聖風騎士団第二大隊は、部隊を立て直すためいったん進軍を止めた。
騎士たちが忙しなく行き交う中、リエーレは大きな被害を受けた補給部隊を視察した。
補給部隊の責任者が敬礼して報告する。
「被害は大きいですが、糧食を積んだ馬車が直撃を免れたのは幸いでした。万全ではありませんが、進軍は可能です」
「そうか」
部下の言葉に頷くリエーレ。
それから彼女は、破壊された馬車の残骸を見遣った。その目が見開かれる。
視線の先にあったのは、彼女が大事にしていた鏡の欠片だった。
それを拾い上げ、懐にしまう。服の上から鏡の欠片を手で押さえ、リエーレは沈鬱な表情を浮かべた。
駄目だとはわかっているのに、部下の前で暗い表情を見せてしまう。深呼吸して、怜悧な顔つきを作る。
それからリエーレは、別の天幕に移動した。彼女の側近の女騎士、シシルスと二人で腰を落ち着ける。
「リエーレ様。どうかご自分のスペースだと思って、おくつろぎください」
「ありがとう。シシルス」
「いえ。リエーレ様はこれまで働き過ぎたのです。どうか私の居る前でくらいは、肩の荷を下ろしてくださいませ」
気遣いを見せる部下に、リエーレは再度「ありがとう」と応えた。表情にもほのかな笑みを浮かべる。
だが――内心はそう上手く切り替えはできなかった。
(私の失態だ。襲撃で部隊が不意を突かれたのはまだ仕方ないとしても、その後の対応が悪かった)
リエーレは自分を責めた。同時に、シシルスにこれ以上の心配をかけないように、平静を装った。
弱味を見せられない自分。
動揺と不安を抑え込む意志の箍が外れかけている自分。
相反する自分に、リエーレは再び、強いストレスを蓄積させていく。それはシシルスにもわからせないほど静かに、深くリエーレの精神を抉っていった。
これほどの経験は、団長になってから初めてかもしれない。
「……リエーレ様?」
「いや、すまない。また考え事をしていた。まだまだ未熟だな、私も。ところでシシルス。このお茶は美味だな。どこの葉なんだ?」
「え? あ。はい、これは私の故郷の特産品なんです。村の中だけで消費される希少な品で。両親がことあるごとに送ってくれるのです」
「よき両親だな」
「はい。私は誇りに思っています。両親も、この茶も」
雑談によって、少しだけ気が紛れる。
これなら何とか乗り切れるかもしれない。
リエーレがそう考えたときであった。
「て、敵襲ーっ!!」
緊迫した騎士の声が天幕の中まで聞こえてきた。 反射的に立ち上がるリエーレとシシルス。彼女らは天幕の入口を跳ね上げ、外に出た。
すぐに状況を理解する。リエーレは唇を噛んだ。
「何てことだ」
呟く彼女の視線の先。
そこには、砂埃を上げながら襲いかかってくる何十体もの魔物がいた。
児童のような小柄な体つき、灰色の体色。
ピドーインプの群れだ。
リエーレと同じく百戦錬磨のシシルスが唸る。
「なぜピドーインプがこんなにも。あの魔物は、紅の大地において最弱の種族。人間にすら牙を剥くのは稀だというのに」
「こちらを休ませる気はないという意思表示なのかもしれん」
「まさか、邪紅竜がそこまで徹底して我らを狙っていると?」
リエーレは黙った。
冷静な思考が「それは違うだろう」と告げてくる。
リエーレはこの方面の大隊を預かる将として、邪紅竜についての知見を蓄えていた。
紅竜城に住まう邪紅竜は、1000年以上の時を生きてきた竜族で、魔王四天王の中でも古株。魔王の命令で聖剣ルルスエクサを人間から守っている。
その力は強大無比。これまで何人もの勇者が邪紅竜に挑んできたが、ことごとく敗れている。
ただ、邪紅竜が城を出ることは滅多にないという。
また、邪紅竜と対峙した勇者たちの中には、彼は敵として非常に紳士的であったと証言する者もいた。そうした話は上層部の間でのみ共有され、一般の騎士たちは知る由もないことだが、少なくとも、卑怯な手段を多用する相手ではないことは確かだ。
そんな憎らしいほど強い敵が、なぜ今回に限ってこのような手段を執ってきたのか。
それだけこの第二大隊を危険視した証なのか。
リエーレは懐疑的だった。
もしかしたら、この相次ぐ魔物の襲撃は、邪紅竜の手によるものではないかもしれない。
「リエーレ様?」
「何でもない」
リエーレは言った。
いつもであれば、冷静な思考をシシルスと共有しているところだ。だが、自分の精神状態に自信が持てなくなっていたリエーレは、結論を口にするのを控えた。
代わりに、剣を抜く。
「いくら弱い魔物といえ、これだけの数が揃えば脅威だ。迎え撃つぞ」
小手を身につけた手で、ぎゅっと剣の柄を握る。
「頼むぞ、私の身体」とリエーレは祈るように呟いて、ピドーインプの群れへと走った。
ピドーインプたちは、自らの力の弱さをまったく顧みず、遮二無二突っ込んでくる。
その目が、ギラギラと血走っているのを見た。
いつもならば、ピドーインプごときの威圧感などものともしないリエーレ。
このときは、ほんのわずか肩に力が入った。
「はあああっ!!」
自らを鼓舞するように気合いの声を上げ、剣を一閃する。
鍛え上げられた刃は、ピドーインプをひどくあっさりと両断した。手応えが鈍く手に残る。
リエーレはまるで新兵のように口元を引き上げた。よし、いける。私は大丈夫だ――。
雑魚を狩ることで自信を取り戻そうと、リエーレは次なる魔物に狙いを定める。
腰だめから、一閃。
その一撃は、拳を振り上げたピドーインプの片腕を切り飛ばした。
リエーレの目が見開かれる。
(剣筋が……ズレた? この私が?)
心の中で動揺。
身体はこれまでの鍛錬の成果を見せ、返す刃でピドーインプの首をはね飛ばした。
リエーレは眦を決する。
「いや、まだだ。こんなものではない。いいわけがない!」