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第105話 師匠、一人でご来店

 国王様が来てくれた日の夜営業もいつも通りお客さんで満席になるところだった。そんな忙しくしていた時間に見慣れたお客さんがやってきた。


「いらっしゃいませー! お師匠様のご来店でーす!」


 サクヤが元気に俺へと伝えたのはよかったのだが、俺の師匠が誰かをしりたいお客さん達の視線が師匠であるおやっさんに集中してしまった。


 おやっさんは視線に負けて、身を縮めて中へと入って来くる。俺を見るなり顔を近づけてきた。


「みんな、なんでワシを見るんじゃ?」


「すみません。俺の師匠と聞いて気になったんじゃないでしょうか」


 おやっさんへそう告げると苦虫を噛み潰したような顔をして、カウンターへと座った。「ワシはそんな大層な人間じゃないわい」といいながらため息をついている。


「おやっさん。胸張ってくださいよ。俺が教えて貰ったトロッタ煮、一番出てるんですから。まずは、なんにしますか?」


 トロッタ煮の準備をしながら一応注文を聞く。


「まずは、トロッタ煮だなぁ。あとは、エールもらうかのぉ」


「はいっ」


 鍋へトロッタの仕込みの終わっている肉を放り込み、仕上げの煮込みを行う。煮込んでいる間にエールをジョッキへと注いでいく。


「エールですっ」


「おぉ。すまんのぉ」


 エールをグイッと煽ると目を瞑り「くぅぅぅぅ」と美味しそうな顔をしていた。やっぱり冷やしたエールは効くよなぁ。


「これは……エールを冷やしているんじゃな?」


「そうです。俺の故郷ではそれが普通で、それが美味しいと思っていたので」


 何回も頷きながらもう一口喉へと流し込んでいく。またもや声を上げながら頷いている。


「こぉれはうまいのぉ。考え付かなかったわい」


「おやっさん、おでんってのぉ、食べてみませんか?」


 頭に疑問符が見えるように首を傾げて、いったいおでんとはなんだと言った風の顔をしている。いきなりおでんと言われてもわからないだろう。


 小皿にダイコンと人参、卵を乗せて味見用に渡す。からしも小鉢へと入れて差し出した。


「よかったら、食べてみてください。もし、お気に召したら、大皿で出しますんで」


「この黄色いのはなんじゃ?」


 今まで食べていなかったのなら不思議なものだろう。匂いを嗅いでいるが顔をしかめている。もしかしたら辛みをもろに感じたのかもしれない。


「まずは、そのまま食べてもいいんですが、それを少しだけつけてみてください。素材の味が、尚うまく感じるんです」


「ほっほっほっ。それは楽しみだのぉ。どれどれ、まずは何もつけずにいくかのぉ」


 ダイコンを口へと運んでいき、一口頬張るとハフハフと熱そうに息を吐きながら食べている。顔を見ればわかる。笑顔で噛み締めているところを見ると気に入ってくれたみたいだ。


 エールを飲み干してお代わりを頼む。すると、今度はたまごをわり、半分の黄身部分へ少しのからしを付ける。エールを渡すとその半分の卵を口へと放り投げた。


 高齢なので、卵を詰まらせないかと失礼な心配をしてしまったが、何の心配もなく卵とからしを胃の中へと入れていく。


 目を見開いて固まるおやっさん。ちょっと涙目になっているところを見ると、からし独特の辛みが鼻へきたようだ。


「っあぁぁぁ。このからみは始めてじゃ。これはたまらんのぉ」


 からしを好きになってくれたみたいで、俺も嬉しかった。おでんをおやっさんも受け入れてくれたということは、メニューとして出しても問題ない出来だったということ。


 それが俺は何よりうれしかった。他のメニューは弁当で食べていたりするから。


「気に入ってくれてよかったです。大皿で出しますか?」


「頼むわい。これは癖になるのぉ」


 エールを飲み、トロッタ煮を食べながら、おでんを待つ師匠。トロッタ煮も食べながら頷いているところを見ると、味がいいということだと受け止めた。


「おやっさん、一人でこの時間に来るなんて珍しいですね?」


 おでんを出しながら聞いてみた。この時間に見るかとなんてないから。


「それがのぉ。たまには外へ行けと妻に言われてのぉ。今までは店をやっていたから夫婦仲がよかったんじゃが、何にもせずにずっと一緒だとあっちが参るみたいでのぉ」


「そんなもんですか。いつでも来てください」


 目じりを下げると奥へと視線を移した。振り返ると、ミリアが顔を出していた。


「おししょうさんきてるのぉ?」


 声が聞こえて顔を出してみたようだ。


「師匠、来てるぞ。ミリアも隣に座るか?」


 カウンターの一番端だった為、もう一個なら通路をふさぐ形になるが、置ける。


「いいのぉ?」


「何か食うか?」


 少し悩んだそぶりを見せたが、すぐに顔を上げた。


「トロッタにがいい」


「おう。ちょっと待っててな」


 トロッタ煮を三人分作る。ミリアも食べるんだったら、リツとイワンの分も作らないと可哀想だ。いつもは夜営業をした後にみんなでご飯を食べているが、腹が減るだろう。


 夕食までの間に少し摘まんでもらうか。そうじゃないとリツから文句が飛んでくるかもしれないからな。


「ミリアは、リューの元で楽しく過ごしているかの?」


 手持無沙汰になった師匠が、ミリアへと声を掛ける。足をブラブラさせて暇そうにしていたミリアは笑みを浮かべて師匠を見る。


「うん! たのしいよ! さいしょのひね、みんなでてつだったんだよぉ!」


 元気に報告するミリア。その声が大きかったため、店の中へと響き渡った。他のお客さんは自分たちの話そっちのけで微笑みながら聞き耳を立てた。


「ほぉ。それは偉いのぉ。大変じゃったじゃろ?」


「みんなでやったから、たのしかったんだよぉ!」


「ほっほっほっ。そうかそうか。頼もしいのぉ。なぁ? リュウよ?」


 師匠は俺へ話を振ってきた。師匠の言う通りで、あの時は本当に助かったので感謝していた。


「そうですねぇ。有難かったですよ」


「ふふん。そうだろう。そうだろう」


 腰に手を当てて得意げにするミリア。出来上がったトロッタ煮を盛り付けて差し出す。


「わぁい!」


 一口食べると跳び上がって喜んだ。ミリアは好きだからなぁ。トロッタ煮。まぁ、みんな好きだから、サクヤが羨ましそうな目をしてこちらを凝視している。


「ミリアちゃん、いいなぁ」


 サクヤは近づいてくると、ミリアへ呟いた。


「サクヤ、恐いぞ。ミリア、リツとイワンへこれも持って行ってくれるか?」


「はぁーい! もっていくねぇ」


 俺が提案したことを受け入れて器を二つ裏へと持って行ってくれた。ここに留まっているとサクヤに絡まれると思ったのかもしれない。


「ほっほっほっ。賑やかでいいのぉ」


「みんな可愛いですよ」


 師匠に微笑むと頷いてこちらへ向き直り、真剣な顔で見つめて来た。


「リュウよ。ここまで立派な店になってのかったのぉ。支援してくれる人たちへ感謝の気持ちを忘れるでないぞ?」


「日々感謝しています。支援のことを忘れたことはありません」


「それならよい。これからも精進するんじゃぞ?」


 こういう気が緩んでいるときに何か重大なミスをすることが多い。だから、おやっさんは俺の気を引き締めるために来たのかもしれない。


 いつまでもここへ遊びに来て欲しいな。

 この日の夜営業も大繁盛だった。

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