ララと厨房へと行くと、すでに手を洗って準備をしている。料理長が既に何か仕込みをしていたが、子供達が動いているのをにこやかに見てくれていた。
「すみません。先に行ってしまって」
「いや、いい。その子は?」
にこやかな顔のままなんでもないというふうに仕込みを続けている。チラリとこちらを見ると眉をピクリと動かして質問してきた。
「セバスさんの仲間の方の娘さんみたいです。預かりました」
「おぉ。旦那の仲間の……」
にこやかな顔をしたまま仕込みを中断してこちらへ歩み寄ってきた。そして、しゃがむと頭を撫でる。
「自分は、ここの料理長やってる。ゲンジってんだ。よろしくな」
料理長の名前を初めて知った。渋い名前だな。雰囲気によく合った名前だ。よろしくといいながら手を差し出す。ララはその手をジッとみている。
「手を出して握り合わせるんだ。挨拶みたいなもんだぞ?」
俺がそう教えるとララはこちらに視線を一度送った後に首を傾げてゲンジさんの大きな手を小さな手で握った。ミリアと同じくらいの手の大きさだろう。指三本分しか握れないようで、ゲンジさんが摘まむように握手した。
まずは、手を洗うようにと案内しようとしたとき、横やりが入った。
「こっちきて、てをあらうんだよ!」
俺より先に来て準備万端で待っていたミリアが先輩面して教えている。それに続くように被せてきたのはリツだ。それをにこやかにみているはイワンと、サクヤ、アオイの三人。
「これをつけて、こうやってあらうんだよ?」
リツが自分の手に粉せっけんを付けて手を洗っているところを実演して見せている。先輩の動きとしては満点だ。やってみせるというのが、教えるときは一番いいと俺は思っている。
だから、ミリアはもう少し教えてあげるという気持ちを持っていたほうがいいな。今こういう対応をしてしまったのは自分が先輩であることを教えたかったのと、得意げな気持ちが先行してしまったせいだと思うが。
リツの手を洗う所の実演をみたミリアは自分の足りなさに少し気が付いたのだろう。洗った後に手を拭くのは綺麗な布で拭くのだといいながら、布を出してあげていた。それでリツが手を拭く。
ララは少しためらった後、意を決したようにミリア達のところへと行く。そして、ミリア達と同じように台に乗って水を出す。粉せっけんをつけて手を洗いだした。リツの実演もあったからかもしれないが、ちゃんと洗って拭いていた。
なんだか、少し達成感のある顔をしているララ。
いいぞ。そうやって自分がこれはできるということをわかっていくことが大事だ。
成功体験というのは、人をいい方向に成長させると思う。もちろん失敗体験も経験として自分の糧とはなる。でも、それ以上に成功体験は得るものが多いと思う。
成功するばかりでは、自分で臨機応変に考える力が身につかないかもしれない。でも、説明を受けてそれをできたということは、説明なしで何もできなかったより得るものがあると思う。
「リューちゃん、何作るの?」
「料理長。今日の朝飯の仕込みしていたんですよね? トロッタ煮となにか軽いのを子供と一緒に作らせて頂いてもいいですか?」
一応、作るものが被らないように料理長へと聞いてみる。料理長が作るものと同じ系統のものになってしまうと一緒に出したとき、バランスの悪い食事になってしまう。
「うむ。子供達と作るのだろう? トロッタの肉は俺が切っておく。味付けは頼むが、トロッタ肉を煮ている間、サラダをつくってもらえるか?」
「そこにある野菜使っても?」
近くの調理台に出されていた野菜を指す。見慣れた野菜が多い。葉物の野菜と赤い実のトマトのようなもの。トマトよりは甘みの強い、トリンという実だ。これは、子供に人気であることが多い。
料理長はチラッとみると頷いた。
「あぁ。あるやつ使ってくれ」
それを合図にミリアとリツがそのテーブルの方へと向かっていく。野菜を取ると、持ったままこちらの指示を待っている。
微笑ましく思いながらも、小さな穴の空いたタライを出す。ミリアとリツ、ララに野菜をタライの中へ入れるように指示し、水を出す。水をはねさせながら、青臭いように葉物の野菜特有の香りが鼻を抜けていく。
「これ、どうするの?」
ミリアが待ちきれないというように、身体を揺さぶってこちらを急かす。そんなに急かしても仕方ないだろうに。ところどころ土がついているので、それを落としてもらいたいのだが、水場に立てるのは一人なのだ。
なにせ踏み台がないからな。
どこかにあるかな?
