長かった冬休みも終わり、現在三学期である。
久しぶりの級友に空気を暖めるはずが、一体どうして俺はこんなところで寒さに打ち震えているのであろうか。
「どうしたんですか曜君」
「ちょっと寒くてね」
「それは大変です。私の人肌で温めて差し上げますね」
「近寄るんじゃない」
そもそも人肌じゃないだろう。
なんて文句はぐっと堪えて、ただ額を押すだけに留める。
目の前にいるのは逆瀬川美穂。
押しも押されぬジガバチ系文学少女だ。
いや逆か。文学少女系ジガバチである。
「まぁ曜君の気持ちもわかりますよ」
彼女は寒そうに触覚を震わせた。
やはり昆虫は寒いのに弱いのだろうか。
「久しぶりの学校なので、一緒にお弁当を食べようとしたんですが。たとえ恥ずかしくても屋上なんて来るものじゃないですね」
「もっと早く気付いてほしかったよ」
おかげで箸が上手く持てない。
つまんだはずのブロッコリーが落ちた。
俺は念の為に持ってきていたコートを羽織り、ひとまずの安息を得る。
「………………」
「……何」
「いやぁ、暖かそうだなぁと」
意味ありげに美穂は呟いた。
あたたかそーあたたかそー。
という謎の歌が始まる。
何を意図するのかは丸わかりであるが、かといって了承するのはハードルが高い。なぜなら彼女は化け物である。
どこに好き好んで昆虫と濃厚接触しようとする人間がいるのか。
いたらそいつは人間よりも昆虫よりの存在だ。
しかし、俺はすっとコートを広げた。
功成り名を遂げる。
ここで優しさを見せることで、神様的なものが「ほほぉ優しきかな。褒美に青春を謳歌させてくれよう」とか言ってくれるかもしれないから。
「わ、いいんですか?」
「来るなら早くしてね。寒い」
「失礼しま〜す」
鈴を鳴らしたような声で、美穂はぴとりと肌を寄せてきた。
ぞわりと鳥肌が立つ。
うーん、これは外骨格。
「……温かいです」
「それはよかった」
「いや、これはコートの温かさというより」
彼女は俺の足に脚を乗せてきた。
制服越しに気味の悪い感触。
心臓が高鳴る。
「曜君の……なんでしょう、心ですかね」
「違うと思うよ。そうだとしたら美穂は凍りついてるから」
慣れてきたとはいえ間近で直視するとSAN値にクルものがあるなぁ。発狂までのカウントダウンをしてみようか。
化け物のくせして一丁前にセンシティブな雰囲気を醸し出しやがる美穂は、「ふふふ」と妖艶に微笑む。
「意外と……まつげ長いんですね」
「君は瞳が大きいんだね」
大きいというか複眼である。
個眼の一つ一つに自分の顔が映る。
気絶しないのすごいと思うよ俺。
「もー……反撃してくるのはずるいですよぅ」
「さようか」
「何で冷たいんですか! 冬の男!」
「褒め言葉として受け取っておく」
目を閉じればドキドキの状況なのだが。
なにぶん化け物がバッチリ認識できているもので、一切の動揺がなかった。
無心で弁当を食べ進める。
お隣のジガバチ様はおそらく頬を膨らませていたけれども。
俺のせいじゃない。
「あー、ここで私を意識させて熱々の三学期を過ごす計画が……」
「何か言った?」
「いいえ何も」
蚊の飛ぶような音が聞こえたので尋ねてみるも、美穂は全身で「はてなんのことやら」オーラを発して首を傾げる。
気のせいか。
食事を終えてさよなら、というのも味気ない。
ということで俺達は風を浴びてみることにした。
「……寒いですね」
「そりゃあ一月だからね」
「もうすぐで私達が出会って一年、ですか」
「たしかに。時間が経つのは早いものだ」
胸いっぱいの希望を伴った入学式。
校門をくぐってすぐの大木の下に見つけた肉塊。
あれ感動的なはずなのに全然情緒が刺激されない。
まったく浮かんでこない涙やらに疑問を抱きつつ、俺は加えて浮かんできた疑問を口にする。
「あのさ」
「はい」
「何でまだ引っ付いてるの」
「寒いじゃないですか」
「校舎戻る?」
「嫌です」
ぎゅー、と胴体に腕が回される。
胸元も押し付けられているはずなのだけれども、なぜか感じるのは冷たい固さばかりだ。
「もしかして熱とかある?」
「ない……と思いますけど。心配なので測ってください」
「ほい」
「……手じゃなくてもいいんですよ?」
「紳士だからさ」
美穂の要求に答え、昆虫の額に手を添える。
生まれてこの方、等身大の虫相手に病気を疑ってかかるとは想像もしていなかった。
「どうですか?」
「冷たいね」
「じゃあ曜君の体温で温まりますね」
「やめてね。グリグリしないで、痛いから」
本当にどうしたのだろうか。
普段の振る舞いとは全然違う。
俺は本格的に心配になって、
「実は転校するんですとか、なにか秘密でも隠してたりするの」
「しないですよ!? どうしたんですか急に」
「〝急に〟はこっちのセリフなんだけど……」
違うらしい。
それはそれで怖い。
美穂はまるで恥ずかしがるかのように、再びこちらの制服に顔を埋めた。見た目的に貪られるのではないかと恐怖。
「……寂しかったんですよ」
「え?」
「冬休み、ほとんど会えなかったじゃないですか。図書館だったり初詣だったりはありましたけど、足りないです」
自分は化け物と会えなくてもあまり寂しくないので、彼女の気持ちはよくわからない。
けれども俺が何か悪いのだろう、というのはわかる。
だから妹にするように、そっと頭をなでてみた。
「……ごめんね?」
「……はい」
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。