みんなで包み焼きを買いに行く途中の、ミリアに言われた言葉。
「ミリアねぇ、リューちゃんのて、すきだよ? おおきくてゴツゴツしてるけど、きれいなて」
この言葉で俺は、意識を過去に戻された。
「にいちゃんのて、おおきくてゴツゴツしてるけど、きれいだよね。だいすき!」
そう言ってくれたのは年の離れた弟だった。俺が高校生くらいの時だっただろうか。まだ五歳の男の子だった。
住んでいたのは田舎のアパートの一室。ウチは両親が共働きのごく普通の一般人の家。優秀な社長でもなければ、別に毒親というわけでもない。
ただ、お金がない家だった。だからというものあると思う。ずっと働いている二人で、帰って来るのは夜の九時を過ぎるのはザラだった。
兄弟も多かったから、金がかかっていたのだろう。五人兄弟だったから。その一番上に生まれたのが俺だった。物心ついた時にはもう包丁を握っていた記憶がある。
親は夜ご飯を作っていくことはしなかった。自分が小さい頃は、よく魚肉ソーセージで腹を満たしていた。朝だったパンだけだった。
理由は忙しいから。一生懸命働いていることはわかっていた。小学生ながらに、欲しい物など言ってはいけないと思っていた。ゲームを買ってもらったクラスメイトの自慢話を、どこか違う世界の話のように聞いていた覚えがある。
「おなかすいた」
小学生に上がったころには弟が二人いた。産休育休明けの母親は忙しくしていて、ご飯を作る暇はないようだった。自分たちのご飯をどうしていたのかも知らない。
夜の九時を過ぎると弟たちは眠くなってしまうから。帰ってくる前に俺が作るしかなかった。食材は最初のうちは買って来てくれていた。
それが、年齢を重ねていくにつれてお金だけ置いていかれるようになった。まだマシだろう。何も与えられないよりはマシだと思っていた。
そういう生活が普通だと思っていた俺は中学生の頃になると、みんな分の朝食と夕食を作るようになった。親にも作ってテーブルの上に置いて寝るようにしていた。
朝になると、食べた後の器があり、起きた頃には二人の姿はなかった。会うことのない両親、まだ小さな兄弟。食べさせなければいけないという重圧に疲れ果てていた。
中学生らしいことは何もできなかった。部活動を友達とすることも、学校終わりにどこかで買い食いして帰るなんてことも、夢のまた夢。
「にいちゃん。僕もクラブ活動しないで帰ってきて手伝うよ?」
二番目の弟がある日提案してくれた。だが、俺は弟に同じような思いをして欲しくなかったんだ。だから、自分だけが我慢すればいいと思っていた。
「いいんだ。蓮は自由にしろ。家のことは俺に任せろ」
目線の下にある頭を撫でながらそう告げる。本当は俺も自由に過ごしたかったけど、そんなこと言ったらこの家は崩壊する。
一番下なんてまだ三歳とかだ。保育園の迎えも俺が行っているんだ。保育園の先生も認知してくれているので、なんとか特別に許可してもらっていた。
それから二年ほど経っただろうか。忙しい日々を過ごしていた時、突如襲った高熱。
頭がボーッとしながらも買出しに行き、いつも通り料理を作ろうとしていた。材料を買ってきて台所に立ち、なんとか野菜を切って肉と一緒にフライパンで炒めていく。
火が通るまでちょっとの間、休もうと椅子に座った。それがいけなかった。
「あっちい!」
ハッとして目を空けると手を抑えている末っ子。やけどしたんだとすぐに気が付いた。フライパンが熱されてバチバチなっているのを止めようとしてくれたようだ。だが、油が下に飛んで手にあたってしまったのだろう。
慌てて火を止めて、水を出して手を冷やす。
「ごめんな。大丈夫か?」
「いたい」
水膨れになっている。完全にやけどをさせてしまった。俺の責任だ。弟に火傷を負わせてしまった。
「ごめんな……。ダメなにいちゃんでごめんなぁ」
胸からこみ上げる懺悔を、我慢できずに溢れさせてしまった。弟を抱きしめてしばらくの間、涙を流してしまった。
「どうしたの⁉」
二番目の弟の蓮が中学の部活から帰ってきたところだった。慌てた様子の弟、そして、俺の顔を見ると叫んだ。
「っていうか、にいちゃん。顔真っ赤だよ? 大丈夫⁉」
その声を聴いた瞬間、俺の中での気持ちがプツッと切れた気がした。目の前が真っ暗になり。そして、意識を失ってしまった。
次に目を覚ましたのは、真っ白なベッドの上だった。手から伸びている管の先には液体の入ったパックが繋がれていた。これがなんなのか、見たことがないからわからなかった。
「目を覚ました? よかった。蓮から電話があってね。仕事、早退してきたのよ」
「快に火傷を負わせちゃったんだ。ダメな兄でごめんなさい」
すぐに頭を下げた。すると、困ったように目を潤ませる母親。
あぁ。こんな顔だったっけ。最初に思ったのはそれだった。
医者がやってきたのだが、眼を吊り上げ、なんだか怒っているようだ。五歳児に火傷をさせてしまったから、怒られるのだろうか。
「よかった。竜くんだね。君、よく生きていたね。こんな体の状態になるまで……。いったいどんな生活をしていたんだい? お母さん、竜くんにご飯をあげていましたか? 児童相談所には通報させてもらいましたよ」
どこに通報したって?
俺には理解できなかった。
弟たちはどうなっただろうか。ちゃんとご飯を食べているだろうか。
「弟たちは無事ですか?」
その言葉に医師は言葉を詰まらせた。そして、歯を食いしばると部屋から出て戻ってくると、弟たちを連れて来た。
「快、大丈夫だったか?」
「うん! おねえさんにいたいのとってもらった!」
「そうか。よかったぁ」
処置してもらった手を握って擦ると、こちらをベッドのしたから見上げて快が口を開いた。
「おねえさんのてもきれいだったけど。にいちゃんのて、おおきくてゴツゴツしてるけど、きれいだよね。だいすき!」
俺は心が救われた。好きだと、言ってもらえることなどなかったからだ。弟たちも、俺も生きるのに必死だったから。目から溢れるものを抑えきれない。とめどなく出てくるそれを受け入れるしかなかった。
それからしばらくの間、俺達兄弟は施設で過ごすことになったのだった。その時に、初めて自分の状態を認識した。やせ細り、骨と皮だけでかろうじて生きている状態だったんだとか。
弟に食べさせたい一心で、自分の食べるのは最小限にしていたからだろう。
両親は、反省したようで母が務めていた会社を辞めてパートになった。俺は、もう家に戻る気がなかった。なんだか、気持ちが切れたのだ。兄弟は問題なく生活できるようだったから、独り立ちしたんだ。
料理をするのは好きだった。だから、仕事にもした。そして、将来は食に困っている子達に食事を提供しようと決めたのだ。