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第53話 無の人形

「お、お待ちくださいリエーレ様! それはあまりに無茶でございます!」


 シシルスが声を上げる。他の騎士たちも戸惑いながら頷いていた。

 リエーレは応える。


「我々は今回、幾度も不意を突かれてきた。そのような行動を魔物たちが取るようになったのだ。ならば、我々もこれまでと同じ行動ではいけない」

「それは……そうかもしれませんが」


 言い淀む側近の女騎士。

 リエーレの言葉は一見もっともらしく聞こえるが、実際には論理の飛躍がある。リエーレ自身もそのことに気づいていないはずがない。


 そう思ったとき、シシルスは気付いた。

 リエーレの目つきだ。


 皆に訓示をしていたときの、神々しささえ感じる凜々しさではない。感情の欠落した、まるで人形のような『無』の顔つきだったのだ。


 シシルスの見立ては正しい。

 このときのリエーレは、弱い自分を無理矢理封じ込めていた。己の人格さえも犠牲にして。理性的な判断をかなぐり捨てて。ただ求められる役割をなぞる、いわば騎士のガワを被った人形に自ら成り果てたのだ。


 少なくとも、彼女はそう自らに強いた。


 それは、これまで彼女が隊長として何とか保ってきた虚像を、さらに悪い方向に強めてしまったものだった。


 シシルスは唇を噛みしめる。

 もう同じ過ちを繰り返すまいと、彼女はリエーレの前に進み出た。


「リエーレ様。邪紅竜への突撃、やはり承諾できません。ここはグレフ殿の部隊へ合流するか、もしくは先んじて退却か、この二択です」

「二択……?」

「どちらを選ぶかはリエーレ様にお任せします。ご決断ください。我々はその決定に従います」


 一蓮托生の覚悟を決めて、とシシルスは胸の中で零す。


 一方のリエーレは鷹揚に頷いた。


「ならば――」


 そこで言葉がつかえる。

 その先の単語が喉から出てこない。

 自分の感情を押し殺したリエーレは、「グレフと合流する」という選択をしようとした。感情を無にしていれば、どんな仕打ちを受けても動揺しない。あんな無様な姿を二度と晒すことはないと考えたのだ。


 しかし、心を殺したつもりでも、強い拒絶感は消えなかった。身体と心が別々の方向を向き、リエーレの動きを鈍らせる。まるで人形の手足を、無理やり逆方向に動かそうとするようだった。


 奇妙な沈黙が、数秒間流れた。


 そのとき、男性騎士のひとりが意を決したように進み出た。彼は額に脂汗を浮かべながら進言する。


「リエーレ様、お気を付けください。周囲の精霊たちの動きに、異変が起きております」


 その場に立ち尽くしたまま、リエーレは目だけでその騎士を見る。

 彼女の記憶は、彼が騎士内でも貴重な精霊術に心得があるものだと教えていた。


「本来、不毛の大地であるはずの紅の大地。環境の厳しさを反映し、ごくわずかな数の精霊しか確認されておりません。しかし、ここにきて急に精霊の密度が増しています。しかも、これまでに感じたことのない精霊まで集まっているようです。それらがひどく取り乱している……」


 シシルスが「どういう意味だ」と問う。騎士は唾を飲み込んで答えた。


「精霊たちを狂わせる、巨大な魔力が迫っているということかと。この感じですと、そう遠くない場所に――」


 直後。

 もはや聞き慣れてしまった魔物たちの喚声を耳にする。

 そちらを振り向いたリエーレたちの前に、明らかに凶暴化した魔物が大挙して押し寄せてきた。


 先ほどのピドーインプの群れより多く、魔物の種類も増えている。

 ここが人間たちを拒絶してきた魔の土地だと声高に主張するように。


 リエーレの表情は無のまま。すらりと剣を抜いて、構える。覇気のまるでない、吹けば飛ぶような構え。あれでは、不調でも声を荒げていたときの方がまだマシだとシシルスの目には映った。


「これまでで最大級の襲撃、爆発的に増えた魔物の種類、もはや小隊規模となった人員、通常時からさらに遠く離れてしまったリエーレ様のご様子……」


 状況を冷静に言いつのるだけで、絶望が深まっていく。

 シシルスたち騎士は本能的に武器を構えた。しかし、彼らの心の中には、絶望に近いほどの強い危機感が渦巻いていた。


◆◆◆


 リエーレたちが魔物の群れの襲撃を受けているころ。

 第二大隊のほとんどを引き連れたグレフは、側近の騎士たちで周りを囲みつつ、隊の先頭を進んでいた。


 彼の手には、奇妙な形の鈴が握られている。グレフは飾り紐を指先でつまみ、一定の間隔で鈴を振っていた。

 それを見ていた騎士が首を傾げる。


「グレフ様。その鈴は壊れているのではありませんか? 音がまったく聞こえないのですが」

「まあそうだろうなぁ」


 グレフはいつものような、やや気の抜けた口調で答える。眉をひそめた騎士に、グレフは口の端を引き上げ、鈴を持っていない方の手で騎士を招き寄せた。

 彼は声を潜めて、どこか楽しそうに言う。


「これは魔物にしか聞こえない、魔物除けの鈴さ。ウチに代々伝わる貴重品でね。まさか、このタイミングで使うことになるとは思わなかった」

「そのような便利な代物が……。しかし、ならばなにゆえもっと早くに使われなかったのです? さすればエドモウトワームに補給物資が破壊されることもなかったでしょうに。あれは痛いですぞ」

「そう言うな。こいつには相応の副作用があるんだ」

「副作用?」

「ソレ込みで、今が使い時ってことだな」


 上機嫌に語るグレフ。騎士は不満そうに肩をすくめたが、それ以上質問はしなかった。聞いても無駄だと、上官の表情を見て悟ったのだ。


 グレフは男性騎士から離れると、また鈴を掲げて振り始めた。


(そう、とても愉快な副作用さ)


 心の中でほくそ笑む。

 実はこの鈴は、ただの魔物除けではない。

 魔物が嫌がる音を出すと同時に、魔物を狂わせる・・・・効果もあるのだ。


 グレフの考えでは、この鈴によって狂った魔物たちは、あの場に残っているリエーレたちを襲うことになる。興奮した無数の魔物たちが、彼女たちに襲いかかるのだ。


 斧槍を突きつけたときの、呆けたリエーレの顔が脳裏に蘇る。グレフは口元を抑えた。そうしないと、だらしのない笑みが騎士たちの目につきそうだったから。


 グレフは心の中で、リエーレにエールを送った。


(さあ、頑張れよー。人間のエリートさん・・・・・・・・・。ふふ、ふふふ……!)



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