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第56話 邪紅竜、空へ


 それから俺は、ブエルを背負って城内に入った。

 背中からは断続的にブエルの苦悶の呻きが聞こえてくる。伝わってくる魔力も強くなる一方だ。

 ただ、魔力の質は不思議と不快なものではない。かつてこの城を闊歩していた部下たちのように、力は強いがドロドロと濁った魔力の質とは異なる。

 もっと『純粋な強さ』なのだ。


 これならば、おそらく俺の予想どおりになるはずだ。


 俺の後を無言で付いてきたフィアとティエラが、ふと目を丸くした。


「ヴェルグ様。この部屋は」

「そうだ。ルルスエクサが安置されている」

「く、紅の大地に眠っているというあの伝説の聖剣が……この先に!?」


 そういえばティエラが実際に聖剣を目にするのは初めてだったか。

 俺は扉を開けた。


「いつもウチでぐーたらしてるこいつに、少し働いてもらう」


 扉の隙間から流れ込んでくる清らかな魔力。薄らと室内を白く染める、柔らかい輝き。

 輝きの発生源を見たティエラが呟いた。


「これが、伝説の聖剣ルルスエクサ。何て綺麗……」


 うっとりしたように目を細めるティエラ。聖剣の力は、純粋な人間にとって良い影響を与えるのだろう。


 聖剣ルルスエクサは、変わらず台座に刺さっていた。手入れを再開したため、輝きもいつもどおり。


 ――いや。たった今、ことのほか輝きが強くなった。


 光の明滅で感情を伝えてくるこいつのことだ。俺がブエルを運んできたことで、俺の意図を理解したと言いたいのだろう。


 俺はブエルを聖剣の傍らに横たえた。その胸の上に手のひらを置く。

 ちらりとルルスエクサを見遣って、俺は言った。


「お前の考えているとおりだ。力を貸せ、聖剣。本体であるお前の魔力と、俺の中に眠る聖なる魔力。それらを注ぎ込んで、ブエルの魔力暴走を沈静化させる」

「そ、そんなことができるんですか!?」


 驚くティエラの傍らで、フィアが何度か頷いた。


「なるほど。確かに私にも、ブエル青年から溢れてくる魔力の質の高さが感じられます。ヴェルグ様が聖剣という厄介者の力を受け入れたように、ブエルの中に眠る何者かにも、聖なる魔力と同調する可能性があるということですね」

「その通りだが、言葉のチョイスには気をつけてくれ。聖剣がねる」


 俺の言葉通り、柄の部分だけ激しく明滅させて抗議の意志を表すルルスエクサ。どことなくぷんすこ怒っている子どもを連想した。

「聖剣って……拗ねるんですか……?」とティエラが衝撃を受けている。そうだよ、見れば分かるだろう。


 気を取り直し、魔力の注ぎ込みを続ける。

 俺とルルスエクサの魔力注入を受けたブエルは、少しずつ穏やかな呼吸を取り戻していった。暴走した魔力も、ブエルの体内に収まる。


 しばらくして、俺はブエルから手を離した。額の汗を拭う。

 ブエルは落ち着きを取り戻していた。


 ティエラが大きく息を吐きながらその場にへたり込む。


「ああ、よかった。一時はどうなることかと……さすがヴェルグさんですね。聖剣とともに魔力を鎮めるなんて、まるで勇者様みたいです!」

「やめてくれ。昔はいざ知らず、最近の勇者はなっとらん。一緒にされるのは心外だ」

「ヴェルグ様。今のセリフはとても年寄りくさいです」


 フィアの指摘に、俺は密かに傷ついた。こういうときに限って、聖剣がキラキラ輝く。ええい笑うな、ルルスエクサ!


 ティエラが言う。


「とにかく、これでもう安心ですね」

「いや、そうとは言えない」

「ど、どうしてですか? 悪い魔力を、聖剣の力で浄化したとかじゃ、ないんですか?」

「違う。檻から一時的に解放して寝床と飯を整え、気を静めてもらっただけだ」

「……?? よく吠えるワンちゃん的な?」

「よくわかったな。そういうことだよ」


 俺は頷く。実際は人間の愛玩動物とは比較にならないほど危険で、そして気高い存在だろうが。

 問題は、ブエルの中に眠る『獣人』を狂わせる何かが紅の大地に存在するということだ。

 そいつを排除しなければ、獣人はブエルの中で再び暴れ出すだろう。そうなれば、ブエルは今度こそ人間でなくなる。


 ブエルを失うことは、我が領地再建計画の後退を意味する。それは避けたい。避けなければならない。

 人間ひとり救えず、何が邪紅竜か。先代魔王陛下に笑われてしまう。


 その後、俺はブエルを自室まで運び、ティエラに介抱を命じた。

 そしてフィアを伴い、城の高層階にある巨大テラスへ向かう。

 遮蔽物がないテラス上は、地上以上の強い風が吹き荒れていた。俺は自身の魔力を結集させ、テラスから地上へ放つ。


 分裂した魔力は、まるで蒔かれた種のように大地に根付くと、新しい眷属――炎竜となって雄叫びを上げた。

 数を一気に増やした炎竜は、城壁のように城や畑の周囲を囲む。気休めではあるが、これで一時的でも城の防御力は高まる。


 俺は大きく深呼吸した。自分の魔力、自分の四肢をどこまでも拡張していくイメージを持つ。

 仮初めの肉体を脱ぎ捨て、邪紅竜本来の姿を取り戻す。広大に思えたテラスも、今の俺の巨体にはちょうどよい広さだった。


「これ以上、我が領地で好き放題はさせぬ。ゴミを駆除し、この騒ぎの根本原因を除去するため、俺自ら出る」

「はい。承知しております」

「城のことは任せたぞ」

「畏まりました。ご出立の前に、ひとつだけ差し出がましい進言を」


 フィアが腹の前に両手を重ね、直立不動で言った。


「これを機に、ヴェルグ様の王器おうきをあまねく人間どもに知らしめますよう」

「ふ。これ以上人間が増えることを、お前は快く思わないのではないか?」

「もちろんです。ですが、あの若者ふたりではどうにも心許ないので」


 フィアが深く腰を折った。


「ヴェルグ様は魔族を統べるだけでなく、人の世を統べるにも相応しいお方。そのご威光、私はもっと目にしたいのです」

「よかろう。お前が立てた再建計画が間違いではなかったと、証明してやろうではないか」


 灼熱の炎を笑みがわりに迸らせ、俺は空へと身を躍らせた。



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