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第27話 美しきカリスマ大隊長リエーレ


 ――邪紅竜が治めるという紅の大地。

 そこから東に位置する草原地帯に、聖風騎士団第二大隊の野営地があった。

 野営地の近くには、石畳で整えられた大きな街道がある。街道の先はミラ・ファトゥース――大陸有数の規模を誇る街だ。


 まだ太陽が地平線から顔を覗かせて間もない時間帯。

 野営地の中央部に、第二大隊所属の騎士たちが整然と並んでいた。

 彼らが一様に憧れの視線を向けるのは、演台に立つひとりの女騎士。


「おはよう。我が勇敢なる騎士の諸君」


 凜とした声が、朝の清浄な空気に溶けて騎士たちの耳に染み渡る。隊列のあちこちで、無意識に姿勢を正し顎を上げる者たちが続出した。


 そんな彼らの様子を、女騎士は眉一つ動かさず睥睨へいげいする。


 彼女の名はリエーレ・アミシオン。


 聖風騎士団第二大隊の大隊長である。

 キッと前を向く彼女の立ち姿は、まさに生ける絵画。

 美しくたなびく銀の長髪。

 熟練の匠が細筆で描いたような眉目びもく

 一切の無駄がない引き締まったプロポーション。

 鍛え上げた人間だけが身につけることができる、安定と強さを醸し出す姿勢。

 彼女専用にあつらえられた鎧は、頑強でありながら女性らしい優美さも表していた。

 鞘に収めたまま杖のように突き立てた大剣は、大隊長の証でもある。


 凜々しく、強く、美しい。

 加えて、声まで魅惑的だ。


 第二大隊の騎士たちは、ほとんどの者がこう思っている。

 絵画か彫刻に血と魂が宿り、神の意志を代弁しているような、そんな奇跡を隊長から感じる――と。

 騎士たちの目は、ほとんど崇拝に近いものだった。


 リエーレは一拍おいてから、続けた。


「日々の鍛錬、ご苦労である。その奮闘と献身を私は誇りに思う。明日はいよいよミラ・ファトゥースへと入る。そこでコンクルーシ魔法学園への慰問を行うのが、我々の任務だ」


 大隊長の口調がわずかに柔らかくなる。


「これはただの慰問ではない。未来を担う若者たちに向け、我らが如何に戦い、如何なる決意を持って国を守っているかを示す重要な機会である。いわば、我々の生き様を見せる場だ。それはただ魔物と相対するときとは違う困難さを伴うだろう」


 だが、私は何も心配していない――とリエーレは言った。


「私は知っている。ここに集った諸君は常に勝利をもたらし、誇りを持って使命を背負い、そして人々に安寧を届け続けた勇者であると。その諸君らに、私は期待する。諸君らが私の理想とする騎士であり続けることを。その姿を若人たちに示し続けることを。聖風騎士団に栄光あれ!」

「聖風騎士団に栄光あれ! 聖なる剣に正義の風を!」


 訓示を締めくくったリエーレに、騎士たちの唱和が波のように押し寄せる。


 第二大隊に与えられている今の任務は、コンクルーシ魔法学園への慰問と、ミラ・ファトゥース駐留部隊との合同訓練。

 つまりは、平時の動きだ。


 にもかかわらずこれだけ高い士気を維持しているのは、ひとえにリーダーたるリエーレのカリスマ性の賜物だった。


 唱和の熱が収まりきらないまま、リエーレは演台を降りる。

 隊長専用の天幕へと歩いている最中、彼女に駆け寄る数人の騎士がいた。

 リエーレはわずかに眉をひそめる。整列していた騎士と違い、鎧が土埃にまみれていたからだ。

 彼らの表情は憔悴しており、不休でここまでやってきたことが伝わってくる。


 リエーレの補佐役をしている女性が声を荒げる。


「何をしているのですか! そのような姿でリエーレ様にまみえるとは、無礼ですよ!?」

「よい。彼らは紅の大地に派遣していた選抜隊だ。鎧の汚れはむしろ任務を忠実にこなした証。――水を」


 補佐役を宥め、水を取ってこさせる。

 隊長自ら差し出した水筒を受け取り、恐縮しつつも一気に飲み干す騎士たち。

 リエーレは言った。


「しかし、優秀な騎士として選抜された君たちがそのような姿で戻ってくるとは」

「はっ……。申し訳ありません、隊長」

「謝罪はいい。報告を頼む」


 ようやく息をつけた騎士たちが報告する。

 その内容を聞いたリエーレは目を剥いた。


「紅の大地で、魔物の暴走……?」

「はい。我々はこれまで幾度か彼の地に足を踏み入れましたが、あのように凶暴化した魔物は初めてです。邪紅竜の眷属とは違い、本来は人間にすら手を出してこない臆病な種族であったはずなのに……」

