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草壁菜々花は自覚する

 目が覚めたときから菜々花はもじもじしていた。

 怪訝そうな表情をしながら、雪花がこちらを眺めている。

 それに気づきながらももじもじ・・・・するのが止められなかった。



「……何よ、そんなトイレを我慢してるみたいな動きは」

「してないよ。してないの」

「じゃあやめてよ。気になって仕方ないわ」



 久しぶりの実家に舞い上がってるのかしら。それとも化野がついてきたから、デートなり何なりの想像が止まらないのかしら。

 雪花は呆れたようにため息をついた。

 洗練された所作で冷奴ひややっこを口に運ぶ。



「そんなに気になるなら家に突撃すればいいじゃない」

「い、家に……!?」

「まるで考えたこともありません、みたいな反応しないで。知ってるわよ。昨日の夜からずっと悩んでること。隣の布団で寝てたんだからぶつぶつ呟いてるのが聞こえるのよ」



 相当辟易しているようだ。

 彼女は全然食事が進んでいない菜々花と反対に、すでに朝食を終わらせていた。

 一人で「ごちそうさま」と手を合わせ立ち上がる。

 菜々花は見捨てられた子犬のように瞳を濡らした。



「……たしかに化野が子供の頃に遊んでた相手だった、ってのは驚きよ。それを覚えていなかった自分もね。でも関係ないわ。昔は昔。今は今だもの。私が求めるものは過去にない」



 ひらひらと手を振って雪花は部屋に戻る。

 取り残された菜々花は、考え込みながらご飯を嚥下した。



 ――本当に私は忘れていたのかな。



 彼女は皿を洗いながら違和感に引っかかる。

 化野曜と草壁菜々花が初めて出会ったのはいつか。

 昨日までは「入学式の前」であると答えていただろう。

 しかし祖父から彼が鳥辺野村で幼少期を過ごしていたことを聞いたら、たしかにそうだったとおぼろげな記憶が蘇ってきた。



 ――本当に?



 本当に自分は彼のことを忘れていたの?

 本当はそんなことない。

 本当は化野さんのことを覚えていた。

 ……そんな、気がした。



 部屋に戻って菜々花は服を着替える。この家にはエアコンなんて便利なものは存在しない。あるのは石油ストーブばかりだ。

 しかし寝室にまで置いてあるかというとそうではない。睡眠中に火事でも起ころうものなら大事件だし、火事でなくても空気が悪くなる。



 冬の寒さが露出した肌に触れた。

 反射的に体が震える。

 立った鳥肌は白い肌を強調した。



 スカートを履く際に垂れた金髪を耳の後ろにかけて、菜々花は姿見で自分の格好を確認する。

 くるりと回転すると空気を孕んでスカートが広がった。

 膝下の丈だから下着が見えることはない。ないけれども、高校生にもなって小学生のような行動をしていることに、彼女は頬を赤くした。



 入学式の前に曜を偶然見たとき。

 いや、あれは本当に偶然見た・・・・のだろうか?

 桜の大木の下を通ったとき、まるで何かに〝そうしろ〟と言われてるかのように、誰かを待っていなければいけないという気分になったのだ。



 そうしたら曜がぶつかってきた。

 運命的な出会いだと思った。

 本当にそれは運命だったのだろうか?

 偶然を好意的に着色した「運命」なんて言葉で、あの不思議な出会いを説明してしまっていいのだろうか。

 あれは、本当は必然だったじゃないだろうか。

 誰かが自分の背中を押したことによる、必然では。



 靴をつっかけて菜々花は外に出た。

 吐いた息は白くなる。

 赤い鼻頭を撫でて、彼女はマフラーに顔を埋めた。



 道中に一言も呟くこともなく、菜々花がたどり着いたのは蓮台野直子の家である。ちょうどそのとき曜が玄関を出てきて、反射的に姿を隠す。

 隠してしまったことに動揺しながら、菜々花は物陰から彼の背中を眺めた。



 心臓が高鳴る。

 耳の奥で血流がすごい勢いで巡っている。

 冬の寒さにも負けないくらい、頬は熱を持っていた。



 ――これは、ひょっとして、ひょっとするのかな。



 菜々花は胸元に手を置く。

 とく、とくと音が伝わってきた。

 古ぼけた掛け時計が時を刻むように、ひどく落ち着いた鼓動だった。

 すべてを包め込めそうな柔らかい音で、心臓は動き続ける。



「私は……」



 私は、化野さんが好き。



 寒空に溶けた言葉は、それでも菜々花を抱きしめた。

 口にしたことで曖昧だった気持ちが形をなす。

 堅牢な想いが心のどこかを占拠した。



 思わず彼女はしゃがみ込む。

 マフラーに顔を埋めて、その下の口元は緩んでいた。

 まさに恋する乙女という表情で――笑っていた。



「そっか。そうだったんだ」



 今までの自分の行動が結びつく。

 無自覚だったけど、無意識だったけど、私は化野さんが好きだったんだ。

 金髪に紛れる耳の先が真っ赤になった。



 ――あれ、でも待って。じゃあ雪花の発言とかも、もしかして私のこの気持ちに気づいたものだったの……?



 菜々花は振り返ってみた。

 振り返ってしまった。

 あのからかうような顔。

 辟易したような表情。

 呆れたような声の調子。



「あ、あ、あ、あぁ……っ!?」



 恥ずかしい!

 私はなんてことを!?

 周りからはバレバレだったのっ!?



 菜々花の頭からは湯気が立ち上っていた。

 羞恥心に目を回して、倒れそうになる。



 しかし気がついた。

 曜の背中がどんどん遠くなっていってしまう。

 もともと彼を何かに誘おうと思っていたのだ。とくに決まったやりたいことがあるわけではないけれども。



 震える足を叱咤しながら彼女は立ち上がった。

 まだ心臓はうるさいほどだけど、ここで声をかけなくちゃ駄目なんだ……!



 菜々花はキッと目を吊り上げて歩を進める。

 絶対に声をかける。

 かけてみせる。大丈夫、私はできる子だ。



 もちろんヘタレな彼女にそんなことが可能なはずもなく、五分間ほどストーキングをしただけであった。

 身を隠す物陰を転々としながら、菜々花はため息をつく。



「はぁ……私はいったい何を……まるで変態みたいじゃないですか…………」



 傍から見れば間違いなく変態の行動であるが、彼女はまったくもって自覚していない。恋する乙女だから問題無し、と問題大アリな結論を出している。

 菜々花はその後もストーキングを――不満を持ちながら――続けた。

 結局、曜の目的地まで付いてきてしまう。



「墓地……?」



 盆地と山のちょうど境目にある墓地。

 そこに曜は入っていく。

 始めから不思議に思っていたのだけれども、彼の持っている袋は何なのだろうか。

 もしかしてお供え物?



 さすがにお墓参りまで盗み見るわけにはいかないよね、と菜々花は踵を返した。踵を返したのだが、些細な違和感が脳裏をよぎる。

 知っている気がした。覚えている気がした。

 この墓地。タローくんが眠っている場所ではないか。



 じゃあ、化野さんはタローくんに……?

 菜々花はそっと足を前に進めた。

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