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第55話 完成の喜びの陰で

 ――時は少し遡る。


◆◆◆


「おお。ずいぶん形になったな」


 畑の傍らに建った馬小屋を見つめ、俺は満足して頷いた。

 ヤクト樹や魔力付きの工具をふんだんに使ったおかげか、馬小屋らしからぬ強い魔力を感じる。俺は外界に詳しくないが、おそらくこれ、そんじょそこらの要塞よりも魔力防護が強固なんじゃないだろうか。実際、俺の眷属――炎竜たちはどことなく近寄りがたそうにしているし。


 まあ、スタンピードからアムを守るためにはちょうど良かったかもしれない。

 今後、街を作るときには、ヤクト樹を積極的に使った方が良さそうだ。そのためには、近いうちに城の地下に潜って材料を採取しなければならない。何百年ぶりになるだろうか。

 うむ、なかなか心が躍る。


 今後のことを考えて笑みを浮かべていると、タオルで汗を拭きながらブエルが隣にやってくる。

 俺は彼を労った。


「ご苦労だったな、ブエル。良き物を作ってくれた。礼を言おう」

「いえ、そんな。これもヴェルグ陛下やティエラちゃんが手伝ってくれたおかげです」


 そう語る青年騎士は、どこかスッキリした表情をしていた。同僚騎士に裏切られ、沈んでいたときと比べてずいぶんマシになっている。


 畑の方から様子を見ていたアムが、トコトコとこちらに歩いてきた。感謝を示すようにブエルの肩に顎を乗せ、それから馬小屋へと入っていく。


「アムちゃん。私も中を見ていいですか?」

「ブルルッ!」

「何で怒るんですかっ!? 仲間はずれはひどいです!」


 連れ立って馬小屋へ入ろうとしたティエラを、アムは露骨に威嚇する。

 どうやったらあんだけ嫌われることができるんだろうな。人間のことはまだまだわからん。まあ、相手は人間じゃないが。


 半泣きのティエラと、それをぎこちなく慰めるブエル。ツンとして馬小屋に引っ込んでいくアム。

 こういう光景がもっと見られればいい。

 そのためならば、俺は聖剣の力でも何でも使うだろう。


「邪紅竜ヴェルグも、ずいぶん丸くなったものだ。先代魔王陛下は、こんな俺を見て笑うだろうか」


 表情を緩める。おそらく、陛下は笑うだろう。穏やかな、満足げな微笑みで。


 先代陛下に思いをはせていたとき、突如、背中に悪寒が走った。

 振り返る。

 背後には何もない。だが、その遙か先から、ただならぬ気配を感じる。


「ヴェルグ様。この気配は」


 フィアが隣に来て、そっと囁いた。俺は目を閉じて気配を探り、それから頷いた。


「うむ。大量の魔物どもが暴れているようだ。さすがに俺でも感じ取れたぞ」


 満たされた気持ちで懐古に耽っていたのに、無粋に邪魔された気分だった。俺は眉間に皺を寄せる。

 フィアが言う。


「しかし、どうしてこんな突然」

「わからん。……が、我が元から主立った側近どもは去っている。魔物どもを一度にけしかけられる上位種は、今の紅の大地には俺とお前くらいなものだ。であれば、余所者が勝手をしていると考えるのが妥当であろう」


 我が領地で堂々とな――俺の静かな怒りが、黒い魔力の波動となって周囲に漏れる。邪紅竜としての俺をずっと見てきたフィアでさえ、息を呑むのがわかった。


 そのときである。さらなる異変が起こった。


「ブエルさん!? どうしたんですか、ブエルさん!?」


 突然、ティエラが悲鳴を上げた。

 振り返ると、ブエルが胸を押さえてうずくまっている。背中が細かく痙攣しており、ただ事ではないと一目でわかった。


「ヴェルグさん、ブエルさんが!」

「今行く。ティエラ、お前は下がってろ。――フィア」

「かしこまりました」


 俺の意を受けたフィアが治癒魔法を試みる。

 しかし、すぐに魔法を中断した。彼女の眉間に深い皺ができる。


「ヴェルグ様、これは傷の痛みなどではありません」


 フィアの言わんとしていることはすぐにわかった。

 ブエルの身体からは、異質な魔力が滲み出ている。それは、魔族やそれに近い存在のものだ。

 フィアがさらに表情を歪める。


「魔力の圧が強い。抑えられるかどうか」

「フィア。しばらくそのまま維持しろ」


 そう指示をして、俺はブエルの前に立つ。

 青年騎士の体内からあふれ出てくる何か――今度こそ明らかにする。


 俺は自身の魔力を練り、【貪欲鑑定】を発動させた。

 時間が引き延ばされ、貪欲鑑定の発動を報せる声が脳裏に響く。


 ブエルの身体から溢れる魔力が、漆黒の闇となって俺の視界を奪う。


 直後だった。


 耳をつんざくような雄叫びが叩き付けられる。何度も。その合間に、金属を叩くような音も。


 闇の中から浮き上がってきたのは――巨大な檻。

 そこに閉じ込められ、しきり吠え猛る獣人だった。獅子の頭、筋骨隆々の身体。神々しいまでの威圧感。そしてあふれ出る魔力。


 その圧力に耐えながら、俺は目を凝らした。しかし、その獣人が非常に稀有な存在であることは分かっても、その出自や正体については思い当たるものがなかった。


 これほどの傑物、出会っていたならば間違いなく記憶に刻まれているだろうに。

 それがないということは、遙か太古の英雄、もしくは大魔族の類なのだろうか。

 まさか、先代魔王陛下と比肩するような者だったのか。先代の時代は長く、そして多様な人材の宝庫だったと聞く。


 もしその推測が正しければ、ブエルは大昔の英雄級の存在をその身に宿していることになる。

 おそらく、あのとき――彼が同僚の騎士に裏切られた、あのときだ。


 檻の獣人が、ふと明後日の方向を見た。

 俺もそちらへ目を向ける。

 すると、漆黒の世界に薄ぼんやりと浮かび上がる無数の影があった。

 あれは無数の魔物の群れだ。地平を埋め尽くそうかという、膨大な数。


 スタンピードだ。


 檻の獣人は、それら魔物の大群に向かって再び吠えた。「無礼であるぞ。去れ」――そう叫んでいるように思えた。


 さらに、魔物の群れの中にちらほらと、騎士と思われる人間の姿を見た。スタンピードに対し、抗おうとしているのだ。


 これらのことから考えられること。

 いよいよスタンピードが起ころうとしている。

 そして、その発生は、ブエルの体内に潜む獣人と関係しているようだ。


(このままでは、ブエルが獣人の魔力に飲まれる)


 獣人がスタンピードを快く思っていないのは伝わってきた。

 しかしこのままでは、せっかく助けた青年騎士が獣人に乗っ取られてしまう。あの貧弱でどこか気弱なところがある男が、古の偉丈夫の魔力に抗えるはずがない。


(貴重な人材を失うわけにはいかん)


 ――【貪欲鑑定】が解除された。


「ヴェルグ様。いかがしますか」

「ヴェルグさん、ブエルさんは大丈夫なんですか!?」


 すぐに問いかけてきた二人に、「少し黙ってくれ」と告げる。顎に手を当て、しばらく考えてから口を開いた。


「まずはブエルを安定化させる。こいつの中にいるのはただの魔族じゃない」

「どうされるのですか」

「俺に考えがある」


 そう言って、俺は城を見上げた。



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