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第51話 至上の敗北

「リ、リエーレ様!? 何をされているのですか、リエーレ様!」


 シシルスが叫ぶ。しかし、リエーレは構えを解かない。

 側近の女性騎士はとっさに可能性を思い浮かべる。だがそれは、シシルスにとっては『あり得ない』と言えることだった。


 末端の騎士ですら抵抗できた幻覚攻撃に、あのリエーレ・アミシオンが易々と囚われてしまうなんて、そんなことはあり得ない。あってはいけない。

 だが、現実はそうではなかった。

 剣を構えるリエーレの瞳はシシルスを認識しておらず、明らかに何か別の存在として捉えている。剣に宿る殺気が、シシルスを攻撃対象としていることを如実に伝えてきた。


 敬愛する大隊長の、まさかの醜態。

 シシルスは強く動揺した。


 その間も、リエーレは敵対行動を止めない。彼女の全身から魔力が溢れ始めていた。

 攻撃の兆候だ。


 シシルスは動揺を無理矢理腹の底に抑え込んで、自らも剣を手に取った。だが、両手に力が上手く入らない。まるで地に足が着いていない感覚だった。

 こんな有様で、あのリエーレ・アミシオンの攻撃を受けたら、まず無事では済まない。


「それでも、私がお止めしなければ……」


 悲壮な覚悟を抱くシシルス。


 そのときだ。

 リエーレの前にひとりの騎士が立ち塞がった。流麗で美しい斧槍を携えた男――第二大隊副長のグレフである。


「まさか、今度はあなたご自身がお相手とはなあ」


 グレフの口調は、この状況からすれば不謹慎なほど軽い。姿勢も自然体だ。

 彼の声を聞き、後ろ姿を見たシシルスは戦慄した。

 どうして、そこまで平静でいられるのか。


 グレフは言った。


「念のためお伺いします。意識はしっかり保てていますか、リエーレ隊長。常の凜々しい気迫であれば、容易にはね除けられる幻覚攻撃ですぞ」

「……」

「反応なし。これは本当に、心の芯までがっちり囚われてしまったようですな。いやはや、仕方ありません」


 斧槍を構える。そして周囲の騎士たちに聞こえるよう、声を張り上げた。


「残念ながらリエーレ大隊長は我を失われた! これより、このグレフ・ドウァールが相手となり、大隊長殿の目を覚まさせる! 皆、手出し無用だ!」

「グレフ副長殿!」


 シシルスは叫ぶが、グレフは「大丈夫」と口元を引き上げるだけだった。


 そして、目にも留まらぬ速さで先制攻撃を仕掛ける。

 斧槍の先端が、リエーレの剣とぶつかった。大隊長の証である立派な拵えの剣が、グレフの圧力を受けてじりっと下がる。

 様子を見ていた騎士たちからは、「おお」という感嘆の声と、「ああ……」という悲嘆の声がない交ぜになって上がった。


 グレフは攻撃の手を緩めない。

 グレフは、この斧槍を使い始めてまだ日が浅いはずなのに、まるで長年使い込んできたかのように軽やかに振るっていた。斧槍が有利な中距離だけでなく、剣が有利な近距離戦でもリエーレを圧倒した。


 程度の差はあれ、第二大隊の騎士は優秀である。相手の動きの鋭さや強さを正確に判断する眼力を持つ。

 彼らの目には、グレフのキレ以上に、リエーレの精彩を欠いた動きの方が強く焼き付いていた。

 大振り、無駄な力の入れよう、駆け引きの拙さ。

 まるで、騎士見習いが初めての魔物を前にして闇雲に戦っているような、そんな未熟さを感じさせた。


 シシルスが青い顔で息を呑む。


 グレフの一撃が、リエーレの剣を弾き飛ばしたのだ。


 リエーレは攻撃を止めなかった。

 武器がないのならばと全身から再び魔力を溢れさせる。そして、高速の魔法弾を立て続けに三度、放った。

 この魔法攻撃に対し、グレフもまた魔法で対処した。


 リエーレよりも素早く魔力を編み、同じ魔法弾を連射する。リエーレの魔法とグレフの魔法が正面からぶつかった。


 勝ったのは、グレフの魔法弾だった。


 リエーレの魔法を難なく弾き飛ばすと、グレフの魔法弾は正確にリエーレの腕と足を打ち据えた。絶妙に威力が調整されたその魔法は、彼女の身体に血を流させることなく、膝を突かせる。

