子どもの行動力も侮れない。
三人はすでに一時間以上の登山を続けており、あたりはすっかり人の気配の感じない場所へと移っていた。
大きな岩がゴロゴロと転がっており、あるいは地面がなくなり岩を登っている。
普段からあまり運動しない曜は、息を切らして膝に手を突いた。
「はぁ……はぁ……そろそろ休憩しない?」
雪花を先頭にして進んでいた一行はこの一言で止まる。
二番手を務めている太郎は振り返ると、へへんと鼻を鳴らした。
「もう疲れたのかよ。ゆーちゃんはまだまだ元気そうだぜ。女の子に負けるなんてプライドが許すのか?」
「ふぅ……雪花ちゃんと一緒にしないでくれ」
体がそれほど強くないのに、彼女は持久力に優れている。
また頭の回転も早く、日頃の授業では教師から信頼されている姿をたびたび目撃していた。
自分とはすっかり反対だな、と曜は苦笑する。
休憩は太い根に腰を下ろして行うことになったようだ。彼らはゴツゴツと表皮の固いところに座り、持ってきていた鞄を開いた。
「じゃーん! おにぎりです」
芝居がかった様子で雪花は荷物を見せてみせる。
アルミホイルで包まれたそれをほどいてみると、水分を吸ってしなびた
中身は鮭だろうか。お世辞にも綺麗とはいい難い形状をしたおにぎりから、偏った具材が飛び出している。
「私が作ったんだよ」
「雪花ちゃんが? すごいね」
「でしょう」
自慢げに胸を張った雪花。
彼女は褒めてほしそうに曜の胸へと頭を擦り付けた。
まるで懐いた犬のような振る舞いに、思わず笑みもこぼれる。
太郎はあぐらを組んで、からかい混じりの口調で言った。
「末は夫婦かぁ?」
「……タロー、そういうのじゃないから」
「お兄ちゃんどういう意味?」
「雪花ちゃんは知らなくていいからね」
「仲間はずれは反対するよ!」
面白くない気分を表明して、雪花は片手をびしっと上げる。
丁寧にそれを下ろさせながら曜はため息をついた。
「このおにぎり、もしかして僕たちに?」
「そうだよ。いっぱい握ってきたんだ」
「……本当にいっぱいだ」
鞄の中にはアルミホイルの群れが。
さすがに多すぎるだろう。
と二人は頬に汗を流した。
「遠慮せずに食べてねっ!」
「……いただきます」
昼食の時間も終わり、彼らは再び歩き出した。
あいも変わらず先頭は雪花である。
彼女は両手をぶんぶんと振り回して、意気揚々と足を進める。
何度か目的地について尋ねてみたものの、その度に答えをはぐらかされていた。曜は首を傾げつつ後に続く。
数日前に降った雨の影響で足元は濡れていた。
いや、正確には凍っていた。
岩肌に薄く張った氷らしきものは、軽々と踏みしめられた雪花の足元をすべらせる。
「う、うわぁ!?」
しかし予想していたかのように曜が腕を伸ばした。
落下したのも感じられない柔らかい包容。
雪花は顔を真っ赤にして、彼に対してお礼の言葉を述べた。
「別にいいよ。でも気をつけてね」
「うん」
恥ずかしそうに顔をうつむかせた彼女は、転ばないようにするためだろうか――曜と手をつなぎながら歩きだす。
傍から眺めていた太郎は口笛を吹き、
「妬けるねぇ。恋人かよ」
「だからそんなんじゃないって。タローも一緒につなぐ?」
「やめとくよ。馬には蹴られたくないからな」
大人びた表情で断った。
太陽は雲の奥底に隠れ、灰色の空が彼らを見下ろしている。
気温は肌で感じられるほど下がっていた。吐く息は白い。
それなりの運動しているはずなのに体は汗一つかかず、むしろ寒いくらいだった。
霜のベールに身を包んだ落ち葉を踏みしめ、曜は木に体を預ける。
疲れた。どうしてあの二人はあんなに余裕そうなんだ。
自分の体力の無さが恨めしいのか、彼は拳を握りしめた。
――運動、しよう。
数分ほど途切れ途切れの旅路は続き、やがて開けた場所に出た。
木々に切り取られていた空は曇りない曇天を晒す。
「どーだ! ここが目的地だよ!」
雪花はえっへんと胸を張った。
鼻高高の様子に二人は笑う。
笑って、感嘆の息を漏らした。
「いや……すごいね」
「こんなところがあったとは……」
三人がいる地点から数百メートルほどだろうか。
空の色を映した泉が、静かにそこに佇んでいた。
以前は人の通りがあったのだろう。泉の周りには切り株がたくさん生えており、視界を鮮明にしている。
コアカミゴケが切り株を彩っていた。寂しい冬の山ゆえに鮮烈に目立つ。
雪花は無邪気に駆け下り、曜の手は宙を切った。
「えへへ、心配しなくても大丈夫だよ」
「だからって駆け下りるものじゃないよ」
「何度も来てるもーん!」
太郎と目配せして、同時に肩を竦める。
楽しい気分に水を差すのも面白くない。
注意するのは帰ってからでも遅くないだろう。
二人は慎重に泉への道なき道を下りていった。
ほとりまで来たとき、曜は何かが空から落ちてきたことに気づく。
手のひらで受けとってみると白だ。
雪が降ってきていた。
「あぁ、寒かったもんな」
太郎の納得じみた声。
少し先で手を振っている雪花を眺めながら、二人はまるで大人のように笑い合っていたのであった。