現在、ソワソワした様子の冒険者がセバス家の食堂に集まっていた。装飾の施された長テーブルを前に、お互いの顔を見合わせて本当に食べられるんだろうかと口にしながら入口を見たり、他の冒険者を見たりしている。
そこに入って行くのは、サクヤだ。その姿は、『わ』で接客をしていた時と同様に前掛けをして紙を手に握り締めている。そして、筆のような書くものを持っている。
「本日は、限定食堂『わ』にお越しいただきまして、ありがとうございます! みなさん、一度は『わ』に来たことがあるということでしたので、本日のメニューはありません! 好きな料理をおっしゃってください!」
ワッとその場が騒がしくなり、一気に冒険者の顔が明るいものになった。
この大きな食堂の気温が少し上がったようだ。そのくらい、嬉しさから冒険者たちの体温が上がっているということ。
「オレは、トロッタ煮が食いたい!」
一人の細めの冒険者が人気メニューを口にした。
サクヤは返事をすると、メモに書いている。
「自分は、お弁当っていうので作ってたツノグロの漬け丼ってやつを食べたいんだけど……」
髭を生やしてダンディな冒険者が手を上げながら申し訳なさそうにサクヤに告げる。サクヤはサッと執事へ視線を巡らせる。頷いたことを確認すると「大丈夫です!」とその冒険者へと伝えてメモする。
「アッシは、この前別の護衛のやつが食べたっていう小さな肉と卵のやつが食べたいなぁ」
「あっ! それ、私も食べたい!」
大きな斧を横に置いている冒険者が口にしたものを、隣に座っていた鉄製の鎧を着た女性冒険者が同意して食べたいと言った。
サクヤは首を傾げて執事に確認すると、頷くではないか。目を見開いて変な顔をしながら、メモを取っている。
「皆さんのおっしゃった料理は、全部ご用意できそうです! では、少々お待ちください!」
食堂を出ていくサクヤ。
冒険者たちの顔は希望に満ち溢れていた。
厨房へとやってきたサクヤ。
俺が見た時の顔は、眉をへの字にして変な顔をしていた。なんなんだその顔は。
「どうした?」
「なんかぁ、小さな肉と卵が入ったやつ食べたいって言われたんですけど……」
ちょっと頬を膨らませながらそう俺へと告げてくる。俺からすれば、この前食べさせたそぼろ丼だなとわかったから何も問題はない。
ただ、そのメニューをサクヤは知らない。あの時は俺しかいなかったからなぁ。冒険者への差し入れだったが、食べた人がいたのだろうか。
「それは、俺が以前冒険者に差し入れしたやつだ。大丈夫。作れる。美味しかったって言ってたか?」
「食べたわけではないみたいです。なんか、同じ護衛の人から聞いたとか言ってました」
護衛の間で差し入れしたメニューが噂になるとはな。娯楽がない分、食べ物がその代わりだったりする。だから、うまいものがあるとすぐに噂で広まっていくんだ。そうやって、『わ』も口コミで広がったんだろう。
いい噂だからどんどん広まっても問題はない。だが、どこでそういう話をしているかわからないが、あまり飲み屋とかで話をされてはここにいるのがバレてしまう。
そのへんはちゃんと考慮しているだろうから、問題はないと思うが。そんな心配が頭をよぎりながらも、サクヤにもらったメモを見て準備を進める。
準備は料理長であるゲンジさんが手伝ってくれた。食材のある所を把握しているからすごく助かる。
目の前の調理台にはトロッタの肉がバットに乗せられている。その横には、ツノグロの赤身。俺のしらない料理長が用意してくれたこの前作った肉。そして、卵だ。
俺の後ろには、魔道コンロが二台用意されていて、深い鉄鍋と浅い鉄鍋の両方を用意する。そのコンロの火を入れていく。一気に熱気が俺の顔にきた。魔石を使っているという不思議仕様のコンロは火力が強いのだ。だから、調整も難しいところがある。
というか、魔石によってムラがある。それは、魔物の核だというのだからそれが関係しているのかもしれない。それを見極めて料理するのも腕の見せ所だ。
