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第28話 リエーレのウラオモテ


 ――リエーレ・アミシオン。21歳。

 若くして聖風騎士団第二大隊を率いる、勇猛かつ才知溢れる天才。美しき戦乙女。

 数々の美点を持ち合わせる彼女だったが、ふたつ・・・、周囲の皆が気付いていない特徴がある。


 ひとつは、重度のあがり症・・・だということ。


「ああもう。まだ心臓がバクバクいってる。私ったら、どうして最後の最後まで平気でいられないんだろう。皆の前で大言吐いたなら、そのまま割り切ってしまえばいいのに。私の馬鹿」


 鏡の前でへたり込んだまま、胸に手を当てるリエーレ。

 グチグチと小声で文句をたれる様子は、カリスマ大隊長からはほど遠い。ただ、年相応の女性としてはまったく違和感がない。


 リエーレは名家の生まれで、幼くして才覚を発揮していた。

 勉学、剣術、魔法、馬術、弁論術、指揮能力。

 エリート騎士として求められるあらゆるスキルを、彼女は溢れる才能と絶え間ない努力で身につけていった。


 だがここまでなら、リエーレも『数居るエリートのひとり』で収まっていただろう。


 そこから彼女を『一握りのカリスマ』たらしめたのは、リエーレが持つもうひとつの特徴。


「……ダメだ、リエーレ・アミシオン。この弱音は大隊長として吐くべき言葉ではない」


 立ち上がり、鏡を睨み付けながら表情を作る。


 リエーレは、真面目・・・だった。

 ただの真面目ではない。

「こうあるべき」と考えたなら、自らの人格すら歪めて「あるべき姿」を求めるほどの、度を超した真面目さを持っていたのだ。

 あがり症なはずの自分を、無理矢理理想の騎士像に仕立て上げてしまうのがその表れ。


 しかし、ひとりきりで落ち着ける環境になると、こうして地が出てしまう。

 リエーレはそれを煩わしく思うと同時に、自分を完全に見失うことに恐怖を抱いてもいた。

 そのためか、リエーレはあえて使い古した馴染みの鏡を持ち歩く。

 昔の自分、本来の自分を忘れないように。


 ――少し、落ち着いてきた。


 リエーレは身軽な格好になると、簡易ベッドの上に腰掛けた。

 気持ちを切り替えるように、とりとめのない記憶に思いを巡らせる。


「コンクルーシ魔法学園かあ。懐かしいな。……行きたかったな」


 自然と呟きが漏れた。


 コンクルーシ魔法学園は名門のため、名家出身であるリエーレも通っていたのだ。今回の慰問話は、彼女が学園の卒業生という縁もあって実現したことだった。


 本心では、慰問に行きたかった。

 そしてしばらく休暇を取り、学園周辺でのんびりしたかったのだ。

 気の置けない友人はほとんどいなかったが、買い物したり、散歩したり、本を読んだりした時間は、リエーレにとってかけがえがないものだった。


 どうせなら今のようなカリスマリーダーではなく、学園の警備員くらいが自分の性に合っている。国ではなく、身近な平和をちまちまと守るくらいがちょうどいい。


 そんな、叶わぬ夢を抱く程度には学園に思い入れがあるのだ。


「そういえば、サフィールさんは元気にしてるかな」


 ふと呟く。


 サフィールはリエーレ在学当時、学園に所属する研究者だった。魔法全般に通じていたが、特に土属性魔法と希少植物に関する研究に熱心だった。

 それをリエーレは純粋に素晴らしいことだと思っていたが、当時の学内の雰囲気では土属性魔法は地味なものだとされ、敬遠されがちであった。おそらく今もそうだろう。

 ましてやサフィールの能力からすれば、他の研究でも十分な成果が出せそうなところ、あえて地味な研究にこだわった彼女は、周囲から奇人・変人の烙印を押されていた。


 そんなサフィールに、リエーレは恩がある。

 実は学生時代のとある時期、リエーレは一時的に引きこもりがちになっていたのだ。

 当時は多感な年齢で、自分の特性も上手くコントロールできず、人知れず苦しんでいた。


 そんな彼女を、サフィールは救ってくれたのだ。

 同じ奇人同士、お互いフラットな態度でやっていこう――という、今から考えれば少しおかしな理屈で。


 それでも、リエーレの気持ちはだいぶ救われたのだ。

 おかげで精神的な不調を短期間で乗り越えられ、周囲にリエーレの弱点を知られずに済んだ。

 あのときの経験がなければ、今頃リエーレは何か致命的な間違いを起こし、大隊長の地位にはついていないだろう。騎士にすらなれなかったかもしれない。

 そうなれば、実家を追い出されていた可能性だってあった。

 今回、慰問にかこつけて久しぶりにサフィールと会って話したいと思っていたのだ。


「そういえば、サフィールさんには姪っ子ちゃんがいるって聞いてたな。確か……ティエラちゃん、だっけ。同じ土属性魔法を操る優秀な弟子なんだって手紙に書いてたけど、元気にしてるかしら」


