「……。実際に見た方が早い」
ガルトーが歩き出す。
その先には、彼の家がある。洞窟内に雄々しく根を張る大木の中程に作られた、木製の家だ。あれも精霊魔法の賜物だろう。
ハーフエルフであるガルトーは、木の匂いが落ち着くらしい。
一方で、洞窟探索と鉱物採取も趣味というのだから変わっている。俺と同じだ。
アムを木の根元で休ませる。
木製のハシゴを登り、俺たちは家の中へ。
自身の外見にはこだわりのないガルトーだが、家の中は小綺麗に整っていた。ここに置いてある調度品は、すべてガルトーの自作だ。
丁寧に研磨された木のコップを見て、ティエラが興奮したように言う。
「どれも綺麗でかわいい……。ガルトーさん、すごいです!」
「……どうも」
家の中に招き入れたことで、少し苦手意識がほぐれたのか。ティエラの裏表のない賞賛に、ガルトーは少しだけ照れくさそうだった。
だが、俺はティエラほど暢気ではいられない。同じ感想はフィアも抱いていた。
俺の右腕たるサキュバスが耳打ちしてくる。
「ヴェルグ様。血の臭いがします」
「ああ。わかっている」
おそらく『これ』が相談事の中身だろう。厄介事の気配しかしない。
ガルトーは真っ直ぐ奥の部屋へ向かう。寝室のようで、壁際にベッドが設えられている。
そこに、ひとりの人間が眠っていた。
さっきまで輝いていたティエラの表情が一気に曇る。
「あれは……」
「人間の男だな。それも、まだ若い。お前よりと同じくらいではないか、ティエラ」
「そう、ですね。あの、ヴェルグさん……もしかして、あのシーツの汚れって」
恐る恐るティエラが尋ねてくる。俺は言った。
「血だな。かなりの深手のようだ。フィア」
「かしこまりました」
フィアが枕元に進み出て、シーツをめくる。応急処置はされているようだが、滲んだ血が衣服やシーツを赤黒く染めている。
わずかに眉をひそめた後、フィアは治癒魔法を発動させる。彼女は短く所見を述べた。
「背中側に重傷を負っていますね。おそらく斬られた痕です。しかも太刀筋に迷いがなく、鋭い。ただの野良魔族や野盗の仕業ではないでしょう」
「治るか?」
「8、2で無理です。というより、本来ならとっくに絶命しているはずの出血量ですよ。むしろなぜ生きているのです、この者は」
「ガルトー」
「……わからない」
俺はため息をついた。
これが『相談事』か。
しかし、なぜ素性もわからぬ死にかけの男をベッドまで引っ張り込んできたのか。
洞窟の入口から居間までの間に血痕は見当たらなかった。おそらく、精霊魔法を使って丁寧に運んだのだろう。
あのガルトーが、なぜそこまで?
「ヴェ、ヴェルグさん! ちょっと、これを見て下さい!」
ふと、ティエラが声を上げた。彼女はベッドと反対側の壁を指差している。
そこには、血に汚れた鎧が立てかけられていた。俺は眉をしかめる。胸部に刻まれたあの紋章は――。
「あれ、聖風騎士団のものですよね? ということは、この子、聖風騎士団の騎士さん……?」
おそらくそうだろう、と俺は頷いた。
ティエラもあの騎士団のことは知っているようだ。
「聖風騎士団って、エリートの集まりだって聞いてます。そんな人がこんな紅の大地の奥地で、こんな大怪我をしているなんて。いったい、どうして」
「ガルトー。説明してくれるな?」
「……無論」
相変わらず陰気な喋り方をするガルトー。しかし、今はどこか悲痛さも感じさせた。
「……閣下から手紙が届く少し前のことだ。いつものように鉱物採取に近くの岩場へ出かけた。すると、この青年が血だらけで倒れていた。事情はわからない。自分が見つけたときには、すでに意識を失っていたからだ。そして精霊魔法で少年を保護し、家まで運んだ」
「まあ。そうだったんですか。でも、さすが元勇者様ですね。こんな大怪我をしている人を、放ってはおけませんもの」
ティエラは純粋に感心する。だが、俺はガルトーが視線を逸らしたのを見逃さなかった。
「ガルトーよ。俺が知りたいのは、なぜ『お前』がこの男を助けたか、だ。お前が情に篤い男だというのは知っている。だが、人間の血で自分の寝所が汚されるのを甘んじて受け入れるほど、お前は心を開いていないはずだ」
「……似ていた」
「なに?」
「……この者が、自分の腹違いの弟に似ていた。勇者としての旅立ちを、唯一心から喜んでくれた人間だ」
ぼそりと、心の錆を吐き捨てるように呟くガルトー。
ティエラが驚く。
「すごい偶然ですね! まさか弟さんと再会するなんて」
「……違う」
「え?」
「……弟は、人間だった。もう何十年も経っている。年齢的に、この青年ではあり得ない。すでに弟は家庭を築き、幸せな余生を送り、そして土に還っているだろう。自分は葬儀にも参列できなかった不人情な男だ。しかし」
「もしかしたらこの者は弟の血縁かも知れない。かつての恩を返すことになるならと助けた――そういうことか」
俺が言うと、少し間があってガルトーが頷いた。
それからガルトーと目線が合う。その瞳に宿る葛藤を俺は感じ取ることができた。同時に、彼の相談事の内容をおぼろげながら理解する。
俺の推測を証明するかのように、ガルトーが深く頭を下げた。
「……このようなことを閣下に願い出る立場ではないとわかっている。だが、どうかお願いだ。閣下の元で、彼を保護してもらえないだろうか」
「敢えて聞くぞ、ガルトー。なぜお前の所で保護しない? 環境から言えば、お前の居住地の方が人間にとっては住みやすいと思えるが」
「……精霊たちが、ざわめている」
ガルトーの一言に、俺は片眉を上げた。
「……この青年もそうだが、紅の大地に何やら大きな力の蠢きを感じる。もし、彼がこの蠢きに関わっているのなら、自分ひとりでは彼を守り切れない」
「なるほど。それでこの邪紅竜ヴェルグに庇護を求めたか」
「……頼む。その代わり、閣下が望むものは何でも揃えると約束する。領地復興に向けて、全力で働くと誓おう」
今日、もっとも熱の入った口調で訴える。
そしてガルトーは、その場に膝を突き、額を床にこすりつけた。
「……どうかこの子に、救いの手を」