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第47話 強襲


 邪紅竜ヴェルグが心優しき青年騎士と心を通わせていたとき――。


 リエーレ・アミシオン率いる聖風騎士団第二大隊は、紅の大地の中心部に向けて進撃を開始していた。


 騎乗する騎士も、自らの足で歩く騎士も、皆緊張感を漲らせている。

 先遣隊として紅の大地に侵入した者たちが、大きな被害を受けて帰還したことは、すでに隊の中で共有されていた。


 いつ、どこから、どんな襲撃があるかわからない。

 油断すれば、自分たちも先遣隊のように不覚を取る。

 そんな意識のもと、聖風騎士団の精鋭騎士たちは五感と経験を総動員して警戒に当たった。


 しかし。


「静かですね」


 リエーレの側近である女騎士、シシルスがぽつりと呟いた。いつもは垂れ目が優しげな印象を与える彼女だが、このときは他の騎士と同じく、鋭い視線を左右にやっていた。


 馬上のリエーレは「そうだな」と短く首肯する。彼女もまた違和感を覚えるひとりだった。


 紅の大地に侵攻して、しばらく時間が経っている。にもかかわらず、今の今まで魔物の襲撃どころか、その姿すら見当たらないのだ。

 紅の大地と言えば、曇天と殺風景な岩場、それらの間をぬるりと行き交う重たい風が代名詞である。しかし今日のこの地は、風も穏やかで雲もやや薄く、陰鬱さが鳴りを潜めている。


 だからこそ、不気味だった。

 リエーレを始めとした部隊の首脳陣は警戒感を露わにする。歩みも慎重になる。進軍速度も緩やかにならざるを得ない。


 そんな中、ひとりだけ隊の空気を意に介さない男がいた。

 聖風騎士団第二大隊副隊長、グレフ・ドヴァールである。


「隊長殿。隊の進撃速度を上げませんか? これでは紅竜城にたどり着く前に、精神的に参ってしまいますよ。何より、張り合いがない。まったくつまらないことこの上ないです。そう思いませんか?」

