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恋人紹介の万魔殿2

 以前陽子の家を訪れたとき、たまたま彼女の父親に遭うという事件があった。

 自分の愛娘が知らぬ男を連れているのだから、当然修羅場になったものだ。

 俺は這々の体で逃げ帰り、何とか殺されずに済んだ。



 しかし今は状況が違う。

 陽子の母親がいるとかいうふすまの前。

 まるで地獄の門を前にしているかのようだった。



 知らずのうちに汗が吹き出る。

 動悸は加速し、右に回れをしたくて仕方がない。



 そんな俺の様子を見かねたか、隣に立っていた陽子が声をかけきた。ずいぶんと心配そうなトーンで、湿った下駄を転がすような声だった。



「……曜くん? そないに心配やったら、うちから言うて何とかすんで」

「いやいいよ。大丈夫」

「巻き込んでかんにんえ」



 申し訳なさそうである。

 心なしか埃のふわふわも小さくなっているような。

 俺は苦笑して、口を開いた。



「失礼します」



 山本さんがふすまを横に開く。

 畳の――い草の匂いが鮮烈に漂ってきた。

 クラリとしてしまいそうな空気の中、ただ気合だけで足を進める。



「――なるほど」



 そして、俺は瞳を閉じた。

 目の前の現実を理解したくなかったのだ。



 横から困惑したような陽子の存在を感じるのだが、かといって、まぶたを開いてしまえば認めたくない事実が待つ。

 完全なジレンマだった。

 あるいは詰みか。



 けれども異性の友達の家にお邪魔しているという立場で――しかも親御さんを紹介されるなんて場面で、いつまでも視界を閉ざす失礼が働けるはずもなく。

 俺は安全ピンを飲み込むような気持ちで、薄目を開いたのであった。



 もこもこ。

 ふわふわ。

 見方によっては可愛らしい。



 まぁ端的に説明してしまえば苔がそこにいた。

 堂々たる趣で畳に正座している。

 この親にしてこの子あり。

 隣に立つ埃の存在にも納得できるというものだ。



 いやできねぇよ。



「お座りください」



 その苔は静かに言った。

 なるほど美麗な声であった。

 苔であるという事実から目をそらすことが可能ならば、の話だが。



 一般的な男子高校生を自称する俺にとっては、まったくもって大きすぎる瑕疵かしである。いくら頑張って現実逃避しようとしても、目の前に苔がいたらおしまいだ。



 お言葉に従って座布団に腰を下ろすけれども、俺の意識はすでに現世にはとどまっていない。



 分厚い壁の向こうで会話をする化け物同士の、音だけに集中すれば可愛らしいそれを、諦めたように聞くばかりだった。



「彼が噂の化野くん――あるいは、曜くんですか」

「おかんが〝曜くん〟って呼ばんといて」

「嫉妬ですか? 子供の成長は早いものです」

「おかん!!」



 勢いよく机を叩く陽子。

 それに対して苔はたおやかに口元を袖で隠した。



「いやぁ、少し前までこんなに小さかった娘が、気がついた頃には恋人を家につれてくるようになって。私は嬉しいですよ。お父さんは許していないようですが」

「……おとんのことなんか知らへん」

「まぁ強情になって。そこも可愛いですがね」



 普段はマイペースで流れを作り出す陽子であるが、実の母親相手になると劣勢になるらしい。

 彼女は苔の体勢を崩すことができず、悔しさを紛らわすようにお茶を呷った。



 俺は可能な限り気配を薄くしていたのだが、さすがに部屋に三人しかいない――山本さんは入室する前に姿を消した――とそれも難しい。

 ついに苔の視線らしきものを受け、自己紹介をせざるを得なくなった。



「化野曜です」

「ふふ、娘からよく聞いておりますよ」

「おかん!」

「今はこんな調子ですけどね、いつもは『曜くん今日はこんなことしとってな』とかそれはもう可愛らしい限りなんですよ」

「はぁ、なるほど」



 気のない返事も無理はない。

 なぜなら相手は苔である。

 どこに苔を前にして会話に挑もうとする者がいるのだろうか。

 少なくとも俺は、人間として植物を相手に話す気にはなれなかった。



 化け物にも血筋が関係あるんだなぁ、とお茶をすする。

 あるいは呑気にも映ったのかもしれない。

 陽子が頬をむくれさせて、肩を弱い力で叩いてきた。



「曜くんもなんか言うたって!」

「何か、って……」



 苔に視線を向ける。

 不思議そうに首を傾げた。



 最近は化け物に慣れてきてしまったせいで、苔に首があっても違和感を抱かないようになってきてしまった。

 そもそもの話、苔だとか埃だとか肉塊だとかが直立している時点で変だろう。

 細かいことを気にしていたら正気を保てない。



「ふふ、ノロケを聞かせてくださっても構いませんよ。むしろそちらのほうがいいですね。こんな歳ですけれども、やはり私も女ですから色恋沙汰は大好物なのです。それが実の娘のものともなれば、なおさら」

「いやぁお母さんは若々しい見た目をしていらっしゃいますよ。陽子……娘さんと並んでいても違和感がないくらいに」

「あらあら、まぁまぁ。口が上手いことで。この達者な語りで娘を落としたのかしら」



 別に褒めたわけではないのだが。

 若々しいというのは水分含有量……つまり物理的な瑞々しさをそう表現しただけだし、化け物だから横に並べても違和感はない。

 通常は違和感の塊だというのは置いておいて。



 かといって、あえて「いや蛙の子は蛙ですねって意味ですよ」なんて訂正する必要もなく、俺は苦笑しながら頬を掻いたのであった。

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