「分散するなッ! 各個撃破されるぞ!」
「お前は下がれ! ここは俺が持ちこたえさせる!」
「2時方向が乱れた。活路を開くわ!」
――乱戦である。
リエーレたちの前に現れた魔物の群れは、そのまま彼女たちをうねりの中へ飲み込んだ。
本来なら、手も足も出ず蹂躙されるだけ。
しかし、ここに残った騎士たちは聖風騎士団の精鋭たち。いかに精神的な動揺があろうと、危機の前には騎士の顔つきになる。
リエーレからの指揮が覚束ないのならば、自らの頭で考え、行動する。どうするのがベストなのか。どう動くのが騎士として正しいのか。そのことを、彼らはよく理解していた。
だが。
魔物側は、第二大隊がフルメンバーで対処していたときよりも数が多い。加えて、今回はピドーインプといった弱小種族だけでなく、対処に複数人が必要となる魔物も混ざっている。
対してこちら側は、人数が極端に減っている上に、精神的支柱であったリエーレが絶不調という巨大なハンデを背負っている。
正直なところ、全滅まであと何分持ちこたえられるかという状況だった。魔物を恐れず立ち向かう勇敢な騎士たちも、程度の差はあれ、その不安が頭をよぎっていた。
そして、ここにいる騎士たちの中でもっともネガティブな思考に囚われているのがリエーレである。
彼女は、これまで培ってきた経験のみで身体を動かしていた。本来の力からはほど遠いが、剣の一閃は確実に魔物を屠り、魔法の燦めきは魔物を退けていく。
空っぽにしたはずの心は、戦闘によって否応なく昂ぶった。やはり自分は騎士であることを捨てられないのだとリエーレは思う。
ピドーインプから受けた傷が微かに痛んだ。
そのせいで、魔物の攻撃への反応が一瞬ズレる。巨大なトカゲ型の敵の前脚がリエーレの手首にかかる。鋭い爪が小手に食い込もうとするが、滑らかなそれの表面には傷一つつかない。
リエーレは魔物の前脚を切り裂いた。小手に飛び散った血を振り払い、距離を取る。
脳裏に、恐るべき言葉が浮かぶ。
(何を無駄に抵抗している)
次の攻撃の波が来た。リエーレはシシルスとともに迎撃する。
恐ろしい言葉がまた浮かぶ。
(このまま無抵抗に蹂躙された方が、楽になれるのではないか?)
それは、心の闇からの手招きだった。
(これ以上、本当の自分とかけはなれた虚像を演じるのは、苦しいだけではないか)
教本通りに剣を振るい、魔法を放つ。魔物を倒す。倒し続ける。
目の前がぼやける。
シシルスの声が、仲間たちの声が遠くなり、自分の呼吸音だけがやたらと鮮明になる。
(もう、息をするのも面倒くさいではないか。馬鹿らしいではないか)
(なあ、そうだろう?)
(リエーレ・アミシオンは、もういなくていいのだから)
――フッ、と。
リエーレの手から力が抜けた。
その隙を目がけて、先ほど腕を斬られたトカゲ型の魔物がいきり立って襲いかかってくる。
リエーレの視線が、魔物から一瞬、外れる。地面を向く。
そのときだった。
リエーレの小手が熱を持つ。
まるで、若く猛々しい血を直接注入されたような感覚。腕を伝って全身へ、熱が伝播する。
無気力で沈んでいたリエーレの心に、強烈な衝撃が走る。
ハッとして我に返るリエーレ。
迫ってくる魔物に対して、唇を噛んだ。右足を半歩前へ。腰だめに構えた剣を一閃した。
肉を滑らかに切り裂き、
凶悪な顔つきの魔物から、生気が失われる。
ゆっくりと宙を飛ぶ敵の首を見ながら、リエーレはひどく間の抜けたことを考えた。「あ、上手く切れた」と。
トカゲ型魔物の頭がドサッと地面に落ちる。直後、リエーレの五感が一気に『戦場』を取り戻した。
敵味方の喚声、固い金属の音、息づかい、むせかえるような血の臭い。
そんな中でも、仲間の騎士たちの顔が、リエーレにはよく見えた。部下たちの奮戦振りがしっかりと認識できる。
リエーレは剣を構えた。奇妙なほど落ち着いている。臭気を押し出すように息を吐く。
「最後まで情けなく在るな、リエーレ」
自らに語りかける。
「せめて、隊長としての責任くらいは果たせ。この場に残ってくれた、今もなお騎士として在ろうとしている彼らのために」
眦を決したリエーレは、ありったけの魔力をかき集めた。視界を広く、倒すべき敵の姿を余さず捉える。
「
彼女の手から放たれた魔法は、前方の魔物を軒並み貫き、なぎ倒した。魔法に抵抗力がある魔物もお構いなしに蹂躙する。
相当の魔力でなければできない芸当だった。
ここに来て、リエーレの魔法は本来の威力を取り戻したのだ。
シシルスが驚きと喜色の声を上げる。
「リエーレ様!」
「私が道を作る。皆、今一度踏ん張れ! 我ら聖風騎士団の誇りと底力を見せつける時だ!」
高らかに吠えるリエーレに、騎士たちの士気が上がる。
見違えるような技のキレと気迫で魔物を倒しつつ、リエーレは小手に触った。
(こいつに助けられたな)
皮肉なものだった。
リエーレを失意のどん底に突き落としたグレフ。しかし、その彼から与えられた小手が、今度はリエーレを救った。
今なら、グレフに礼の一つでも言えるかもしれない。
その機会があれば、だが。
リエーレは口元に笑みを浮かべた。そして吐き捨てる。
「くそ」
身体のキレは戻った。気力も充実している。
しかし、ここまでだった。
魔物の勢いを、止められない。
ここからは、命と引き換えに何体倒せるかの話だ――そうリエーレが覚悟を固めたときである。
周囲が一気に暗くなった。
何か巨大なものが上空に現れ、広範囲に影を落としたのだ。
リエーレが飛来者の正体を見極めようと、空に目を向けた瞬間。
飛来者が放った炎のブレスが、地上に降り注いだ。
凄まじい。その一言しかない。
リエーレのみならず、他の騎士たちも熱風にさらされ、息もできずにただその場で身を固めた。
時間にして、10秒ほど。
火傷寸前の肌に涼風を感じ、リエーレは防御の構えを解いた。
魔物たちは一掃されていた。跡形も残らず、文字通り
何とあっけないことか。
唖然とする騎士たち。
再度、上空を見上げて、リエーレは目を限界まで見開いた。
悠然と滞空する巨大な竜――。
その場にいた全員が心臓を鷲づかみにされたような衝撃を味わう。
リエーレたちの前に現れたのは、魔王四天王のひとり、紅の大地の支配者たる『邪紅竜』であった。