木造の部屋に、沈黙が降りる。
ティエラとフィアが俺を見つめてきた。
彼女たちをちらりと見遣ってから、俺はガルトーに向き直る。
「ガルトー、顔を上げろ」
ワンテンポ置いて従ったガルトー。俺は告げた。
「お前の願い、聞き届けた。青年の身はこの邪紅竜ヴェルグが預かろう。安心するがいい」
「……本当か?」
「二言はない。なんだガルトー。疑うのか?」
「……そんなことは」
ガルトーは大きく息を吐いた。それからじっと俺の顔を見つめてくるので、俺は首を傾げた。
「何だ?」
「……いや。閣下は少し変わられたかと。穏やかになった」
「穏やか、か。なるほど。そうかもしれんな」
口元に笑みを浮かべて答える俺。
それから、この謎の青年を連れ出すための準備を行う。
フィアが治療を続ける一方で、俺とティエラで青年の持ち物を調べた。彼の身元や、この怪我の原因が何か分かるかも知れないと思ったためだ。ガルトーには、青年を乗せる荷台や物資を用意してもらっている。
「あ! ヴェルグさん、これ!」
ティエラが声を上げる。
彼女が探っていたのは、鎧にくくりつけられていた小さな荷物袋だ。
その中から、折りたたまれた紙を見つけたのである。
触っただけでわかる上質紙。俺は中を開いた。
ティエラが横から覗き込み、困ったように眉間に皺を寄せた。
「辞令?」
「どうやら、この男の配属先に関する書類のようだな。『ブエル・ライダン、聖風騎士団第二大隊、特別潜入部隊への配属を命じる』か」
「ブエルさんっていうんですね。名前がわかってよかったです!」
無邪気に喜ぶティエラの横で、俺は顎を撫でて『辞令』を睨む。
騎士団の決まり事など俺は知らない。だからこれが正式な書類なのか判断のしようがない。
だが、どうにも簡易に過ぎると思った。
俺が難しい顔をしているので、ティエラが再び書類を覗き込んでくる。すると、その目が何かを見つけて細められた。
「あれ? この最後のサイン……『リエーレ・アミシオン』……?」
「この書きぶりを見ると、第二大隊を統べる司令官のようだな。どうしたティエラ。何が気になる?」
「あ、いえ。私も騎士団の皆さんの決まり事はまったく知らないので、見当違いかもしれないんですが……」
そう前置きしてから、ティエラは遠慮がちに言う。
「その、リエーレ様のサインが、本当にリエーレ様のものなのかな、と。よく似てるんですけど、ちょっと違うというか」
「なに? ティエラ、お前はリエーレとやらのサインを見たことがあるのか」
「はい。実は、リエーレ様はサフィール叔母さまの教え子でいらっしゃって。特にリエーレ様の方が叔母さまを慕っていたので、私もあの方によく気にかけて頂いたんです」
サインもそのときに、と彼女は言った。
「で、でもわかりませんよ? そういう風習が騎士団の中にあるかもしれませんから」などと、自信のないティエラは予防線を張るが――おそらく彼女の懸念は当たっているだろう。これは俺の勘だ。
なるほどな。
致命傷を負いながらも生き延びた若い騎士。
辞令の微妙な違和感。
紅の大地にずけずけと踏み込んできた
まさかとは思うが、
情報が必要だ。
「ティエラ。知り合いのお前なら、このリエーレという人間と話をすることはできるか?」
「む、無理ですよ。あの方は聖風騎士団の大隊長さま。一般人で学生の私がおいそれとお会いできる人じゃないですよぉ。――あ、でも」
そこで思い出したように顎に指を当てるティエラ。
「リエーレ様、近々コンクルーシ魔法学園に慰問に来られると聞きました。だから、紅の大地の近くには来ているはずです。マリーさんとリーナさんも、慰問に来たリエーレ様に聖剣を直接手渡ししたいと言っていましたし……」
「つまり、放っておいても向こうから本人がやってくる可能性があるわけだ。ちなみにティエラよ。リエーレはどんな人間なのだ」
「素敵な女性ですよ。皆の憧れです。騎士のことをよく知らない街の人でも、リエーレ様のことは知っている人は大勢いらっしゃいますから」
にっこり笑って誇らしげに答えるティエラ。
「清廉潔白、文武両道、圧倒的な美しさとカリスマ。あの若さで大隊を統べるのも納得です! まさに理想のお姉様ですね!」
「ふぅん」
そう呟いたのは治療中のフィアである。
俺はすかさず「治療に集中しろ」と言った。フィアは頬を膨らませていた。また拗ねてやがる。
「もちろんフィアお姉様も素敵ですよ?」とティエラが混じりけのない笑みを浮かべて言うと、「ふぅん?」と返事がきた。さっきより機嫌が良さそうだ。子どもか。
「それほど完璧な人間なら【貪欲鑑定】の出番はなさそうだな」
「はい! リエーレ様が味方になってくれたら、これほど心強いことはありません!」
【貪欲鑑定】の効果をいまいち理解していないティエラが声を弾ませる。
「それにヴェルグさんなら、リエーレ様の良き理解者になれると思うんです!」
「待て。理解者とはどういうことだ? お前の話なら、リエーレは他人の助けなど不要な超人なのだろう?」
「あ、話してなかったですね」
ティエラは言った。
「前にサフィール叔母さまから聞いたんです。リエーレ様はああ見えて色々抱え込む人だから、頼りになる支えが必要だって」
「ほう」
それはつまり、完璧超人にも欠点があるということか?――その台詞を、俺は飲み込んだ。