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第48話 懊悩への追い打ち


 聖風騎士団第二大隊は、部隊を立て直すためいったん進軍を止めた。

 騎士たちが忙しなく行き交う中、リエーレは大きな被害を受けた補給部隊を視察した。


 補給部隊の責任者が敬礼して報告する。


「被害は大きいですが、糧食を積んだ馬車が直撃を免れたのは幸いでした。万全ではありませんが、進軍は可能です」

「そうか」


 部下の言葉に頷くリエーレ。

 それから彼女は、破壊された馬車の残骸を見遣った。その目が見開かれる。


 視線の先にあったのは、彼女が大事にしていた鏡の欠片だった。

 それを拾い上げ、懐にしまう。服の上から鏡の欠片を手で押さえ、リエーレは沈鬱な表情を浮かべた。

 駄目だとはわかっているのに、部下の前で暗い表情を見せてしまう。深呼吸して、怜悧な顔つきを作る。


 それからリエーレは、別の天幕に移動した。彼女の側近の女騎士、シシルスと二人で腰を落ち着ける。


「リエーレ様。どうかご自分のスペースだと思って、おくつろぎください」

「ありがとう。シシルス」

「いえ。リエーレ様はこれまで働き過ぎたのです。どうか私の居る前でくらいは、肩の荷を下ろしてくださいませ」


 気遣いを見せる部下に、リエーレは再度「ありがとう」と応えた。表情にもほのかな笑みを浮かべる。


 だが――内心はそう上手く切り替えはできなかった。


(私の失態だ。襲撃で部隊が不意を突かれたのはまだ仕方ないとしても、その後の対応が悪かった)


 リエーレは自分を責めた。同時に、シシルスにこれ以上の心配をかけないように、平静を装った。

 弱味を見せられない自分。

 動揺と不安を抑え込む意志の箍が外れかけている自分。

 相反する自分に、リエーレは再び、強いストレスを蓄積させていく。それはシシルスにもわからせないほど静かに、深くリエーレの精神を抉っていった。

 これほどの経験は、団長になってから初めてかもしれない。


「……リエーレ様?」

「いや、すまない。また考え事をしていた。まだまだ未熟だな、私も。ところでシシルス。このお茶は美味だな。どこの葉なんだ?」

「え? あ。はい、これは私の故郷の特産品なんです。村の中だけで消費される希少な品で。両親がことあるごとに送ってくれるのです」

「よき両親だな」

「はい。私は誇りに思っています。両親も、この茶も」


 雑談によって、少しだけ気が紛れる。

 これなら何とか乗り切れるかもしれない。

 リエーレがそう考えたときであった。


「て、敵襲ーっ!!」


 緊迫した騎士の声が天幕の中まで聞こえてきた。 反射的に立ち上がるリエーレとシシルス。彼女らは天幕の入口を跳ね上げ、外に出た。


 すぐに状況を理解する。リエーレは唇を噛んだ。


「何てことだ」


 呟く彼女の視線の先。

 そこには、砂埃を上げながら襲いかかってくる何十体もの魔物がいた。

 児童のような小柄な体つき、灰色の体色。

 ピドーインプの群れだ。


 リエーレと同じく百戦錬磨のシシルスが唸る。


「なぜピドーインプがこんなにも。あの魔物は、紅の大地において最弱の種族。人間にすら牙を剥くのは稀だというのに」

「こちらを休ませる気はないという意思表示なのかもしれん」

「まさか、邪紅竜がそこまで徹底して我らを狙っていると?」


 リエーレは黙った。

 冷静な思考が「それは違うだろう」と告げてくる。

 リエーレはこの方面の大隊を預かる将として、邪紅竜についての知見を蓄えていた。


 紅竜城に住まう邪紅竜は、1000年以上の時を生きてきた竜族で、魔王四天王の中でも古株。魔王の命令で聖剣ルルスエクサを人間から守っている。

 その力は強大無比。これまで何人もの勇者が邪紅竜に挑んできたが、ことごとく敗れている。


 ただ、邪紅竜が城を出ることは滅多にないという。


 また、邪紅竜と対峙した勇者たちの中には、彼は敵として非常に紳士的であったと証言する者もいた。そうした話は上層部の間でのみ共有され、一般の騎士たちは知る由もないことだが、少なくとも、卑怯な手段を多用する相手ではないことは確かだ。

 そんな憎らしいほど強い敵が、なぜ今回に限ってこのような手段を執ってきたのか。


 それだけこの第二大隊を危険視した証なのか。

 リエーレは懐疑的だった。


 もしかしたら、この相次ぐ魔物の襲撃は、邪紅竜の手によるものではないかもしれない。


「リエーレ様?」

「何でもない」


 リエーレは言った。

 いつもであれば、冷静な思考をシシルスと共有しているところだ。だが、自分の精神状態に自信が持てなくなっていたリエーレは、結論を口にするのを控えた。


 代わりに、剣を抜く。


「いくら弱い魔物といえ、これだけの数が揃えば脅威だ。迎え撃つぞ」


 小手を身につけた手で、ぎゅっと剣の柄を握る。

「頼むぞ、私の身体」とリエーレは祈るように呟いて、ピドーインプの群れへと走った。


 ピドーインプたちは、自らの力の弱さをまったく顧みず、遮二無二突っ込んでくる。

 その目が、ギラギラと血走っているのを見た。


 いつもならば、ピドーインプごときの威圧感などものともしないリエーレ。

 このときは、ほんのわずか肩に力が入った。


「はあああっ!!」


 自らを鼓舞するように気合いの声を上げ、剣を一閃する。

 鍛え上げられた刃は、ピドーインプをひどくあっさりと両断した。手応えが鈍く手に残る。

 リエーレはまるで新兵のように口元を引き上げた。よし、いける。私は大丈夫だ――。

 雑魚を狩ることで自信を取り戻そうと、リエーレは次なる魔物に狙いを定める。


 腰だめから、一閃。

 その一撃は、拳を振り上げたピドーインプの片腕を切り飛ばした。


 リエーレの目が見開かれる。


(剣筋が……ズレた? この私が?)


 心の中で動揺。

 身体はこれまでの鍛錬の成果を見せ、返す刃でピドーインプの首をはね飛ばした。


 リエーレは眦を決する。


「いや、まだだ。こんなものではない。いいわけがない!」



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