自らを叱咤するように叫んだリエーレは、今度は体内の魔力を練った。
コンクルーシ魔法学園において、剣と同時に魔法にも熟達した才媛。あらゆる属性の攻撃系魔法を難なく使いこなし、騎士となったあとも何百体もの魔物を退けてきた。
片手に集約した魔力を、明確なイメージとともに放つ。
「拡散魔弾放射!」
魔力の塊を広範囲、高密度で射出する上位魔法。魔弾射出と同じく、遣い手の力量によって大きく見た目と威力が変わる。
リエーレ渾身の魔法は、群れをなすピドーインプたちに襲いかかる。
断続的に着弾し、砂埃が上がる。
リエーレは舌打ちを寸前で堪えた。
(弾速が遅い。軌道が安定しない)
ろくに魔力抵抗を持たないピドーインプには十分な一撃。しかし、それはリエーレの万全とはほど遠いものだった。
そして、そのキレの無さに気付かない騎士たちではない。
(情けない。これが騎士の姿か。これが誇り高き聖風第二大隊の長の戦いか! 集中しろ、リエーレ・アミシオン!)
己への必死の叱咤。
それをあろうことか、彼女は敵から視線を逸らした状態で行った。
騎士のひとりから鋭い警告。
ハッとしたときには、ピドーインプが目の前に迫っている。リエーレが放った魔法から逃れた上、巻き上げられた砂埃に身を隠していたのだ。
ただただ、不覚。
リエーレは咄嗟に身をよじるが、剣を握る利き腕に傷を負ってしまう。
「リエーレ様!?」
「大丈夫だ! 陣形を崩すな!」
指示の内容はいつも通り。だが、その口調は常とは違い、焦りと怒りと動揺が滲んでいる。
もはや、リエーレを見る皆の目は、紅の大地へ出発した直後とは明らかに違う。
リエーレ以上に、焦りと不安を浮かべている。
彼らの脳裏にはほぼ同じ懸念が浮かんでいた。
すなわち――「今日の隊長は、明らかに様子がおかしい」。
――そして。
ふがいない戦い振りを見せる隊長を、誰よりも笑顔で見守っていた男がいた。
聖風騎士団第二大隊副隊長、グレフである。
◆◆◆
グレフは腹心の部下たちとピドーインプの群れに対処しながら、リエーレの様子を観察する。リエーレと違い本来の実力を遺憾なく発揮している彼には、その十分な余裕があった。
「面白いことになってきたな。まさか、こんな幸運が巡ってくるとは。ふふ」
彼の呟きはピドーインプの肉を断つ音と彼らの悲鳴にかき消されて、周囲の騎士には届かない。
タイミングを見計らい、グレフは前線から下がった。戦場が見渡せる位置まで来てから、彼は腹心の部下のひとりを呼ぶ。
そして、懐からメモ用紙を取り出し、部下に手渡した。
グレフに忠誠を誓う彼は、メモの中身を確認すると、すぐに敬礼した。グレフは部下の耳元に顔を寄せ、囁く。
「これで隊を動揺させる。次の魔物の襲撃も近い。上手く立ち回れ。最後はオレがやる」
「畏まりました。すべてはグレフ様の思いのままに」
それは、計画を実行に移せという指示。
再度敬礼した男性騎士は、素早く戦場に戻っていく。
その後ろ姿をグレフは口角を上げて見つめる。そして片手を口元にやると、手の下で素早く表情を改めた。いかにも緊迫した雰囲気を醸し出しながら叫んだ。
「踏ん張れ! たとえ上層部に動揺が見られようと、粛々と任務をこなすのが聖風騎士団の誉れだぞ!」
◆◆◆
「お怪我は大丈夫ですか、リエーレ様」
「ええ」
短く応えたきり、リエーレは地面を見つめている。その彼女を天幕内の椅子に座らせ、シシルスは傷の手当てを始めた。
シシルスの表情は険しい。
怪我の程度が問題ではない。むしろかすり傷の類だろう。
しかし、この傷の付き方は、新兵が未熟故に不覚を取ったのとさして変わらない。その方が深刻だとシシルスには思ったのだ。
百戦錬磨。生ける伝説。最強の女騎士。
そんな周囲の羨望と畏怖をほしいままにしてきたリエーレ・アミシオンが、この体たらくを見せている。
シシルスは問いかけずにはいられなかった。
「リエーレ様。体調が優れないのなら、どうぞ遠慮なく仰って下さい。それとも、何かご心配な出来事でも……」
「ありがとう。大丈夫」
息を吐きながら、リエーレは短く答える。シシルスもまた多くの騎士を見てきた人間だ。今のリエーレが、精神的に入れ込みすぎていることは察することができた。
しかし、どうしてそのような精神状態になったのかがわからない。
シシルスは居住まいを正した。
「リエーレ様。この際、はっきりと申し上げます。あなたはこの第二大隊の長、要の存在なのです。周囲に不安を与えるようなお振る舞いは、どうかおやめいただきたい」
「……はっきり言うんだな。シシルス」
「ええ。今、この場で
しばらく無言の時間が続いた。
天幕の外では、わずかに騎士たちの声が聞こえている。戦闘音はだいぶ遠くなった。さすが、精鋭の聖風騎士団と言えるだろう。
リエーレは言葉を選ぶように天井を見た。シシルスは、尊敬すべきこの女性が自らの本心を明かしてくれることをじっと待っている。
やがてリエーレは、大きなため息をついた。
「シシルス。これはお前だけに言う」
「はい」
「私は――強くあろうとした結果、弱くなることができなくなったんだ」
それは、今まで秘めてきたリエーレの本心の欠片。
彼女はかつて、弱い少女だった。
コンクルーシ魔法学園の学生だったとき、些細な失敗で引きこもりになってしまったことがある。そんな弱い自分が嫌だった。
そして、そんな弱い自分に手を差し伸べてくれた恩師を失望させたくなかった。
だから、強くあろうとした。
せめて、周りの人々を不安がらせないようにしたかった。
幸い、リエーレは騎士としての才能を持っていた。だから強くあろうと努力すればするだけ、強くなることができた。
だがその代わりに――本来の弱い自分をさらけ出す機会を失ったのだ。
抑え込み、我慢を
剣術も覚えた。
魔法も覚えた。
部隊運用も覚えた。
騎士としての作法も、上での立ち回り方も覚えた。
けれど、自分の心の繕い方だけは覚えきれなかった。
いつまでも、下手なままだったのだ。
「この先、私の心がどうなるか……私にもわからない」
わからないんだよ、と彼女は繰り返した。
「リエーレ様……」
気遣わしげにシシルスが手を伸ばしたとき。
天幕に騎士がひとりやってきた。伝令役を担う一般騎士だ。
「失礼します、リエーレ様」
「……どうした」
「今後の隊の方針についてご意見を伺いに参りました。副長以下、リエーレ様のご指示を待っております」
リエーレは一瞬だけ、口元をきゅっと横に引き絞った。