俺の言葉がよほど意外だったのか、シシルスの目が大きく見開かれる。
彼女に告げた言葉は本心だ。シシルスという女騎士の忠義は、邪紅竜である俺が敬意を表したくなるほど立派なものだ。
だからこそ、言っておかねばならない。
シシルスからリエーレへと視線を移す。聖風騎士団第二大隊の隊長は身体を硬くした。俺は言う。
「だが、果たしてお前たちの隊長はその忠義を捧げるに足る人物かな?」
「……!」
「リエーレ様を愚弄しますか」
上官に代わって鋭い目つきで一歩前へ踏み出すシシルス。
対して、リエーレは逆に俯いた。
俺は鼻で息を吐く。
「愚弄か否か。それはお前自身が一番よく分かっているだろう。リエーレ・アミシオン」
静かに問いかける。
この言葉に、嘲りの感情も、揶揄の感情も俺にはない。あるのはただ、純粋な興味関心。
【貪欲鑑定】によってリエーレの隠された内心を暴いた俺は、彼女の心の弱さと揺れに惹かれていた。
稀代の騎士と持て
お前は、自分に向けられる忠義を受け止め切れているのか? リエーレよ。
心の中でそう問いかける。
俺の視線から、考えを察したのだろうか。
ふと、リエーレが肩の力を抜いた。俺を見上げる。
「……なぜ、あなたはそこまでわかるのだ。私のことを」
諦めに近い口調だった。そのとき、俺は理解した。
この者は、自身に向けられる忠義を受け止めることに疲れているのだと。
まるで、使い古されてすり切れた布きれのように。
ここから彼女はどのように立ち直ることができるのか。人間の精神には、どこまで回復する力があるのだろうか。
興味が尽きない俺は、機嫌良く告げた。
「最近、人間観察が趣味でな。まさか、リエーレ・アミシオンという人間が、ティエラから聞いていた人物像とここまでかけ離れているとは。非常に興味深く思っている」
「ティエラ……? 今、ティエラと言ったか? 邪紅竜よ、あなたはティエラを、あの子を知っているの!?」
身を乗り出して尋ねるリエーレ。俺は頷いた。
「うむ。今は我が居城、紅竜城に滞在している。元気だぞ。少々、天然が過ぎる娘だがな」
「ティエラが、紅竜城に。そう、そうなのね」
リエーレはそう言って大きく息をついた。驚きの中にも、どことなくホッとした感情が混ざっている。
それを見て、俺は問いかけた。
「お前も来るか? リエーレ・アミシオン。もちろん、お前の部下たちも一緒にだ。魔族の心配をする必要はない。お前たち人間が暮らせる空間も十分にある」
ざわ、と騎士たちの空気が変わる。
シシルスがリエーレの横顔を見つめた。唇を真一文字に結んでいる。上官を信じてはいるものの、シシルス自身にも迷いがあるように見えた。
ふ……このような人の機微を目の当たりにできるとは。俺はよい経験をさせてもらっている。
正直に言うと、彼女らが望むならこのまま見逃しても構わないと思っていた。一方で、邪紅竜としてどこまで人間を説得できるか、試してみたい気持ちも強くあった。
だから、俺はリエーレの返事を待つ。
聖風騎士団第二大隊の大隊長殿は、一瞬逡巡し、視線を外す。しかし、すぐに俺を見つめ返した。
「せっかくの申し出だが――拒否だ」
「別に騙したり、取って食おうというわけではないぞ」
「わかっている。あなたの言葉に嘘偽りがないことは、他ならぬ私が身をもって思い知っている。だが、それでも拒否だ」
「ほう。なぜだ? 騎士の本分を貫くためか」
「……そうだ。我々とあなたは、長きに渡り敵対してきた。今更、そのような話を鵜呑みにする理由がない。それに――」
リエーレは一度言葉を切り、深呼吸をした。さらに力強く告げる。
「私は、聖風騎士団第二大隊、大隊長リエーレ・アミシオン。騎士団を束ねる者としての責任がある」
「なるほど」
どうやら、部下たちの前ではあくまで無理を貫き通すつもりらしい。
これが魔族であれば。他の魔王四天王であれば。
すぐに部下を見捨てて、自分の快適さや都合を優先するだろう。
愚かとわかっていても、虚勢を張るのだ。彼ら、真の騎士という者たちは。
「まこと、人間とはつくづく面白いな」
俺の呟きを、とっさにリエーレは理解できなかったらしい。戸惑ったように眉間に皺を寄せる。
俺は口元を笑みの形にした。
そして、リエーレたちのために、
長大な翼を思い切り広げる。左右に砂埃が舞い上がった。
戦闘の合図か――とリエーレたちが身構える。
俺は広げた翼を、今度は自分の身体を包むようにたたんだ。そして、体内の魔力を練り直す。
竜の身体が、変化し始めた。
巨大な体がみるみるうちに縮み、鱗は消えて、いつもの見慣れた服へと姿を変えていく。
「……な……!?」
リエーレが絶句する前で、俺は『人間形態』へと変化した。
これならば、満足げに笑う俺の表情が、彼らによりはっきりと伝わるはずだ。
やはり、交渉するなら目線を合わせなければ。
強大な竜として威圧し続けるべきじゃない。そう思ったのだ。
人間の姿になった俺を、リエーレやシシルスが口を開けて見つめている。他にも、後ろに控える女性騎士たちも、俺から視線を外せないでいる。
そのうち数人は、明らかに赤面していた。
俺は自分の顔を撫でる。
そういえば、この身体を作るとき、これはと見込んだ勇者たちを見本にしたのだった。
彼女らにとって、男としての俺の姿は魅力的に映るのかもしれない。
可愛らしいものだ。
我に返ったリエーレが俺に問いかけた。
「これは、何のつもりだ?」
「なに。誠意を見せようと思ってな。この姿の方が、お前たちは話しやすかろう」
「私たちに気を遣ったのか……?」
毒気を抜かれた顔になるリエーレに、俺はうなずいた。
するとシシルスがぼそりと言った。
「もし我々を籠絡するつもりだったのなら、その方がまだ納得できたのに」
俺は肩をすくめた。あいにく、人間を容姿で釣る趣味はない。
「改めて名乗ろう。我が名は邪紅竜ヴェルグ。俺がこの姿とこの名で自ら話をするのは、相手を勇者か身内と認めた者だけ。これは、俺の誠意だ」
そこで言葉を切り、表情を引き締める。
いまだ戸惑いを隠せない騎士たちに、俺は語りかけた。
「そして聞いて欲しい。俺の願いと、この地が置かれた状況を。俺は、お前たちを『説得』するために来た」