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第75話 壁の越え方

 一世一代の戦いを終え、皆に迎え入れられて自分の戦いの様子を語っていたミリア。元両親とも戦いの様子を熱く語っていたら日が傾いて暗くなってきていた。


 その頃には腹が減ってくる。


「みんなで、なんか食べにいかないか?」


 少しでも明るい気持ちにしようとそう提案した。近くに座っていたリツは、飛び跳ねて喜んでいる。何を食べたくてそんなにはしゃいでいるのだろうか。また甘い物でも食べに行きたいのかな?


「トロッタに、たべたい!」


 リツの言葉に耳を疑った。まさか、ここにきて俺の料理を食べたいというとは。さすがに飽きるんじゃないかと心配になる。飽きないように作っているのだけど。


「ミリアも!」


「僕も」


 リツの両脇に座っていたミリアとイワンがリツに賛同した。イワンも珍しく声を上げる。


「おじいちゃんの好きな物だったから」


 イワンが言葉を続けた。セバスさんに自分の意見は言った方がいいと言われたことを実践しているのだろうか。胸が苦しくなった。


 この小さな体で一生懸命にセバスさんの死を受け入れようと、自分の身体に飲み込もうとしている。それが嬉しくもあり、心配でもあり。


 精神的なところは大丈夫だろうか。

 もしかしたら、その心の整理の為にトロッタ煮を食べたいと言っているのかもしれない。セバスさんが最後にどうしても食べたいと言ってくれたトロッタ煮を。


「わかった。じゃあ、みんなで作るか」


 わざと明るい声を出してみる。そうすることで少しでも暗い空気を吹き飛ばそうと思ったのだ。だが、俺の声だと思ったように響かない。


「よーっしっ! めっちゃ美味しいトロッタ煮! つくってやるぞぉぉ!」


 奥に座っていたサクヤが立ち上がりながら叫んだ。『わ』の元気印はやっぱり皆の顔を笑顔にする力がある。一気に子供達の顔から光が見えた。


「そうね。セバスさんもびっくりするくらいの物を作りましょう」


 アオイがスカイブルーの髪をバレッタで留めながら立ち上がった。その立ち姿も優雅でセバスさんはその様もずっと褒めていた。上品さを磨けばいいと言っていたもんな。


 リツとミリアが駆け足で厨房へと向かう。俺たちの後ろからもう一人が駆けてきた。


「どこにいくの? 私もいくー」


 ララも合流してきた。振り返ると、ドムさんも笑みを浮かべながらゆったりと歩いている。


「明日行くんですか?」


「あぁ。すまないが、しばらくララを頼む。必ず、強くなって戻ってくる」


 ドムさんは立ち止まって頭を下げる。


「おまかせください。ドムさんなら、強くなれると信じています。ただ、壁を乗り越えられない時は、戻って一息ついてもいいと思いますよ?」


 目を見開いてジッと見つめるドムさん。一体どうしたというのだろうか。


「お師匠にも、昔似たようなことを言われたんだ。でも、オレは乗り越えるしか強くなれないと思っていた。いまだに答えは見つかっていない……」


 セバスさんの言いたいことはなんとなくわかる気がする。ドムさんは心が少し弱いと言っていた。それは臆病というより失敗を恐れているのではないだろうか。


 それなら、少しアドバイスできるかもしれない。


「ドムさん、失敗することをどう思いますか?」


「そりゃあダメさ。強くなる為には、気合で成功しないと」


「その考え方では、前に進めないと思います」


 俺の言葉に眉間へ皺を寄せて怪訝な顔をした。何がわかるんだとそう思っているのかもしれない。それはそうだ。だって戦うこともできない俺みたいなやつが生意気にそういうのだから。


「俺は、昔、心を壊しました」


 ドムさんは目を見開いた。


「家族が出て行ってから。後悔と懺悔、仕事の苦しさから心に沢山溜まった棘で自分の心を傷つけてしまったんだと思うんです。ある時、心を失いました。何もできなくなったんです」


「どうやって立ち直ったんだ?」


 俺はあの時のことをあまり思い出せない。記憶が曖昧になっている部分が多いから。ただ、料理を作っていたことは覚えている。


 ただボーッと生きることしかできなかった。田舎に戻って日々を惰性で生きていた、その時に行った病院はこじんまりとした小さな病院だった。


 あの時の先生、自分はヤブ医者ですよって言ってた気がする。でも、その先生の言葉を機に、俺の心は徐々に再生していったのだ。


 その時の言葉。


「ある先生が言ったんです。『失敗はしてもいいんだよ。乗り越えられない壁が目の前にあるなら、逃げてもいいし、休んだっていい。どこか壁の切れ目を探せばいいじゃないか。探すのが飽きたら穴を掘ったっていい。壁の先に行く方法はいくらでもあるんじゃないかな?』って」


 ドムさんは虚を突かれたように口を開けて頭を回転させているようだった。今の言葉の意味を咀嚼しているのかもしれない。


 この言葉の意味っていうのは、そんなに深く考えるものでもない。そう俺は思う。


「ドムさん、単純に言葉のままを受け入れるんですよ」


「でも、オレは魔物を相手にするんだぞ? 倒さなければ……」


「一度で退治しなければいけないのですか?」


 反応できないドムさん。


「殺された方が損失なのでは? 逃げたっていいじゃないですか。生きていれば再戦できるんですから。一人で無理なら、助けを呼べばいいじゃないですか」


「逃げたら、違約金が……」


「命は、お金より大事ですか? 仲間を呼ぶのもお金がかかるかもしれません。でも、死ぬよりはいい。違いますか?」


 ドムさんは口を閉じて何かを飲み込んだ。少しでも俺の言葉がドムさんの心に届いてくれただろうか。セバスさんが亡くなったことで改めてわかったんだ。


 生きていることがどれだけ素晴らしいかということを。


「生きているだけでいいじゃないですか。一生、ララを一人にするおつもりですか?」


「…………オレは。本当にどうしようもないな。別に遠くへ行かなくても、修行できる……か」


「そうなんですか?」


「オレは、ララからも逃げようとしていたみたいだ。リュウ、ありがとう。感謝する」


 深々とドムさんは頭を下げた。

 少しでも、心に響いただろうか。


「俺も、受け売りですけどね」


「いや、自分の一部になっているから、その言葉がオレの心に染みるんだろう」


「じゃあ、一緒にトロッタ煮、作りましょう?」


「おう! 肉を切るのは任せろ!」


 腕を捲りながら厨房へと歩を進めるドムさん。

 少しだけど、顔が明るくなった。

 前を向けただろうか。


 立ちはだかっていた壁に穴を空けることができただろうか。その先が少しでも見えたのなら嬉しい。


 ドムさんは、俺の言葉を機に修行で遠出することをやめた。

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