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コーヒーというよりデザート的な

 適当な席とはいっても、おしゃれなことで有名な雪花である。

 彼女はテラスの机を撫でた。



「……どう、味は」

「なんというか甘いね。想像していたよりもずっと甘い。コーヒーって聞いてたから驚き」

「まぁコーヒーっていうよりもデザート的なものなのよ。もちろん苦いのもあるけど。私はあんまり飲まないわ」



 わざわざ紙ストローではなく、店員さんに変えてもらったプラスチックストロー。

 それを加えながら雪花はほほえんだ。



「ふふふ、たまたまポイントが溜まってたからデザートも頼んだの。一緒に食べましょう。遠慮しなくていいわよ」

「……会計見てたんだけど、この大きさで七百円くらい?」

「そうよ」

「ちょっと世界違う感じするね」



 需要と供給とでも言うのだろうか。

 富士山の標高が高いところなどでは、自動販売機の値段がどんどん上がっていくらしい。

 まるでそのような状態が、地上で発生している。



 自分一人では決して注文しないであろうデザートを眺めて、俺はダークモカ何ちゃらを口に運んだ。

 とても甘い。



「私の好みでモンブランにしたんだけど、大丈夫だったかしら」

「不満はないよ。そもそも恵んでもらう立場だし」

「……あら、スプーンが一つしかないわね」

「――なるほど」



 空気が凍った。

 あるいは、俺の勘違いだったのかもしれない。



 雪花はなぜかニコニコしている。

 今にも腐り落ちそうな肉を揺らして、笑っている。

 通常であれば食欲減退効果が働いて何も食べたくなくなるところだが、遺憾いかんにも見慣れてしまった俺は普通に物を口にできた。



 けれども、ゾンビの食べ差しはさすがに。



 とか思ったが過去を振り返ってみるとしたことがある。

 辛いラーメンを食べに行ったときの話だ。

 恥ずかしいことに俺は意識を失ってしまい、雪花に泣いて謝られるというトラウマものの出来事を体験した。



 だからその言葉を出すのに躊躇ちゅうちょはなかった。



「雪花って間接キス気にする人?」

「……か、間接キスぅ?」

「うん。いや俺が手で食べればいいでしょ、とか言われたらその通りなんだけど」

「一応放課後デートっていう体裁を取ってるのに、相手にそんなワイルドな食べ方を強要するように見える? この私が」



 強要するというか、自分からやりそう。

 とは言わなかった。

 言えなかった。

 心優しい紳士を標榜しているのだ。



「あぁ、いや、でも……」とか「うぅん……最初から計算はしていたけど……」とかしばらくの逡巡の後、雪花は決心したように双眸を向けてくる。



「――交互に食べさせ合いましょう」

「待って? その結果を出すまでの過程を教えて?」

「やっぱり最初は『どっちかが半分食べて、残ったのをもう片方が食べる』のが最適なんじゃないかって思ったわ」

「俺もそう思うよ」



 なぜか彼女は自慢げに鼻を鳴らした。



「でも違うのよ。それだと相手が食べているのを眺めている片方は、手持ち無沙汰で飲み物に口をつけるしかないじゃない。気まずい空気の中、味なんて感じられると思う? きっと不可能だわ。だから交互に食べさせ合うのよ」



 おそらく雪花は馬鹿になってしまったのだろう。

 賢い頭を使う方向を間違えたのだ。

 思考の方向音痴。



 俺の決死の説得も通用せず、暴走状態に陥った雪花はスプーンを手に取る。

 震えた手でモンブランをすくい、こちらに向けてきて――。



「――あーん」

「まさか、こんな馬鹿みたいなシチュエーションで〝これ〟を体験することになるとは想像もしてなかったよ」



 ぱくり。

 彼女の真っ赤な顔を見てしまえば、無視をするだとか、おちょくるだとかをする気力は湧いてこなかった。



 多分未曾有みぞうの出来事だろう。

 ゾンビ相手に「あーん」を経験した人間の登場は。

 有史以来初めてである。



 しかしゾンビが持っているからといってスプーンが腐るということもない。舌の上に放り出されたモンブランは、優しい甘みで美味しかった。



「ど、どうかしら」

「美味しいよ」

「そ、そう。じゃあ次はお願いするわ」



 スプーンを手渡される。

 いや渡されてもな……。



 人間としてゾンビ相手に「あーん」をするのが正しいかどうか。

 考えるのが面倒くさいからやってしまおう。 

 俺は無表情になって柄を持った。



「はい、あーん」

「…………ぱく」



 犬に餌付けしている気分になった。

 化け物を前にしてそんな感慨を抱くのもおかしな話だが。

 雪花はもぐもぐと咀嚼して、ゆっくりと飲み込む。



「……化野、どうしましょう」

「何が」

「想像していたよりもずっと恥ずかしいわ。しかもテラス席だから、店内の人や通行人にも微笑ましい目を向けられている。これじゃ公開イチャつき刑に処せられているようなものよ」



 もっと早く気づいてほしかった。














 地獄のようなモンブラン食べさせあいを乗り越えて、俺達はいまだ席に座って飲み物に苦戦していた。

 原因は主に甘すぎることだ。

 俺はそこまで甘いものが得意ではない。別に嫌いではないし、むしろ好きなくらいなのだが、そんなに多い量は許容範囲外。



 考えなしにトールサイズで注文してしまったものだから、クリームが溶けた今でも少しずつ飲み進めている。

 雪花は机に突っ伏していた。

 モンブランを攻略してから、ずっとそうしている。



「あぁ……調子に乗ったわ……恥ずかしすぎる……」



 その蚊のような小さな声は、道を走る車によってかき消され聞こえなかった。

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