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第18話 犬のように吠えろというのですか?

 ――ズバッ。


 肉を裂く鈍い音。


 鋭い痛みと共に、視界が揺れる。


 そして。


(また……死ぬんだ)


 そう確信した瞬間、ライラの薬指にはめられている指輪がひときわ強く光を放った。


(この指輪って誰の? いつ貰って、なんで付けているんだっけ……? 分からない)


 ただ一つ、指輪に関して頭に浮かんだ事は“決して外してはならない”その事だけである。


(あ……)


 次の瞬間、意識が、崩れる。


 奈落へと落ちていくような感覚。音も、色も、意味すらも消えていく暗闇の中で、ただ一つ――


(今度こそ、ダメかと思った)


 頭が痛む。指輪が光を放っていたのは、きっと気のせいではない。だけど何も思い出せなかった。


 けれど、沈みきったその先で、再び、あの"始まりの気配"があった。


 時間が、巻き戻る。


 心臓が、脈を打つ。


 空気が、肺に満ちていく。


 そして――


「ワンワン!!」


(……は?)


 その声に、脳が追いつかない。

 場の空気が、あまりにも唐突に、馬鹿馬鹿しく変わっていた。


 次の瞬間、自分の口から意味不明な鳴き声が出たと気づいたときには、すでに四つん這いになっていた。


 頭が混乱している。そして――


「まだ少し恥じらいが残っているわね。やり直しよ」


 上から見下ろすミルネシア王女の笑顔があった。


「ワ、ワンワン!」


 自分の口が勝手にそう叫んだ瞬間、ライラはようやく"今の自分"の状況を理解した。


(……なにこれ、犬ごっこ? どうして、私が……? さっきまでは確かに)


「ふふ、よくできました♪」


 撫でられる。頭を。


 そして耳まで真っ赤になる自分。屈辱と戸惑い、だけど――


(ミルネシアの手が、あたたかい……)


 視線の先で、まるでご褒美を与えるかのようにミルネシアが笑っていた。


 目の前には、変わらない笑顔。


 けれど、脳裏にはまだ焼き付いて離れない。剣に貫かれ、斬り裂かれた胸の感覚。血の温もり。そして、暗闇の淵で呟いた願い。


(……これで、三度目)


 息を呑む。喉が詰まる。それでも脳は冷静に現状を把握しようと動いていた。


(査問会の一週間前。この犬ごっこ……前にもあった。ここが"巻き戻り地点"というわけ?)


 死の痛みや記憶を引きずったまま、柔らかなミルネシアの手が、ワシャワシャと本物の犬を扱うように触れてくる。


 思わずガブリと齧り付き、意地悪したくなった。


 自分はこんなにも大変なのに、あなたは呑気なお姫様だと。


「ミ、ミル、もうやめようよ! なんでこんなこと……」


 自分の意思とは関係なく紡がれる言葉。どういうわけか、一定の地点にたどり着くまで勝手に進む仕様らしかった。


「だってライラが悪いのよ?」


 微笑みながら言うミルネシア。その目は楽しそうで、愛おしそうで、これから起こる事を何も知らない純粋無垢な少女に見えた。


(レオン様に殺された。私の言葉は信じてもらえなかった。宰相が先回りして、レオン様に言伝を……)


 また今回の死に戻りで、シャーリーが完全に裏切っていた事も分かった。彼女を通した情報は全て宰相に筒抜けであると考えた方が良いだろう。自分の行動を含めてだ。


――あと何回死ねるのだろう? 


 三度目の今が最後かもしれないという焦りが、ライラの胸を締めつける。


(まだ私には、やらなきゃいけないことがある。毒の搬入経路。宰相の陰謀を暴き止める事。シャーリーの裏切りを防ぎ、レオンの誤解を解くこと)


 全てはミルネシアの笑顔を守るために。


 もう二度と、血に濡れて倒れる姿を見せたくない。


「ミル、私……あっ」


 自由に話せた。強制力はどうやらここまでらしい。


「ふふ、なぁに? また逃げようとしたら、今度はしっぽもつけるわよ?」


 おどけるように笑うミルネシアの表情に、ライラは思わず笑ってしまう。


 涙交じりの、安堵の笑みだった。


(ありがとう、まだ私にやり直させてくれるんだね)


「ううん……なんでもない。ちゃんと、お利口にするよ」


「よろしい」


 小さな手が、またそっとライラの頭を撫でる。


「じゃあ、続きね♪」


 ミルネシアがにっこりと笑い、犬耳のカチューシャを差し出す。


「……わ、ワン」


 ライラは小さく鳴いた。


 笑われてもいい。今は、この瞬間が何より尊い。


 その優しさに、甘えてはいけないと自戒しながら、ライラはゆっくりと彼女に近付き、そっと抱きついた。


「ら、ライラ? どうしちゃったの?」


「クゥーン!」


「……甘えん坊な子犬ちゃんね。よしよし」


(時間は限られている。けど、必ず――変えてみせる)


 死の輪廻に抗う者として、今一度、戦いの舞台へ。


 彼女の目に宿るのは、迷いを断ち切った覚悟の炎だった。



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