「失礼します」
ライラは静かに客間へと足を踏み入れた。
レオン・アルバートは長椅子に座り、まるで待ち受けていたかのようにライラを見据えている。
その視線は冷ややかで、僅かな揺らぎもない。
この国の宮廷騎士団を束ね、王城の警備と治安維持を担う男。彼にとって、王族とその側近は護るべき存在――その中で、自分はどう位置付けられているのか。
(……敵か、それとも)
深く息を吸い、ライラは慎重に言葉を紡ぐ。
「お時間を頂き、ありがとうございます、アルバート様」
「用件を聞こう」
硬い声だった。
その声音が、ライラの心をざわつかせる。
慎重に、そして大胆に踏み込まなければならない。
「――私が知りたいのは、王城に毒が持ち込まれている可能性についてです」
レオンの眉がわずかに動いた。
ライラは続ける。
「とある筋の情報です。今現在、この離宮に毒が運び込まれている可能性があります。もし本当に毒が搬入されているのなら、毒を探し、その経路を調べる必要があります。そのために、あなたの協力と情報開示をお願いしたいのです」
静寂が落ちる。
レオンはまるで彼女の言葉の裏側を探るかのように、冷静な瞳で見つめている。
「毒の搬入ルートを知って、どうする?」
ライラは即座に答えた。
「もちろん、犯人を突き止めるためです」
「そうか。だが、お前が毒の存在を知っていること自体、不自然ではないか?」
レオンの声には冷ややかな疑念が滲んでいた。
「私ですら聞いていない話を、どうしてお前が知っている?」
「情報源は言えません。でも、もし私が知っていたとして、それが何だと言うのです?」
「むしろ問題なのはそこだ」
レオンはわずかに目を細め、低く鋭い声で続ける。
「"とある筋"などという不確かな情報をもとに、毒の存在を騒ぎ立てること自体が怪しい。まるで、お前が毒の存在を知っているのが前提で話を進めているようだ」
「私が毒の存在を知っていたから何だと言うんですか?」
ライラは食い下がる。
「むしろ今、大事なのは真実です。誰が、どのように毒を持ち込んだのか。それを知ることが重要でしょう?」
「真実……か」
レオンは冷たく微笑んだ。
「その言葉をお前が口にするとはな」
「どういう意味です?」
「本当に、毒を追っているだけならばなぜ私に接触してきた?」
「あなたは王城の警備を統括している。誰よりもこの城の出入りに精通しているからです」
「では逆に問おう」
レオンはライラの目をまっすぐに見据えた。
「お前がその毒の搬入経路を突き止めたとして、その先にいるのは誰だ?」
「……それを調べるために、協力をお願いしているのですが?」
「違う。お前はすでに"知っている"のではないか?」
ライラの喉が強張る。
レオンの鋭い視線が、彼女の些細な反応すら見逃さぬように刺さる。
「私が知っている限り、この城に毒の報告は上がっていない。にもかかわらず、お前は"毒が持ち込まれている可能性がある"と言い出した」
「そ、それは……」
「一体それはどういう了見なんだ?」
「王女を守るためです!」
「ならば、なぜまず私に相談せず、自分で情報を得て動いている?」
「あなたが私の話を信じる保証がなかったからです」
レオンの目が細まる。
「なるほど。つまり、お前は"私が毒の話を握りつぶす可能性"すら考えていたわけだ」
「……」
ライラは口を閉ざした。
レオンの青い瞳が、ゆっくりと細められる。
彼はわずかに身を乗り出し、低く鋭い声で言う。
「少し質問を変えよう。お前がその毒を手に入れたら、何に使う?」
ライラの背筋に、冷たい感覚が走った。
(この質問……何かがおかしい)
慎重に言葉を選びながら答える。
「私に毒を使う意図はありません。ミルネシア王女を救うために動いています」
レオンの表情が微かに歪む。
それは、冷たい失笑のようだった。
「救う? お前が?」
その瞬間――
シュン――
刃の音がした。
「っ――!?」
レオンの剣が鞘から抜かれたかと思うと、ライラの背後にいた護衛二人が一瞬で崩れ落ちた。
「なっ……!?」
「殺してはいない。少し眠ってもらっただけだ。貴様とは違い、私は自分の仲間を決して傷つけたり、裏切ったりはしない」
彼女の護衛は、レオンの部下であり、この場では王城の秩序を守る者たちだった。
その彼らが、剣の一閃で沈黙した。
ライラは咄嗟に後ずさる。
「どういうつもりですか……!?」
「それはこちらの台詞だ、ライラ・ルンド・クヴィスト」
レオンの声は不思議なほど、穏やかだった。まるでこのような事になるのを予期していたように。
その瞳には疑いと断罪の色が宿っていた。
「この場でお前の言葉を信じると思うか?」
「私は本当に、王女を救いたくて――」
「"王女を殺すために"、毒の情報を手に入れようとしているんだろう?」
ライラの心臓が跳ねた。
(……なんですって?)
「誰がそんなことを……」
「宰相モーランだ」
レオンの言葉に、ライラの呼吸が止まる。
「お前がユリアナと合流し、王国を内側からもう一度壊すつもりだと」
レオンの剣の切っ先が、ライラに向けられる。
「……お前が王女を毒殺しようとしていると、事前に聞かされていた」
宰相が、"先回り"していた。この面会を聞きつけたのだ。
つまり、それを可能にできるのはシャーリーだけだ。
(……最悪だ)
ライラの身体が硬直する。
完全に、彼の、彼らの掌の上だった。
今ここで、何を言ってもレオンには届かない。
「あなたは……騙されている……!」
「騙されているのはどちらだ?」
レオンの腕が動く。
次の瞬間――
ズバッ――!
鋭い衝撃が、ライラの体を切り裂いた。
「ぁ……」
全身の力が抜ける。
温かいものが、体を流れ落ちていくのを感じる。
そのとき――
「ライラ
「ライラ!!」
扉が勢いよく開かれた。
シャーリーが駆け込んできた。
その後ろには、血相を変えたミルネシア王女がいた。
だが――ライラの意識は、その姿を完全に捉えることなく闇に沈んでいく。
(……また……死ぬの? 嫌だ、ミルネシアと会えなくなるのはいや……だ)
――視界が暗転した。
その瞬間、彼女の指輪が輝き、ライラへ三度目の死を告げた。