荷を下ろし終わると、荷台からアムを解放してやる。健脚優秀なこの馬は、「まだ仕事はないか?」と俺の周りをぐるぐる回り始める。可愛い奴め。
「あの、ヴェルグ陛下。『彼女』はここで放し飼いなのですか? 厩舎は」
「ない。建ててやりたいが、技術と人手が足りない」
「そう、ですか。少し、気の毒だな」
ぽつりとブエルが呟く。青年騎士の言うことはもっともだ。俺も同感で、早めに何とかしてやりたいと思っている。
アムの首筋を撫でていた俺は、ふと気付いた。
「ブエルよ。お前、アムが
「え? ええ。騎士になる前は、よく馬の面倒を見ていたので。僕は、実家が職人工房で。荷運びに使う馬の世話は僕の役割だったんです」
「実家が職人工房」
俺はブエルと向き合う。
「もしかして、厩舎を建てることもできるのか?」
「さすがに隊舎にあるような立派なものは無理ですが、簡易的な馬小屋であれば……。もちろん、必要なものが揃っていればですけど」
「なるほど。それはいい」
「え? ヴェルグ陛下?」
困惑するブエルの肩に手を置く。
「ブエルよ。傷が癒えたのなら、小屋の建設を頼めないか? もちろん、必要なものはこちらで用意しよう」
「ちょ、ちょっと待って下さいよ!」
俺の手を払い、ブエルが後ずさる。
「そんな、今更職人の真似事なんて」
「真似事?」
「……僕は実家が嫌で、苦労して憧れの騎士になったのに」
「なるほど、それで『今更』か」
苦笑する。これは、魔族と人間の時間感覚の違いなのかもしれないな。
葛藤している様子の青年騎士に俺は言う。ティエラのときを思い出しながら。
「ブエル。できることがあるのに、何を躊躇う必要がある? 今更だと思うなら、今から始めれば良かろう。数年もすれば『今更』なんぞ思わなくなる。『再起』は人間の得意分野じゃないのか?」
「そ、そんなこと考えもしなかった……」
「騎士であること重視するお前の矜持は尊重しよう。だが、今この場において、一番お前に適性があると告げることは、それほど悪いことではないだろう? つまり、自信を持てと言うことだ。俺はお前を頼りにしようと思っている」
「陛下……」
ブエルは腕を組み、視線を逸らす。口元をへの字にしているのを見ると、どうしてもプライドが許さないらしい。
まあ、それもよかろう。
人間への説得が一朝一夕でいかないことは、すでにティエラで学習済みだ。いざとなれば、ガルトーに頼めば良い。
「ブエルさん、私からもお願いします!」
ふと、ティエラが作業の手を止めてこちらにやってきた。ブエルの手を取り、真正面から青年騎士の目を見つめる。
「物を運ぶだけなら私にもできるけど、実際に建物を建てるのは専門知識と技術が必要なんです。ブエルさんにそのスキルがあるなら、ぜひ、力を貸して下さい! ヴェルグさんや、アムちゃんのために!」
「んむぅ。ティエラちゃんも、その方が嬉しいのかい?」
「? はい! 嬉しいです!」
小首を傾げつつも、満面の笑みで答えるティエラ。
ブエル青年は「そっか」と呟いた。満更でもなさそうな表情で何度も頷いている。
俺に向き直ったときには、先ほどまでの葛藤はすっかり鳴りを潜めていた。どことなく紅潮した表情で請け負う。
「わかりました! 僕にできることなら、やります!」
「よろしい。期待している」
「……現金な男」
隣でフィアがぼそりと呟いた。幸い、ブエルには聞こえていないようだった。
「フィアお姉様。現金って?」
「それはね」
ティエラの疑問にフィアがさらりと答えようとする。俺は「それ以上は言ってやるな」と右腕サキュバスをたしなめた。やる気になれるのなら良いことだ。わざわざ凹ませる必要はあるまい。
――その後、俺はブエルを紅竜城の内部まで案内した。
フィアの治癒魔法のおかげか、しっかり自分の足で歩けるくらいには回復したらしい。
まあ、ただの人間であればこうはいかなかっただろう。ブエルの中に眠るであろう『何か』は、依然として大きな影響を与えているということだ。
とはいえ、城の入口までの道のりはそれなりにキツかったらしい。
途中、俺が抱きかかえて運んでやろうかと提案したが、ブエルは固辞した。ならばと、ティエラの土属性魔法で歩行を補助してもらえと提案すると、今度は強い口調で拒否してきた。
何を意地になっているのか。
あんまり強く拒否するものだから、ほれ、ティエラが若干凹んでいるぞ。フィアは完全に
勘弁して欲しい。
ティエラとは別の形で、人間の面倒くささを持ち込まないでもらいたいものだ。
そうこうしているうちに、紅竜城に到着する。
正面玄関から中に入ったブエルは、以前のティエラそっくりの反応を示した。
「すごい……。これが、かの有名な邪紅竜の居城。何て大きいんだ」
「ふん。そうだろう、そうだろう」
「あれ? でもよく見ると結構ボロボロ……」
「そういうところまでティエラと同じことを言わなくていい」
憮然とする俺。
おのれ。いつか必ず、お前たち人間が心から感服するような城にしてやるわ。
階段の手すりに額をぶつけながら、俺は再度決意を新たにする。
ふと、ブエルが城内を見回して不安そうに眉を下げた。
「陛下」
「……なんだ」
「その。僕を助けてくれたという方は、どちらに?」
「ああ、そうか。お前はずっと意識を失っていたのだったな。ガルトー――倒れていたお前を保護した男は、この城にはいない」
「え?」
目を丸くするブエル。
ガルトーは個人的な理由から、紅の大地にある洞窟にひとりで暮らしていると、俺は説明する。
「ブエルよ、お前は運が良かった。ガルトーの活動範囲に倒れていなければ、今頃お前は確実に干からびていた。いや、最近は下位魔物たちの動きも活発だから、水分が抜ける前に人相もわからないほど食い散らかされていただろう」
「へ、陛下。そんな具体的に言わないで下さい。背中に嫌な汗が出てくる……」
そう文句を告げた後、ブエルは俺をまっすぐ見上げた。
「いつか、ガルトー殿と会いたい。僕を助けてくれたことについて、直接お礼を言いたいのです。騎士として、筋を通さなければ」
「そこまで堅苦しく考える必要はないだろうが、よかろう」
俺は頷く。
「あやつもお前のことは珍しく心配していた。元気な顔を見せれば、安心するはずだ。ガルトーには未開洞窟の探索と、鉱物資源の提供を受ける約束をしている。近いうち、まみえる機会があるだろう」
階段に足をかけながら俺は言った。
「来るがいい。お前の居室に案内しよう。空き部屋はたんまりあるからな」
「恐縮です」
「ティエラの部屋の隣で構わんだろう。不満なら好きに決めるが良い」
「へ!? て、ティエラちゃんの!? 隣!!?」
「よろしくお願いしますね、ブエルさん」
「え、いや。あの。騎士として女性の部屋の隣というのは」
「ブエル。あなたの言うとおりです。自重しなさい。このエッチが」
その罵倒はサキュバスとしてどうなのかと思いながら、俺はさっさと階段を登っていった。