 ちらりと鏡を見る。そこには穏やかな表情の女性リエーレが映っている。


「会うのを楽しみにしてたけど……この状況じゃあ無理そうね。本当、残念」


 長く息を吐きながら、気持ちを落ち着けていく。

 これが彼女なりの、『仮初めの自分』に飲まれないためのルーティンであった。


 そのとき。


「失っ礼しまーす。リエーレ隊長殿、そろそろよろしいですかー?」


 天幕の外から呼びかける声があった。リエーレの天幕に近づけるのは副長ほか限られた人間のみだ。

 軽薄なその口調にリエーレはほんのわずか眉をひそめる。

 軽く咳払いをひとつ。彼女は表情と声を作った。


「グレフ副隊長か。わかった。1分待ってくれ」

「了解。しかし隊長殿、そんなに急がなくていいんですよー。美人さんは身だしなみをしっかりすることも大事な仕事で――」


 天幕の外でペラペラと楽しそうに喋るこの男は、グレフ・ドウァール。聖風騎士団第二大隊の副隊長のひとりである。

 良くも悪くも飄々とした性格で、この隊の中でリエーレに対し最もあけすけな態度で接してくる男だ。

 リエーレを信奉する騎士たちからはその馴れ馴れしさに反感を持つ者も多いが、一方で彼に忠実に従う騎士たちも一定数いる。

 ひとえに、副隊長に見合うだけの実力を彼が備えているためだろう。


 リエーレは、グレフが苦手だった。

 彼女の特性からして、グレフのような男は貴重で、打ち解けても良さそうなものなのだが、リエーレはなかなか心のガードを外す気になれない。

 なぜなのかは、彼女自身も言語化できなかった。


「副長。ずいぶんと元気だな。相変わらず」

「え? まあそうですね。それがオレの取り柄ですから。長所は活かし伸ばさないと」

「お前は部下を失ったばかりだ。ずいぶんと切り替えが上手いなと感心している」


 少々、嫌味な口調になった。

 グレフ率いる選抜隊は、紅の大地の警戒監視中・・・・・崖崩れに遭遇・・・・・・し、貴重な若手騎士をひとり失ったと報告を受けている。

 しかし、グレフはいつも通りの態度だ。


 グレフのお喋りが数秒止まった。

 ふと、小さな呟きが天幕越しに伝わってくる。


「……ら……る……」

「……? グレフ副長、何か言ったか?」

「いえ、なーんにも。お着替えの邪魔のようですし、オレはあっちで待機しときますねー」


 ころりと態度を変え、グレフが言う。


「あ、そうそう。リエーレ隊長もさ、たまには肩の力を抜いた方がいいっすよ」

「余計なお世話だ」

「へいへい。では、また後ほど」


 そのまま、足音は離れていった。

 天幕の周辺から人の気配がなくなってから、リエーレは長い息を吐いた。

 改めて鎧を着込み、鏡の前に立つ。


「肩の力を抜くなんて、とんでもない」


 大隊長の顔になったリエーレは、鏡に映る自らに語りかける。


「そうだ、この顔だ。自分は騎士としてこうあるべきなのだ」


 一言一句、力強く言う。まるで大きな魔法を使う際の詠唱句のように。


 しばらく目を閉じ、開く。鏡に映った自分の顔が、なおも大隊長のそれであることに「よし」と頷き、リエーレは踵を返した。


 直後――その場に膝を突く。


 強烈な目眩に襲われた。地面が揺れる。息が荒くなる。

 さらに――。


「……うっ!?」


 口元を押さえる。

 喉の奥から湧き上がってくる不快なもの。

 猛烈な吐き気に襲われ、リエーレは声を抑えて悶えた。世話係に心配させるわけにはいかない。涙目になりながら、口から吐瀉物を漏らすことだけは我慢する。


 何とか吐き気をやり過ごし、彼女は荒い息をついた。

 よろよろと立ち上がり、手水で顔の汗を流す。鏡は怖くて見ることができなかった。


 ――それが精神的なプレッシャーから来る不調だということを、リエーレは敢えて考えないようにしていた。


 やがてリエーレは天幕を出る。その頃には、ほぼいつものカリスマ大隊長様の顔つきに戻っていた。鋼の意志と自らを偽る惰性の賜物であった。


 ただ、ほんの少しだけ顔色が青くなっているのは隠せない。

 彼女は叫んだ。


「さあ、出陣だ!」


 雄々しく呼応する騎士たち。


 そこから少し離れた場所で、グレフが腕を組みながら彼女の横顔を眺めていた。

 誰にも聞こえない声で、彼は呟く。


「今に見ていろ。必ずあんたをその場所から引きずり下ろす」

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