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第21話 咲き誇るは美しきハナタチ

「意外と明るいな。子供の頃は、もっと薄暗く感じてたんだけど……」


 王宮と離宮を繋ぐ連絡回廊は、夜でもわずかな灯りが残されていた。壁に取り付けられた燭台の炎が控えめに灯り、廊下全体に柔らかな光と影を落としている。歩く者の姿をぼんやりと映す赤絨毯が床を覆い、足音すら吸い込むように静かだった。


 そして、回廊の中央部――そこには小さなバルコニーがある。王宮と離宮がまるで並び立つ双翼のように両側にそびえ、ここからその全容を同時に眺めることができる。


 バルコニーの下には、王宮庭師が手間暇をかけて育てた花々が咲き誇っていた。夜の風に揺れるそれらは、月光に照らされて静かに光を宿しているようだった。


 そんな風景に一瞬見惚れつつ、ライラはふとある違和感に気づく。


「見張りが、いない?」


 回廊の近くまで来たときから、妙だとは思っていた。通常なら必ず立っているはずの、回廊入口の見張りがどこにもいないのだ。


「まあ、ラッキーって事かな」


 深く考えずに回廊に足を踏み入れる。考えても仕方がない。トイレにでも行っているのかもしれない。それなら、早く渡ってしまえばいい。


  だが――。


「ん? ……あれは」


 回廊の中央へ差し掛かろうとしたとき、前方にぼんやりと人影が見えた。相手も灯りを持っていなかったため気づくのが遅れた。


 この狭い通路で咄嗟に隠れる場所などない。正面から鉢合わせだ。


 そして、ようやく察する。回廊の入り口に見張りがいなかった理由――それは、宰相がこの時間に彼女が自由に行き来できるように、事前に手を回していたのだと。


 おそらく、宰相の部屋に報告へ行った帰りなのだろう。


 ライラが立ち止まった瞬間、その人物が声をかけてきた。


「ラ、ライラ様……? こ、こんな時間に、こんな場所でどうされたのですか?」


 声の主は、ライラの専属メイド――シャーリー・。宰相モーランの手駒として、ライラの監視役を任されている人物だ。


 彼女について、ライラは二度目の死に戻りの後、その家柄から調べられる範囲で情報を集めていた。


 フェネリット家は代々優秀な魔法使いを輩出してきた貴族家系だ。とくに双子の妹・コレットは地方貴族にありながら、王都の名門家から婚姻の申し出が相次ぐほどの才媛。だが一方で、姉であるシャーリーの魔法の才はほとんどないと言っていい。


 本来なら、貴族の子息・令嬢は成人を迎える前に婚約相手が決まっているものだが、彼女たちは違った。ある“秘密”を告白したことにより、妹に向けられていた好意も、姉に近づいていた者たちもすべて離れていった。


 その秘密とは、シャーリーとコレットが共に女性同士でありながら、しかも姉妹であるにもかかわらず互いに恋愛感情を抱いていたという、背徳的な関係だった事だ。


 時代が違えば、世論が違えば――彼女たちの運命も、もう少し優しいものになっていただろう。


 けれど現実は残酷だった。同じく同性愛者として成人の儀で公言していたライラが、その直後に帝国の皇女へと身を捧げ、祖国を裏切った。それにより国内の同性愛者への風当たりは一気に強まった。ライラへの怒りは、同性愛者全体への憎悪と化し、フェネリット姉妹もまた、その矛先に晒されることになった。


 彼女たちは何も悪くない。ただ、ライラが犯した罪の余波に巻き込まれたのだ。


 帝国の進行によって彼女たちの領地が襲われた時、誰も助けには来なかった。貴族でありながら、そこに住まう民にも王国からも見捨てられたのだ。


 もし、ライラが帝国の皇女の元に堕ちず、真っ当にミルネシアの側近となっていれば……また違った未来になっていたのかもしれない。


(元を辿れば、全部私のせい……。私のせいで、あの子たちは、人生を狂わされた)


 シャーリーの目を見て、ライラは思う。


 彼女が祖国を裏切る理由としては十分すぎた。


 ライラが無言で佇んでいると、シャーリーはぎこちない笑みを浮かべた。


「もしかして……何か問題でもありましたか? それで私がいなかったから、こんな時間にここまで……いえ、それなら、普通は衛兵さんやルイディナさんを呼んでるはず……」


 しばし考え込み、ぱっと顔を上げて言う。


「――あ! もしかして、迷子にでもなったのですか!? 久しぶりの王宮ですもんね。うんうん」


 その言葉に、ライラは心の中で静かに呟いた。


(こっちの台詞だよ……こんな時間に、こんな場所で、どうしてあなたがいるのか。それを聞きたいのは、私の方なのに)


 シャーリーは懸命に、気づかないふりをしてくれていた。だが――。


(そんなわけがない。彼女も分かっているはずだ。私が、こんな時間に、こんな場所に、ただの散歩目的で来るような人間でないことくらい……)


 気まずい沈黙がしばし流れる中、ライラは葛藤の末、心を決めた。ここで逃げてはいけない。この子の目を真っすぐに見て、向き合わなければならないと。


「シャーリー・フェネリットさん」


 ライラは意を決して、まっすぐ彼女の名を呼んだ。


「……あなたのこと、少し調べさせてもらった。過去に私がしたことのせいで、あなた達がどれほど酷い目に遭ったか……私は、知らなかった。でも、それでもまずは……謝罪させてほしい。――本当に、ごめんなさい」


 その瞬間、空気が一変した。


「――っ、いまさら……いまさらぁぁぁ!!」


 感情の爆発と共に、シャーリーが両肩を掴み、ライラを壁へと強く押し付けた。思わぬ力に呼吸が詰まり、腕をほどこうとしたが――。


「くっ……うぐっ……!? な、なに、この力……っ!」


 肩から腕にかけて、嫌な軋み音が走る。骨が悲鳴を上げていた。抑え込まれたまま、ライラは驚愕する。


(まさか……身体強化魔法? でも資料には、彼女は魔法の才能がないって……! 偽装……されてた?)


 シャーリーの瞳が怒りと悲しみに揺れる。その瞳や身体から浮かび上がる魔力の泡をみれば、魔法が発動しているとハッキリ分かった。


「あなたの、あなたのせいで……っ、お姉ちゃんは……!」


 ライラは息を呑む。


「え……今、“お姉ちゃん”って……コレットじゃなくて、あなたが……?」


 言いかけたその瞬間――。


「……はっ、死ね! この逆賊!!」


「――っ……あ」


 その一言が、刃のように胸を刺す。ライラの心が一瞬、空白になった。その隙を見逃さず、シャーリーはライラを引きずるようにして、回廊中央の小さなバルコニーの縁へと追いやった。


「ま、待っ――!」


 抵抗する暇もなく、柵に背中がぶつかる。


 そして次の瞬間――。


「あ」


 夜風が衣服をはためかせ、バルコニーの縁から、ライラの身体がふわりと宙に浮かんだ。


 眼下には、月光に照らされる静かな花園が広がっていた。


「地獄で反省してください」


 シャーリーはライラをバルコニーの柵から突き落とすのだった。

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