ヤブ先生はカウンターへと座ると「エールください」と注文した。他のお客さんから注文された料理を作りながらも、エールをジョッキへと注いでいく。
「はい。どうぞ。ヤブ先生がいらっしゃるなんて珍しいですね?」
ジョッキを手渡しながらそう声を掛けると、ため息をついて首を振った。
「あの家にはユキノさんと住んでいるんですが、やっぱり一人になりたい時ってのがあるんですよねぇ。ユキノさんも一緒だと思うんで、僕が外に出てくるんです」
なんだか、最初から別行動をとるような話になっているから、疑問に思っていることを聞いてみた。
「ユキノさんと一緒には来ないんですか?」
「来てもいいんですけどねぇ、プライベートってあった方がいいと思うんですよ」
なんとなく言っていることが理解できた。一人の時間が欲しいってことなんだな。でも、それはみんなが同じ思いだと思う。
四六時中ずっと同じ人と一緒にいたら、なんだか一人の時間も欲しくなってしまうものなのだろう。
ヤブ先生とユキノさんは仕事も一緒だから、いくら仲がいいといってもまいってしまうことがあるのかもしれないな。
「あっ、そうだ。国の調査員の方、来ましたよ。有難う御座いました」
軽く頭を下げると、ヤブ先生はグビグビとジョッキのエールを飲むと「ぷはぁー!」と美味しそうに声をあげてこちらへと視線を向けた。
「こども食堂がどういうところかを見に来たんでしょうから、問題なかったですよね?」
「えぇ。最初は名乗らずに利用する人って感じだったんで、最後に調査員だっていうのを明かされて驚いたんですよ。子供達の話をしたら、謝られました」
ニコニコしながら俺の話を聞いてくれるヤブ先生。こうやって患者さんの話をいつも聞いてあげているんだろうなぁと感心してしまう。
「はははっ。潜入捜査みたいですね。そうですか。国の人として謝罪したんでしょうねぇ」
もう一口エールを喉へと流しこみ、メニューを見て何か頼もうとしていた。そこで、新メニューを進めることにしたのだ。
「そうだ。おでんありますけど、食べます?」
「えっ? そうなんですか? 僕、おでん好きなんですよぉ。食べたいですねぇ」
「今、出しますね」
温めていたおでんの具を器へと移していく。最後に汁を少し入れてあげる。出汁の香りと具材の香りが鼻を抜けていく。半日ぐらい煮込んでいるから味が染み込んでいると思う。
ヤブ先生の前へと器を出すと、目を見開いて固まっている。
なんだか、目が潤んでいる気がするけど、大丈夫だろうか?
「あぁ。なんか故郷を恋しくなるような香りがするなぁ」
一口大根を頬張ると、目を瞑ってため息をついた。しばらくの間そのまま沈黙して味わって食べてくれているみたいだ。
「あれ? やっぱり! ヤブ先生じゃないですか!」
横からエール片手に近づいてきたのは、アッシュさんだった。アッシュさんとヤブ先生は知り合いだったのかな?
まぁ、この街で風邪とかひいたらヤブ先生の所に行くだろうからなぁ。
「おっ。アッシュさん。久しぶりですね。その後はどうですか?」
「ピンピンしてますよぉ。あれ依頼、森に入るときは細心の注意をしています!」
胸を張ってポンッと叩きながらドヤ顔を決めた。
「お子さん、おっきくなったでしょう。あれから二年くらい経ってますか?」
「そうですね! この前二歳になりました!」
グレイくんのことも知っているみたいだ。ヤブ先生は、一体いつからこの世界にいるのだろう? 同じ日本出身だっていうことは知っているけど、詳しくは話を聞いたことがない。
「お二人は、お知り合いなんですか?」
思い切って二人の会話に割り込んでみた。どういう関係なのかがなんだか気になって。余計な会話かもしれないけど。
なんだか、ヤブ先生は意味深な笑みを浮かべている。視線はアッシュさんに注がれていて、アッシュさんは頭を掻きながら照れ笑いを浮かべている。
「なんか自分のミスを晒すようで恥ずかしいっすねぇ。ヤブ先生はオレの命の恩人なんですよ」
アッシュさんの口から紡がれたのは凄まじい話だった。シービレという花の花粉を吸ったアッシュさんはしびれて動けなくなり、固まった状態に。
その頃奥さんは臨月で、いつお子さんが生まれるかわからないような状態だったそうだ。そのため、ヤブ先生は夜通し治すことに専念したんだとか。
生まれる直前で治療法を確立させ、なんとか立ち合いに間に合わせたそうだ。壮絶な現場状況だったろうなぁというのが正直な感想だ。
「っていう感じだったらしいです」
と最後を締めくくった。
疑問に思い、首を傾げると「だって、オレは倒れてたんで知らないんですよ。後から、ヤブ先生にこんなに大変だったんだよぉって聞いた話です」と続けた。
そりゃそうか。そんなことがありながら産まれた子供がグレイくんだったわけだ。大変だったんだなぁ奥さん。
「マキが大変だったんだからねっていつも言われます」
「はははっ。そうなんですね。奥さん一人でギリギリまで頑張っていたんですもんね」
「そうなんですよぉ。いつもそれいわれて胃がキリキリしますよ」
アッシュさんはそういうけど、奥さんは本当に大変だっただろうから仕方ないと思うけど。今は、アッシュさんも協力しているんだし、今日も来たけど奥さんはアッシュさんのことは何も言っていなかった。そこまで不満はないんじゃないだろうか。
「僕は、そのくらいの方がアッシュさんの所はちょうどいいと思いますよ? だって、そのくらい首根っこ掴んでないと、アッシュさん好き勝手やるでしょ? またああなりたいの?」
ヤブ先生からの厳しい突っ込みにから笑いしながら「いやーヤブ先生に言われるなんてまいったなぁ」と言って逃げて行った。
「あのくらい言わないとアッシュさんには効き目がないからなぁ」
そう独り言ちておでんの大根を口に運び、味わってエールを流し込んでいた。おでんを気に入ってくれてよかった。
「リュウさん! なんか、表で土下座している人がいますよ!」
サクヤが入口で声をあげている。一体、何が起きてるっていうんだ?