菜々花は不思議な気分になっていた。
小学生の頃に友人だったタローくん。
彼の墓前に、曜が膝を突いているのだ。
まるで彼らが知り合いかのようではないか。いや、曜が幼少期に鳥辺野村で過ごしていたなら実際に知り合いなのだろう。
しかし、それを自分が覚えていないのでは何とも不自然なことだ。菜々花は首を傾げながら曜のもとまで歩いていく。
彼はずいぶんと集中しているようだ。
かけようと思っていた声を、喉の奥に飲み込んでしまうほどに。
菜々花はしばしの葛藤をして、やがて伸ばした手を下げる。
別にあとでもいいよね。
彼女のヘタレが発揮されたのであった。
数分後、やけにすっきりとした表情をした曜が立ち上がる。
まさに憑き物が取れたようであった。
「……菜々花?」
「はっ!」
木の陰に隠れていたのだが、そのまま体勢を変えるのを忘れていた。おかげで曜は怪訝そうに声をかけてくる。
対してストーキング行為をしていると勘違いされた――文句のつけようがないほどそのとおりなのだが――と思い込んだ菜々花は顔を真っ青にする。
慌てて手を振り、釈明を開始した。
「あの、いや、これは違うんですよ」
「違うって何が?」
「別に私は化野さんの後を追いかけ回す趣味があるわけではなくてですね、たまたま、そうたまたまなんですよ。ちょっと散歩をしていたら遭遇してしまっただけです。それ以外に他意はないんですよ」
とくに疑っていなかったところに情報量の洪水。
曜はついに理解することを諦め苦笑した。
「そう」
「あっその反応信じてませんね。本当なんですよ。本当に私はストーキングなんてしてないんです」
「疑ってないよ」
彼は肩を竦めて菜々花の隣を通っていく。
その時にふとした疑問が湧き上がってきて、彼女は気がつくと質問していた。
取り返しのつかない事態を引き起こす、致命的な質問を。
「化野さん」
「ん」
「さっきお参りしてたのは……その、タローくんですか?」
「……そうだよ」
ざらりとした声だった。
喉に引っ掛かったものを無理やり出したような。
少し泣きそうなのを我慢したような、どこか悲しい声だった。
菜々花は内心で眉をひそめながらも続ける。
「まさか驚きですよね、私たちが小さい頃に会ってたなんて」
「……うん。そうだね」
「なんか反応が薄くないですか? それとも化野さんは覚えていたんですか?」
「覚えてはいなかったよ」
自分は驚天動地の騒ぎだというのに、彼は淡白な反応だった。
頬をむくれさせて菜々花は曜の背中をつつく。
「まったく化野さんは冷たいです。……いや、場所が場所ですからね。私のほうが不謹慎でした。タローくんも気まずい思いをしていることでしょう」
言っている途中に気づいた。
自分はなんて場所で面倒くさい絡みを。
そりゃあ彼だって反応しづらいだろう。
化野さんだってきっとタローくんの葬儀に参加していたはずなのだ。そうでなければお墓参りなんて来ないだろう。その悲しい記憶があれば、彼の墓前でことさらに表情を出すことなんてしない。
――あれ。
ある、違和感。
少しずつ積み上がっていた違和感。
ここ数日ではない。ずっと昔から……タローくんが息を引き取ったときから抱いていた、漠然とした不安じみた違和感。
それが急にピースがはまったように、胸のなかで大きくなった。
どうして雪花はあの日から少し変わったのだろう。
どうして仲がよかったはずの化野さんを忘れていたのだろう。
私だけならともかく、記憶力のいい雪花ですら覚えていないのは。
まるで経験したことのないことかのように、幼少期の話題をいくら出しても、雪花が思い出せる気配もないのは。
――何らかの、
私は、何かを見落としてるのだろうか?
何か自分の知らない、力学が存在している?
「――ァ」
心臓が軋んだ。
嫌な音を立てて収縮した。
思わず地面に膝をついてしまい、曜が菜々花に駆け寄ってくる。
「大丈夫!?」
「だい……じょうぶです」
そう言っている彼女は真っ青だった。
瞳孔は開ききり、脂汗がにじむ。
体は燃えるように熱いのに、震えが止まらない。
手を出してはいけない扉が開きかかっている。
しかし一度動き出したものは止められない。
菜々花は吐きそうな気分を堪えて、自分の拳を睨みつけた。
拳を……拳……拳、を……?
これはいったいなに?
あかぐろいなにかがある。
てらてらとしたふしぎなえきたいをまとっている。
ぽたりとじめんにおちた。
ぬちゃりというきみのわるいおとがした。
どこからこんなものがあらわれたのだろう。
はっせいげんにしせんをむけてみる。
あれ、これってじぶんからはえてるの。
はえてるっていうか、じぶんがこれになってるの?
これ――こんな化け物みたいな肉塊に。
「あ、あああああああああああああああ!?」
「菜々花ッ!?」
己の姿を自覚してしまった菜々花は、一瞬にして狂乱状態に陥った。
目を回し口の端から泡を吹く。
触手を振り回し地面に倒れ込んだところを、何とか曜が助けた。それでも彼女の意識はすでに暗く、声すらもあげられなくなった。
◇
「これは……まずいねぇ」
祖母が緊張感をまとって呟いた。
俺は布団に寝かせてきた菜々花のことを思って、唾を飲み込む。
体のいたるところから目や角を生やしている彼女は、重々しく口を開き、心の深いところをえぐり取ることを言った。
「菜々花ちゃんも完全に思い出した……いやより悪化している、というほうが正確だね。もともと草壁の人間は〝向こうの世界〟に近づきやすいのかもしれない。中途半端に曜たちのことを思い出してしまったせいで、自分自身に対する違和感が強くなって、異形の姿に気づいてしまった感じかね」
だからこその狂乱。
自分を否定したいがゆえの気絶。
俺は机の下で拳を握りしめて、息を噛み殺した。
「菜々花は……大丈夫なの?」
「大丈夫とは?」
「雪花みたいに世を儚んだり――」
「わからないねぇ。菜々花ちゃんは弱いように見えて、実は強い。何も気にしない気性かと思えば、誰よりも繊細だったりする」
私は
と祖母は悔しそうに肩を落とす。
何個もの瞳の奥に宿るのは自分に対する落胆だろうか。
祖母を責めるつもりはなかったが、そういう形になってしまった。
俺は謝罪をして、立ち上がろうとしたその時――。
「お兄ちゃん! お姉ちゃんが!」
闇の触手を振り乱して、雪花が飛び込んでくる。
あまりの焦りように彼女は転んだ。
「お姉ちゃんが、いなくなっちゃったの!」
それを聞いて俺は駆け出す。
雪花の驚きの声もそこそこに、靴をつっかけた。
「曜! 菜々花ちゃんは山に向かってるよ!」
「わかった!」
太郎に助けてもらった。
雪花に助けてもらった。
――今度は、俺の番だ。