調理が始まると、ゲンジさんは後ろの壁に寄りかかって腕を組んでみている。見られるのも恥ずかしいが、盗んで下さいと言ったもので、文句は言えない。
木製の板の上にトロッタの肉を乗せる。すばやく切り分けたトロッタを鍋に入れて調味料を投入していく。これで煮込んでおけば味が染みていく。
ツノグロは、漬けを作っていなかったため即席になる。漬ける時間を長くするために、さっそく調理にとりかかる。赤みを少し厚めに切り分けていく。そして、一枚一枚に細かい切込みを入れていく。こうすることで、味が染みていく。
「何か手伝いますか?」
サクヤが嬉しい提案をしてくれるが、ここは今『わ』の厨房なのだ。あそこで料理を提供する際には俺しか厨房に立たない。サクヤにはホールを切り盛りしてもらっているからだ。
「ここはいいから、みんなの注文も聞いてきてくれるか?」
そうだったと言わんばかりに手を叩いて返事をすると厨房を後にした。
醤油、ミリン、酒、ワサビを混ぜ合わせて器に入れる。そこに細工を施した赤身をいれて薄い布をかけて置いておく。これで漬けはいい。
料理長の用意してくれた肉をたたいていく。細かい肉片にしなければ、そぼろにはできないからだ。これがかなりの重労働なのだ。切れ味が悪いわけではないが、肉を切る包丁がかなりの重さなのだ。これを上下に振って肉をたたくのは一苦労。
額から汗が噴き出すのを感じる。布を頭に巻いているから垂れることはないが終わったころには汗だくになっていることが多い。コンロからの熱気もある。それなのに、一向にこの腹が引っ込まないのはなぜなのだろうか。
中年男性の悩みの種であろう。世のおっさんの悩みの大半は腹が出ていることではないかと思ってしまっている。この肉も削いで無くせることができれば、どれほどいいことだろう。
浅い鉄鍋にたたいた肉を入れていく。油の香りが脳を刺激する。料理しているときには何かが分泌されているのではないかと思うくらい自分の気持ちが高鳴ってくるのだ。
興奮しているわけではないが、幸福度があがるというのだろうか。料理をすることで自分が救われている気がする。救われているからこそ、食べてくれる人たちにもおいしく食べて欲しいと思う。幸せのおすそわけだ。
醤油、ミリン、酒を入れていく。そこに忘れていた生姜をすり下ろしたものを入れていく。香ばしい香りがより一層厨房に広がっていく。この匂いは俺の好きな匂いなのだ。何せ、日本食の匂いだから。
出来上がった肉を別の器に乗せていくと、そのまま肉のうまみを出しにして卵を焼いていく。これがこのそぼろ丼に一体感を出しているんではないかと自分では思っている。
トロッタ煮もいい感じだ。どんどん器へと盛り付けていく。
「みんなの注文とってきました!」
タイミングよく、サクヤがやってきた。その顔は店の時のような太陽を思わせる明るいものだった。ここ最近こんなに明るい顔をしていなかったように思う。やっぱり店を早くやりたい。
「ありがとよ。できあがったやつ持って行ってくれるか?」
サクヤはメニューを調理台の端に置くと、料理のできた器へと向かう。
「はい! あっ! これが噂の細かい肉と卵の丼ですね!」
「そうだ。そぼろ丼ってんだ」
「へぇ……おいしそう。ジュルリ……」
サクヤが慌てて口を拭っている。この食いしん坊は、空腹を我慢するのに必死らしい。
「頼むぞ。よだれ垂らすなよ?」
「たっ! たらしませんよぉ! ……ジュルリ」
器をお盆に乗せて持って行った。またよだれ出ていたみたいだが、大丈夫だろうか。
あんなに嬉しそうにお客さんに運ぶサクヤをみれたことが嬉しい。
アオイもきっと同じ気持ちだろう。やりがいを感じてくれていると思うから。
さて、冒険者の人たち、喜んでくれるだろうか。
「あっ。みんなの分も作らねぇとな」
まだまだ忙しい。嬉しい忙しさだった。