「しかも、それらを討伐した先で遭遇した謎の人物に、一瞬で打ちのめされてしまったと」

「返す言葉もございません」

「……なるほど。厄介極まりないな」


 呟くリエーレ。

 周りで報告を耳にした他の騎士たちがざわめき出す。


「紅の大地で異変だと?」

「近年は大人しくなっていたと聞いていたが、いよいよ邪紅竜が動き出したのか」

「紅の大地の王といえば、これまで数々の勇者を返り討ちにしてきた歴戦の魔族。それが本気を出してきたとなれば、シルヴァントは一体どうなるのか……」


 口々に不安と懸念を口にする騎士たち。

 リエーレは静かに立ち上がり、彼らの顔を見回した。


「鎮まれ!」


 一喝。

 これにより、周囲の騎士たちは一気に姿勢を正した。動揺を表情から追い出し、彼らはリーダーたるリエーレを見る。

 聖風騎士団第二大隊隊長の怜悧な顔は、いささかも揺らがなかった。


「久しく動向が聞かれなくなっていた紅の大地。そこに住む魔物どもがにわかに活性化したのなら、由々しきことだ。しかも、これは初めてのことではない。異変は立て続けに起こっている」

「あっ……!?」

「そうだ。つい先日も、グレフ副隊長が率いる先遣隊に若き騎士の犠牲者が出た。さらに学園の生徒が紅の大地の外縁で保護されたという情報もある。放置はしておけぬ」


 リエーレは大剣を地面に突き刺した。『方針を決めた』という意思表示である。


「訓練はここで切り上げる。我々第二大隊は、これより紅の大地の調査に向かう。もし魔物の暴走が確認された場合は、総力を持ってこれを討伐する」

「はっ!」

「街道も学園も近い。人々の生活を脅かすような真似を、これ以上許すな! いいな!」

「はっ!! 聖風騎士団に栄光あれ!!」


 士気を高めた騎士たちが、各々の持ち場に散っていく。報告に来た傷ついた騎士たちは、衛生団員に連れ添われ天幕へと歩いていく。


「リエーレ様」


 ふと、補佐役の女性騎士が進言してきた。


「明日はコンクルーシ魔法学園への慰問日となります。我が第二大隊とリエーレ様の威光を広める絶好の機会。どうかリエーレ様は、このままミラ・ファトゥースのコンクルーシ魔法学園へ向かってください。隊の指揮は別の人間に任せましょう」


 その提案に、リエーレの動きが止まる。

 数秒の間があった後、彼女は振り返った。


「そんなことはできない。ミラ・ファトゥースの人々、学園の生徒たちの安全と平穏を守るのが、我々本来の仕事だ。私が隊を率いる」

「リエーレ様は我らの希望であり太陽でございます。あなた様が多くの国民や生徒たちに認められることこそ、私の喜びでもあるのです」

「くどいぞ。個人的感情を持ち出すな」

「……は。差し出がましいことを申しました。お許し下さい」

「よい。それにしても、今日は『よい』を連呼しているな」


 リエーレは、俯く女性騎士の肩に手を置いた。


「お前の気遣いは受け取った。ありがとう」

「リエーレ様……! はっ。勿体ないお言葉でございます!」

「うん。さて、私も準備してこよう。すまないがいつもの通り、しばらくひとりにしてくれ」

「かしこまりました。何かありましたらすぐにお呼び下さいませ」


 メイドよろしく深々と頭を下げる女性騎士。

 彼女を尻目に、リエーレは自らの天幕に向けて歩き出した。

 一軒家ほどありそうな立派な天幕に入ると、入口を閉じる。特殊な魔法がかけられた素材の天幕は、こうすると中の音をほとんど漏らさなくなるのだ。

 ここはリエーレ専用の個室。

 世話役と言えど滅多なことでは入れない天幕内は、騎士たちの間で『聖域』と呼ばれていた。


 聖域内に入ったリエーレは、隊長の証である大剣を武器置きに立てかけ、鎧を脱いだ。手水で顔を洗い、そのまま何度も両手で顔をこする。

 まるで、厚く塗り固また化粧を落とすかのように。


 顔に水滴の滴るまま、リエーレは顔を上げた。

 聖風騎士団のカリスマにはいくぶん不釣り合いな、無骨でくすんだ鏡が目の前にある。


 それを見た途端――リエーレの顔がくしゃりと歪んだ。


 居並ぶ騎士たちを鼓舞し、補佐役の女性騎士を虜にしたあの凜々しい隊長の顔が、自信なさげな・・・・・・ひとりの女性・・・・・・の顔へと一気に変貌する。


 彼女は、落ち込んでいた。


「私は」


 口元に手をやる。


「またあんな大言壮語を……」


 ずるずるとその場にしゃがみ込んでしまうリエーレ。

 心なしか、美しい銀色の髪先がしおしおになっているように見える。まるで干からびた野菜だ。


 その姿からは、第二大隊隊長の凜々しさは影も形もなくなっていたのである。


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