「グレフ副長。我々はあの魔王四天王を討伐しようとここまで来たのだ。遊びではないぞ」

「わかっていますよ。しかし、もどかしさも理解してもらいたい。ウチの隊員の弔い合戦もまだなんだ」


 グレフがそう言うと、周囲の上位騎士たちは顔を見合わせた。

 いつもは飄々としているグレフがこのように血気盛んになるのは珍しい。彼の直属の部下は、いまだ遺体も見つかっていないのだ。

 騎士たちの顔には同情の色が浮かぶ。

 リエーレはグレフを見た。


「グレフ副長の心情は理解する。だが拙速な行動は許可できない。敵は強大だ。我々はこの戦力を保って目的地までたどり着く必要がある」

「なるほど。しかし、こんなノロノロ進行で果たして兵站が保つかどうか」


 どこか挑発的な副長のセリフに、リエーレが一瞬、口を閉ざす。


「副長。もう一度言う。我々は目的のために、この戦力を保つ必要が――」


 そのときだった。

 リエーレたちの背後で、大きな地響きが起こる。

 次の瞬間、巻き上げられた砂がリエーレたちを襲った。


「何事だ!」


 振り返って叫ぶリエーレ。部下からの報告を待つまでもなく、彼女は状況をその目で見た。

 砂嵐を起こしながら、巨大なワームが複数体、現れたのだ。


 エドモウトワームの群れ。


 普段は地中深くに潜っており、滅多に人前に姿を現さない。それゆえ、魔物との戦闘経験が豊富な第二大隊でも、エドモウトワームの情報は乏しかった。

 だが、珍しがっている暇はない。


 何の前触れもなく突如として地中から襲いかかってきたエドモウトワームは、後方の補給部隊の列を直撃したのだ。


 まるで時間を引き延ばしたかのように、人や馬や物資の残骸がゆっくりと舞い上がり、落ちてくる。

 それらは砂埃の海に沈み、嫌な音だけをリエーレたちにもたらした。


 第二大隊に動揺が走る。

 各隊がめいめい勝手に指示を飛ばそうとしているところ、リエーレは一喝した。


「鎮まれ! 各隊、態勢を整えろ! 無事な隊は負傷者の回収急げ!」


 皆の尊敬を集める隊長の美しい声が響くと、騎士たちはハッとしたように動き出した。訓練通り、魔物に相対する陣形を取りつつ、被害を受けた補給部隊の救出に向かう。


 リエーレも率先してエドモウトワームに対処しようと馬を走らせる。


 ――その足が、不意に止まった。


 彼女は見たのだ。

 エドモウトワームの強襲により破壊された物資の中に、リエーレ専用の天幕が含まれていたことを。

 もはや天幕の用をなさなくなった残骸の合間に、彼女がいつも持ち運んでいた鏡が、無残に砕かれた状態で散らばっている姿を。


 リエーレの頭脳が「今は捨て置け。指示を飛ばせ。部隊を救え」と訴える。

 だが、隊長として当然の思考は、リエーレの腹の辺りで重く沈んだ。


 天幕を失った。

 鏡を失った。

 リエーレ・アミシオンとしての自我を保つ術を失った。


 その事実がリエーレの精神を貫き、彼女に猛烈な吐き気をもたらしたのだ。馬を停め、無意識に口を押さえるリエーレ。

 率先して斬り込むものだとばかり思っていた周囲の騎士たちは、狼狽えてリエーレを振り返る。


 その代わりに先陣を切ったのが――グレフであった。


 彼の手には美しい斧槍セプティムが握られている。

 それが砂埃を切り裂き、エドモウトワームに襲いかかった。


「おりゃあああっ!」


 気合一閃。

 グレフの一撃は、自身の数倍はあるエドモウトワームの太い胴体を見事に両断した。

 彼は叫ぶ。


「いくぞお前ら! オレに付いてこい!」


 自らの存在を誇示するようにセプティムを掲げる。騎士たちの視線がそこに吸い寄せられる。

 グレフが新たに手に入れた武器は、それほどまでに美しく、存在感を放っていた。今、この戦場の主役が誰なのかを皆に思い知らせるほどに。


 騎士たちの思いを裏切らず、グレフはセプティムを存分に振るう。振るう度にエドモウトワームが大地に斃れ、無力化されていく。


 その気迫と突進力は、瞬く間に周囲の騎士にも伝播した。

 不意の襲撃で動揺していたはずの第二大隊は、グレフを中心とした騎士たちの活躍で、エドモウトワームをすべて討伐したのである。


 その間。

 リエーレは馬上で戦況をただ見守るだけであった。


「リエーレ様……」


 シシルスが気遣わしげに声をかけるが、リエーレは反応しない。反応できないでいた。


 やがて、戦闘を終えたグレフがリエーレの元までやってくる。あれだけ大立ち回りをしたのに、彼は汗一つかいていなかった。額に大粒の汗を浮かべるリエーレとは対照的であった。


 グレフはじっとリエーレの顔を見つめてから、ふといつもの笑みを浮かべた。


「状況報告といきたいところだが、どうやら我らが大隊長どのは存外お疲れのようだ」

「……」

「やはり、ご自身だけでもコンクルーシ魔法学園へ慰問に向かわれた方がよかったのでは?」


 挑発とも取れる物言いに、シシルスが気色ばむ。

 だが、側近の女騎士が口を開くより先に、リエーレが言った。


 いつもとはまるで違う、激しい口調で。


「違う! それ以上、言わないで!!」


 直後、ハッとして口を押さえるリエーレ。

 頭ではわかっていた。

 もっと理性的な対応をするべきだと。

 グレフの働きを労い、称えるべきなのだと。

 彼の安易な挑発など、軽く受け流せばいいと。


 リエーレは大きく深呼吸した。


「……すまない。少し取り乱した。グレフ副長、先ほどは見事な働きぶりだった。おかげで隊は救われた。礼を言う」


 口調を常のように改めるリエーレ。

 そんな彼女を再びじっと見据えてから、グレフはにっこり笑って応えた。


「いーえ。当然のことです」


 そして周りの騎士たちが驚く行動を取る。

 何と、リエーレの肩を親しげに叩いたのだ。

 まるで同僚か後輩に対するような態度に、騎士たちは息を呑む。リエーレがさすがに怒りを露わにしないかと思ったのだ。


 しかし、彼女は黙ったままだった。


 明らかに大隊長殿はいつもと様子が違う。

 そう感じた騎士たちは、やや不安そうな表情になっていた。

 あのリエーレがこんな状態で、果たして紅の大地を攻略できるのかと。


 では、当のリエーレは何を考えていたのか。


(ダメだ。頭の中がぐちゃぐちゃだ。余裕がなくなってる。冷静な判断ができない。抑えが効かなくなっている)


 必死に表情に出さないようにしつつ、彼女は激しく動揺していた。


 これまで上手くコントロールできていたはずのネガティブな感情。

 それがここにきて、抑えられなくなっている。


 きっかけは間違いなく、天幕が無残に破壊された光景を目の当たりにしたことだ。


(私は……このままで大丈夫なの?)


 自らに問いかける。答えは出ない。

 実はこの場でもっとも大きく強い不安を抱えていたのは、リエーレ本人であった。



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