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恋人紹介の万魔殿1

 どうして俺はこんなところにいるのだろう。

 まだまだ冬の寒さが残る季節。

 湯気を上げるお茶をすすりながら、自問していた。



「どないしたの曜くん」

「人生は何が起こるかわからないなぁ、って」

「えらいややこしいこと考えとんにゃ」



 机を挟んだ向こう側。

 そこで静かに茶碗を傾けるのは、等身大まっくろくろすけこと須佐美陽子である。



 彼女は「家ではこれで過ごしとるんよ」という和服に身を包んで、ちょこんと正座をしていた。

 ふわふわした外見からは想像もできない声で、陽子は尋ねてくる。



「緊張しとる?」

「まぁね」

「うちも」



 艶やかに囁いて、彼女は立ち上がった。

 するりと足を進め俺の隣に腰を下ろす。

 あまりに自然な動きだったから気付かなかった。



「どうしたの」

「何がぁ?」

「突然距離を詰めてきて」

「ドキドキした?」

「ドキドキはしたかな」



 恐怖的な意味で。



 詳細を省いて俺が答えを述べると、陽子は嬉しそうに頬に――人間でいうところのだ――手を添えて首を傾げる。



「ふふ、かんにんえ。こんなんに付き合わしてもうて」

「いいよ。俺も非日常感があって楽しいし」

「そう言うてもらえると助かるわぁ」



 現在地点は須佐美邸――しかも陽子の部屋だ。

 畳敷きの広いところで、ふすまを開ければ庭が見える。

 異性の部屋に訪れるのは初めてのことなので、だいぶ緊張していた。



 夏休みには彼女を家まで送り、家族の方に見つかって修羅場になるという事件が起きた。しかし中に踏み入るのは初めてなのである。

 武家屋敷の雰囲気に飲み込まれないよう、静かにお茶をすすった。



「うちのおかん、やかましいさかい」



 陽子は少し不満げに呟く。

 脳裏によぎるのは俺を誘った理由だろうか。



「それにしたって彼氏の顔見せろなんて……おかんとはいえあかんよな」

「彼氏がいるなんて嘘をついたのが悪いんじゃない」

「そやけど曜くんがおるし……」

「俺は彼氏じゃないからね?」



 どうも彼女は意地っ張りらしく、一向に異性の影が見えない娘に耐えかねた母親の「あんた恋人とか作らへんの」という煽りじみた質問に、思わず「うち彼氏いるし!」と強がってしまったようなのだ。



 しかし現実は無情である。

 自分以外の目には美少女として認識されるのに、陽子には親しい間柄の異性が存在しなかった。

 そこで白羽の矢が立ったのが俺。

 彼氏を紹介するという流れに今さら口を突っ込むわけにもいかず、さりとて代役は用意しなくてはならない。



 申し訳なさそうにお願いしてきた陽子に、頼まれたら断りづらい俺が拒否できるわけもなく。

 こうしてドキドキの家庭訪問と相成った訳である。



「……ふふ」

「どうしたの」

「いんや、不思議やなぁって」



 陽子は、じっとこちらを眺めていた。

 いくら双眸がないからといって視線を感じれば居心地が悪くなる。



「何が不思議なの」

「うちのお部屋に曜くんがおる……これってぎりぎり同棲って判定でええ?」

「駄目じゃないかな」



 何をのたまうのだろうか、この塵は。

 俺は気恥ずかしさを誤魔化すようにお茶を呷った。

 あまりに頻繁に飲んでいたものだから、ついに茶碗は空になる。



 しかし流れを変える闖入者があったことで、その場は何とかなった。



「お嬢様。奥方がお呼びでございます」



 きっちりと和服で身を固めた切れ長の目の女性が、正座をしながら廊下に座っていた。彼女はふすまを開いた姿勢のまま、



「……いくら男女の仲とはいえ、距離が近すぎませんか?」

「こ、こらちゃうで!?」



 さすがに知り合いに見られるのは恥ずかしいらしく、陽子は慌てて立ち上がり、隣から飛び退いた。

 残された俺は頬を掻くばかり。

 疑わしげな視線が眉間に突き刺さっているのだ。



「――お嬢様を傷物にしてみろよ。貴様を傷物にするからな」

「こら山本! 曜くんはそないな人とちがう!」

「……そうですか」



 では、お待ちしております。

 と山本さんというらしい女性は立ち去っていった。

 残された二人の間には微妙な空気が横たわる。



 塵のくせに一丁前に顔を羞恥に染めたと読み取れる陽子は、あわあわとした様子で袖を振り乱した。



「よ、曜くん。あれはちがうから」

「わかってるよ」



 これ以上ないくらいに理解している。

 しかし一切の戸惑いがない反応にむくれたのだろうか、陽子は少し拗ねたような雰囲気を宿して、再び隣に座ってきた。

 なぜ?



「……陽子?」

「ちゃう」

「何が」

「……ちゃうで」



 彼女は静かに、それ以上何かを言うこともなく、頭を預けてくる。

 不思議な重さを肩に感じて、俺は黙りこくってしまった。

 雰囲気が口を開くのを妨げるのだ。



 しばらく俺達はそんな空気に浸っており、どうも来るのが遅いぞと訝しんだらしい山本さんが、再び部屋を訪れるまであと十秒。



     ◇



「………………」

「………………」



 気まずい。

 陽子との間に、気まずい空気が流れていた。



 二人で廊下を歩いている。

 もちろん二人きりではなく、前には山本さんの背中が見えた。

 彼女は何も喋らず、ただ背中だけで語りかけてくる。



 ――お嬢様に付く悪い虫め、覚悟しておけよ。



 俺はもはや諦めの境地にいた。

 こんな状況を作ってしまった陽子も申し訳なさそうだ。

 肩を落として、隣を歩いている。



 さすがに見ていられなくなって、何とか励まそうと言葉を探し始めたところで、前を行く山本さんが立ち止まった。



「奥方のお部屋に到着しました。覚悟の準備をしておいてください」

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