っているんだこの腐乱死体は。



 ついに脳みそまで駄目になってしまったかと額に手を当てつつ、しかし彼女の頭脳が万全の働きを発揮している場合を想定する。



 ――なるほど。



 俺は理解した。

 雪花の発言の意図を。

 まるで付き合いたてのカップルみたいな言葉の意味を。



 つまりあれだ。自分が今祭りとかに遊びに来ているとしよう。たとえなにも買わなかったとしても、雰囲気を鼻から吸っているだけで楽しい。祭り拍子が肌から浸透し、自然と心臓が拍動し、バイブスがぶち上がる。



 雪花はそういうことが言いたいのだ。

 待っている時間もまたスキー。

 待っている時間もまた好き。

 座布団消滅。



「あ、順番来た」

「私は自分のを持ってるからいいわ」

「了解。じゃあ行ってくる」

「いってらっしゃい」



 さらりと腕を振っていざ往かん。



「――では、どちらにいたしますかァ?」

「雪花ヘルプ」

「ダサいわねぇ」



 意気揚々と出発したものの、歴戦の猛者と見える店員さんが差し出してきた選択肢――つまり「スキー」と「スノーボード」とのどちらかにするか。俺は両方とも経験したことがないので、どちらがより簡単かわからない。



 ゆえに情けなくも雪花に救援を要請し、やれやれと肩を竦めながら歩いてきた彼女は宣言する。



「やっぱ初心者にはスキー……いや、スノーボードで」

「わかりましたァ」

「雪花?」

「大丈夫よ、私が教えるわ」



 手取り足取り、ね。

 と雪花はウインクをした。

 様になっている。



 借り受けた道具を装備する前に、現在手に持っている荷物をロッカーに放り込み、拙い手つきで格闘すること数十分。

 ようやっと終了した準備に嘆息しながら、俺は真っ白な雪が眩しい外に出たのであった。



「……すごいね」

「テンション上がるでしょ?」

「あぁ、すごく」



 語彙力が消滅してしまうほど、初めての雪山は美しい光景だった。すごくすごい。



 子供っぽく足元の雪を握りしめ、眼前で観察するために持ち上げる。パウダースノーと言うのだろうか。繊細できめ細やかなそれは指の間から零れ落ち、手のひらに残ったのはわずかだった。



 足を踏み出す度に「キュッキュッ」と甲高い音が鳴り、慣れない雪の感覚に戸惑いつつも頬が上気する。



「はいこれ」

「なにこれ」

「リフトのチケット」



 そんなことをしていると雪花が一片の紙切れを渡してきた。紙面を眺めてみる。「おとな一日券」と書かれた横には料金記載されており、想像していたよりも遥かに高い。



「こんなするんだ」

「まぁ何回でも乗れるから、頑張れば元は取れる……のかしら」

「難しいんじゃないかなぁ」

「それにすぐに乗れるってわけでもないしね」



 意味ありげに雪花は視線をよこしてくる。

 はて、どういうことだろう。



「まさか最初からリフトに乗るつもり? どうも命が惜しくないと見えるわね。だったら受講料として寿命の半分くらい貰おうかしら」

「代償が重すぎる」

「名前でもいいわよ。半分くらい頂戴」

「やらねぇよ」



 明らかに冗談が輝く双眸を細めながら、雪花は口元に笑みをたたえた。なかなかに青春っぽいやり取りをしているが悲しいことに相手は化け物である。間違っても青春ではない。強いてジャンル分けするならホラーってところだ。



 下手したら皮膚ごとゴッソリこそげそうな彼女の横顔に視線を向けて、俺は男の子としてかなりの屈辱的な言葉だが、思い切り下手に出て教えを請う。



「雪花」

「なぁに?」

「スノボ教えて」

「ふふふ、任せなさい」



 昔からの夢だったのよねぇ、と雪花は鼻歌を吟じ始めた。



「家族で来たこととかないの?」

「あるわよ」

「だったら菜々花とかに教える機会があったんじゃない」

「お姉ちゃんね……お姉ちゃんはね……」



 ただでさえ――人間的な基準からすると――悪い血色がさらに悪くなり、ニット帽から零れ出たくすんだ金髪を摘んだ彼女は、そっと震える唇を開く。



「いくら教えても上達することがない――いや、それどころか悪化していって、終いには御臨終しかけたわ。前途洋々として解脱しようとするものだから、それ以降はお姉ちゃんと雪山に来ることはなかった……」



 だから経験がないの。

 という言葉に俺は深く頷いた。

 さすが鳥辺野村の暴走機関車である。

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