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第60話 邪紅竜ヴェルグの誠意


 俺の言葉がよほど意外だったのか、シシルスの目が大きく見開かれる。

 彼女に告げた言葉は本心だ。シシルスという女騎士の忠義は、邪紅竜である俺が敬意を表したくなるほど立派なものだ。


 だからこそ、言っておかねばならない。


 シシルスからリエーレへと視線を移す。聖風騎士団第二大隊の隊長は身体を硬くした。俺は言う。


「だが、果たしてお前たちの隊長はその忠義を捧げるに足る人物かな?」

「……!」

「リエーレ様を愚弄しますか」


 上官に代わって鋭い目つきで一歩前へ踏み出すシシルス。

 対して、リエーレは逆に俯いた。

 俺は鼻で息を吐く。


「愚弄か否か。それはお前自身が一番よく分かっているだろう。リエーレ・アミシオン」


 静かに問いかける。

 この言葉に、嘲りの感情も、揶揄の感情も俺にはない。あるのはただ、純粋な興味関心。

【貪欲鑑定】によってリエーレの隠された内心を暴いた俺は、彼女の心の弱さと揺れに惹かれていた。


 稀代の騎士と持てはやされた者でも、人間はかように弱くなれる。その上で強いフリ・・ができる。


 お前は、自分に向けられる忠義を受け止め切れているのか? リエーレよ。


 心の中でそう問いかける。


 俺の視線から、考えを察したのだろうか。

 ふと、リエーレが肩の力を抜いた。俺を見上げる。


「……なぜ、あなたはそこまでわかるのだ。私のことを」


 諦めに近い口調だった。そのとき、俺は理解した。

 この者は、自身に向けられる忠義を受け止めることに疲れているのだと。

 まるで、使い古されてすり切れた布きれのように。


 ここから彼女はどのように立ち直ることができるのか。人間の精神には、どこまで回復する力があるのだろうか。

 興味が尽きない俺は、機嫌良く告げた。


「最近、人間観察が趣味でな。まさか、リエーレ・アミシオンという人間が、ティエラから聞いていた人物像とここまでかけ離れているとは。非常に興味深く思っている」

「ティエラ……? 今、ティエラと言ったか? 邪紅竜よ、あなたはティエラを、あの子を知っているの!?」


 身を乗り出して尋ねるリエーレ。俺は頷いた。


「うむ。今は我が居城、紅竜城に滞在している。元気だぞ。少々、天然が過ぎる娘だがな」

「ティエラが、紅竜城に。そう、そうなのね」


 リエーレはそう言って大きく息をついた。驚きの中にも、どことなくホッとした感情が混ざっている。

 それを見て、俺は問いかけた。


「お前も来るか? リエーレ・アミシオン。もちろん、お前の部下たちも一緒にだ。魔族の心配をする必要はない。お前たち人間が暮らせる空間も十分にある」


 ざわ、と騎士たちの空気が変わる。

 シシルスがリエーレの横顔を見つめた。唇を真一文字に結んでいる。上官を信じてはいるものの、シシルス自身にも迷いがあるように見えた。


 ふ……このような人の機微を目の当たりにできるとは。俺はよい経験をさせてもらっている。

 正直に言うと、彼女らが望むならこのまま見逃しても構わないと思っていた。一方で、邪紅竜としてどこまで人間を説得できるか、試してみたい気持ちも強くあった。


 だから、俺はリエーレの返事を待つ。


 聖風騎士団第二大隊の大隊長殿は、一瞬逡巡し、視線を外す。しかし、すぐに俺を見つめ返した。


「せっかくの申し出だが――拒否だ」

「別に騙したり、取って食おうというわけではないぞ」

「わかっている。あなたの言葉に嘘偽りがないことは、他ならぬ私が身をもって思い知っている。だが、それでも拒否だ」

「ほう。なぜだ? 騎士の本分を貫くためか」

「……そうだ。我々とあなたは、長きに渡り敵対してきた。今更、そのような話を鵜呑みにする理由がない。それに――」


 リエーレは一度言葉を切り、深呼吸をした。さらに力強く告げる。


「私は、聖風騎士団第二大隊、大隊長リエーレ・アミシオン。騎士団を束ねる者としての責任がある」

「なるほど」


 どうやら、部下たちの前ではあくまで無理を貫き通すつもりらしい。

 これが魔族であれば。他の魔王四天王であれば。

 すぐに部下を見捨てて、自分の快適さや都合を優先するだろう。

 愚かとわかっていても、虚勢を張るのだ。彼ら、真の騎士という者たちは。


「まこと、人間とはつくづく面白いな」


 俺の呟きを、とっさにリエーレは理解できなかったらしい。戸惑ったように眉間に皺を寄せる。

 俺は口元を笑みの形にした。

 そして、リエーレたちのために、次の手・・・を打つ。


 長大な翼を思い切り広げる。左右に砂埃が舞い上がった。

 戦闘の合図か――とリエーレたちが身構える。

 俺は広げた翼を、今度は自分の身体を包むようにたたんだ。そして、体内の魔力を練り直す。


 竜の身体が、変化し始めた。


 巨大な体がみるみるうちに縮み、鱗は消えて、いつもの見慣れた服へと姿を変えていく。


「……な……!?」


 リエーレが絶句する前で、俺は『人間形態』へと変化した。

 これならば、満足げに笑う俺の表情が、彼らによりはっきりと伝わるはずだ。


 やはり、交渉するなら目線を合わせなければ。

 強大な竜として威圧し続けるべきじゃない。そう思ったのだ。


 人間の姿になった俺を、リエーレやシシルスが口を開けて見つめている。他にも、後ろに控える女性騎士たちも、俺から視線を外せないでいる。


 そのうち数人は、明らかに赤面していた。


 俺は自分の顔を撫でる。

 そういえば、この身体を作るとき、これはと見込んだ勇者たちを見本にしたのだった。

 彼女らにとって、男としての俺の姿は魅力的に映るのかもしれない。


 可愛らしいものだ。


 我に返ったリエーレが俺に問いかけた。


「これは、何のつもりだ?」

「なに。誠意を見せようと思ってな。この姿の方が、お前たちは話しやすかろう」

「私たちに気を遣ったのか……?」


 毒気を抜かれた顔になるリエーレに、俺はうなずいた。

 するとシシルスがぼそりと言った。


「もし我々を籠絡するつもりだったのなら、その方がまだ納得できたのに」


 俺は肩をすくめた。あいにく、人間を容姿で釣る趣味はない。


「改めて名乗ろう。我が名は邪紅竜ヴェルグ。俺がこの姿とこの名で自ら話をするのは、相手を勇者か身内と認めた者だけ。これは、俺の誠意だ」


 そこで言葉を切り、表情を引き締める。

 いまだ戸惑いを隠せない騎士たちに、俺は語りかけた。


「そして聞いて欲しい。俺の願いと、この地が置かれた状況を。俺は、お前たちを『説得』するために来た」




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