俺がキョロキョロして厨房を見ていると、「ほら」と料理長が踏み台をもう一つ持ってきてくれた。もう一つあればみんなでできるな、と思ったら「すまん。これしかない」と心を読まれた回答が返ってきた。
「いえ。ありがとうございます」
「トロッタ煮の味をつけてもらえるか?」
礼を言って踏み台を置く。ちょっと待つように子供達へ告げて、料理長が肉を入れてくれていた鍋へと向かう。急いで調味料を鍋へと投入して戻る。
リツがすぐさま上がると思ったのだが、見込み違いだった。
「ララちゃん、さきにいいよ。すこししたら、こうたいしよう?」
おい。サクヤ、アオイ。見た方がいいぞ。このリツの成長ぶりを。
チラリと二人の方へ視線を巡らせると涙ぐんでいる。
ウチのミリアはもう踏み台に乗って野菜を触り始めている。
好奇心旺盛だから仕方ないかと思う。
このくらいの子供に我慢しろという方が酷である。そんな中、リツは自分を律して我慢している。我慢することが偉いわけではないが、順番にしようと提案したことが素晴らしいと思う。
込み上げてくるものを抑え込みながら、ララへ先に野菜を洗うように促してみる。申し訳なさそうに台へと上がると野菜を根元から一枚一枚剝がした。
「この茶色いのが土だから、綺麗に洗い流すんだ。ミリアもいいか?」
「はーい!」
返事だけはいいんだよなぁ。
ミリアのやんちゃブリに苦笑してしまう。
だが、ミリアも成長はしている。最初は何もできなかったし、何もしようとしなかった。自分で何かをするという気力を削がれていたからな。ここまで心を開いているのは、俺だけでなく、リツ、イワン、サクヤ、アオイ。他にも『わ』に来てよくしてくれていたお客さん達のおかげだと思う。
ミリアのことまで考えていたら目頭に込み上げてくるものがあった。慌てて拭うと野菜を洗っている二人をみつめる。ミリア、ララは丁寧に洗って土を洗い流している。
「リツくん、こうたいしよっ!」
なんと交代を言い出したのはミリアだった。順番で交代するというのは今までにやったことがないと思う。今覚えたはずなのに、自分から譲った。それは、これまでから考えたらとてつもない成長だ。
リツは笑顔で頷くと「ありがと」と礼を言って踏み台にのり、野菜を洗い出した。葉物のほかにトリンの汚れを落としていく。
「リューちゃん、おわり!」
手を上げて終わったことを告げてくる。タライを持ち上げて水を切っていく。これですべての水分をとることはできない。野菜の水分をとる用の布があるので、それでふき取る。
今度は俺が実演して見せる。野菜の葉を一枚とると布で水分をふき取る。「こうして水分をふき取るんだ。いいか?」と聞くと、三人は大きく頷いた。
これは、みんなでできるのでそれぞれが好きな野菜を取ってふき取っていく。すると、あっという間にふき取り終わった。
「さんにんでやると、はやいねえ!」
ミリアが嬉しそうだ。ララという仲間が増えた。それが嬉しいのだろう。いつも以上に元気だ。
ララの顔も明るくなっている。楽しそうにしているのが俺も嬉しい。
「最後は、ちぎって皿へと盛り付けていくぞぉ。だれが、一番綺麗に盛り付けできるかな?」
三人は意気揚々とサラダ用のお皿を持ってくると葉物の野菜をちぎり出した。これは、どの程度の大きさにちぎるか、そして、どの順番で野菜を置いていくか。それがすごく重要になる。
ミリアはトリンを最初に置いて、大きめの葉物を乗せてしまったので、赤が隠れてしまった。細長い水菜のような野菜もあったのだが、それは添えるだけ。
リツは細かくちぎった葉物の野菜を皿の下に敷いて、細い野菜をその上に、最後にトリンを乗せている。ピラミッド型といった感じだろうか。
最後にララは、一口大にちぎられた葉物の野菜を真ん中から左側へ多めに配置。細い水菜のようなものを右後ろへと配置。最後にトリンを右前に添えた。
三人は盛り付けが終わると、直立になって判定を待っている。
「では、盛り付けを見てみようか。ミリアのは、食べ応えがありそうでいいじゃないか。ただ、見た目で行くと、全部の野菜が見えていたほうがいいんじゃないかな?」
ミリアは笑顔を見せた後に難しそうな顔をしていた。
「リツ。小さくちぎってあって食べやすそうだな。だけど、ちょっと盛り付けのバランスが悪いな。その状態で運んだら崩れるだろう?」
リツも最初は自慢げに食べやすそうだろうと胸を張っていたが、最後の言葉で唇を尖らせていた。
「ララ。本当に初めて作ったのか? 大きさも丁度いいし、盛り付けが綺麗だ。すごいぞ」
ララは照れたように身を捩りながらモジモジしていた。ミリアがララのところへ来て盛り付けをみると、目を見開いていた。
「きれいだねぇ」
「ほんとだー! ララちゃんすごーい!」
二人に褒められて嬉しそうだ。
「ありがと」
小さな声でお礼をいうと顔を真っ赤にして恥ずかしがっている。少し、心を開いてくれただろうか。後は、皆で食べながら親睦を深めようか。
トロッタ煮も美味しそうにできたしな。
気に入ってくれるといいのだが。