 そしてリエーレの眼前に、グレフの斧槍の切っ先が突きつけられた。


 武器戦闘でも。

 魔法戦闘でも。


 グレフはリエーレを圧倒したのだ。

 この事実を見せつけられ、シシルスを始めとした騎士たちは皆、絶句した。


 やがて、霧が静かに晴れていく。

 視界が良好になったことで、これまで幻覚に囚われていた者たちは次々と我に返った。

 それは、リエーレも同様だった。


「あ、れ」


 まるで年相応のうら若き女性のような呟きを漏らし、リエーレの瞳に意志の輝きが戻ってくる。

 彼女が、グレフを見上げた。

 グレフは、いつものように軽い口調で言った。リエーレに斧槍を突きつけたまま。


「おはようございます、大隊長殿。お目覚めですか」

「わ……たし、は」


 辺りを見回したリエーレが目にしたもの。

 それは、シシルスを筆頭として「信じられない」といった顔をした大勢の騎士たち。

 そして、勝ち誇ったように笑うグレフであった。

 呆然としていたリエーレの頭に、少しずつ状況が染み込んでいく。全身の血の気が一気に引くような感覚に襲われた。そして、自分の手から剣が離れ、地面に突き刺さっているのを見て、その衝撃は頂点に達した。


 不意に、ひとりの騎士が叫ぶ。


「大隊長殿はご乱心なされている! ここはグレフ副隊長殿が代わって指揮を執られるべきではないか!?」


 その言葉に、皆が息を呑む。誰もがちらりと脳裏をかすめていたが口にしなかった考え。それが唐突に開陳された結果、部隊内にリエーレを疑問視する空気が急速に広がっていく。


 リエーレは何も応えられない。

 彼女に代わってシシルスが部下たちを強く咎めるが、あまり効果はなかった。


 そんな中、グレフが動く。

 彼は自分が身につけていた両の小手を外した。


「これは斧槍と一緒に見つけたものなんですがね。なかなかの逸品で、とても頑丈なのです」


 こんこん、と拳で軽く叩いてから、グレフはその小手をリエーレに向けて投げ渡した。がちゃん、と岩の地面にぶつかって悲鳴のような音が上がる。


「隊長はしばらく、その小手で身を固めた方がよろしいでしょう」

「……!」


 リエーレが息を呑む。

 彼女だけでなく、周囲の騎士たちも同様だった。

 グレフの笑みが深くなる。

 これまでリエーレを至上の存在として崇敬してきた多くの騎士たちにとって、この光景は象徴だった。


 自らが使う武具を下げ渡す――それは、今この場のリーダーが誰かを端的に見せつけるものだったのだ。


 それを証明するかのように、グレフは騎士たちに向き直って言った。


「急ぎ部隊を再編するぞ。完了次第、進軍再開だ!」


 斧槍を高く掲げ、宣言する。騎士たちは敬礼し、各々の持ち場へと行っていった。疑問を差し挟む者はいなかった。

 動き出した部隊を満足そうに見て、グレフはリエーレを振り返る。


「後は自分が引き受けますんで、ご安心を。さすがに紅の大地にお一人は危険でしょうから、部隊から何人か残しておきますね。よろしくお願いしますよ、リエーレ殿」


 優しげにも聞こえる口調で、リエーレの自尊心を打ち砕くような言葉を投げかけた。それきり、グレフは踵を返して歩き去っていった。


 一方、残されたリエーレは、まるで魂が抜けたように小手を見つめ続けていた。



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