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第22話 いらない子

 ドサッ。


「がはッ!」


 背中に激しい衝撃が走る。肺から一気に空気が抜け、視界がグラグラと揺れた。


 全身が悲鳴を上げる。手足は思うように動かず、指先が小刻みに痙攣している。背中から温かい何かが流れ出していく感覚があり、それが血だと理解するまでに少し時間がかかった。


「あ、ぐっ……う」


 呻きながらも、ライラはまだ生きていた。


 落下地点がちょうど庭園の上だったことが幸いしたのだろう。咲き乱れる柔らかな花が、衝撃を幾分か緩和してくれた。


(あーあ、これはミルに怒られちゃうなぁ……)


 だが、それでも頭部を強く打っていた。視界はぼやけ、次第に彼女の顔から生気が失われていく。


 バルコニーの柵に手をかけ、ピクピクと身体を痙攣させるライラを上から見下ろしていたシャーリーは、荒い呼吸を整えながら、興奮に震えた声で呟いた。


――そして、少しだけ泣いていた。


「やった……やったよ、お姉ちゃん。私、やったの……! あなたのために……わたし、すぐにグラウド様に報告しなきゃ。これで、あなたを……治して――」


 その時だった。


「報告の必要はない――残念だよ。君には少しは期待していたのに」


「え、あ……?」


 聞き慣れた、しかしここにいるはずのない声に、シャーリーの身体が凍りつく。


 次の瞬間、背後から突き飛ばされるような衝撃。


 シャーリーの身体が宙を舞い、まるで人形のように無様に回転しながら、ライラの隣へと落下する――顔面から。


「あがっ……!」


 乾いた音が響き、彼女の顔が土と血にまみれる。状況が飲み込めず、シャーリーは呆然と空を仰いだ。


 その上空に、月光を背にした男の影があった。


 モーラン・グラウド。宰相にして、王国の内情を裏で牛耳る男。


 彼は欠伸まじりに息を吐きながら、呆れと冷笑の混じった目で二人を見下ろしていた。


「はぁ……とんだ迷惑をかけてくれましたね。何か大きな音がしたと思ったら……感情に任せて早まった行動を取るとはね。おかげで僕の計画が、すっかり台無しですよ」


「な、んで……グラウド様が……」


 土に伏したまま、シャーリーは途切れ途切れに言葉を発した。


 だが、モーランはその問いに答えることなく、あくまで飄々とした口調で続ける。


「君はもう用済みです。あのいらないお姉さんの方に資金や支援を送る必要もなくなりました。むしろ、これで手を引ける理由ができた。僥倖というべきかな。サンプルが機能していれば、今頃お姉さんもお陀仏だろうしね。ま、たとえ死ななくとも、“が死んだ”とだけ伝えれば、お姉さんは勝手に崩れるでしょう。ライラお嬢様の方は……ふーむ、王女様には専属メイドと口論になり、そのまま取っ組み合いになって暗闇で気づかず落ちたとでも言っておきましょうか。どうせ真相は闇の中でしょうし」


「……お姉ちゃんは……っ、いらない子なんかじゃ、ない……!」


「いらない子ですよ。あなたも、あなたのお姉さんも。僕にとってはね」


 シャーリーが涙混じりに叫んだが、モーランは軽くあしらうように微笑む。


「衛兵さん達、後は頼みましたよ。適当なタイミングで騒いでください。貴方達は当直の回廊担当者なんですからね。僕はもう眠くて仕方がないんです。また明日、起こしてくれたまえ」


 傍に控えていた回廊の見張り役である二人の衛兵にそれだけ伝えるとモーランは「ふぁ〜」と欠伸をし、衛兵が二人、無言で一歩前へ出る。


 その背を軽く振り返り、モーランはもう一つ、お楽しみのように言葉を落とした。


「……そうそう、君の大好きなお姉さんの足を壊したのは僕の指示だよ。君たちの村を襲わせたのも、僕だ。そして今、君が一生懸命飲ませてる“聖職者の聖水”……あれ、まったく効果ないから。形式だけの給金代わりってとこかな。まあ、君のお姉さんも感づいてるみたいだけどね。頑張ってる君に言えずにいるんだよ、可哀想に」


 言葉を重ねるごとに、シャーリーの顔が真っ青になっていく。


 それを愉快そうに見つめながら、モーランは最後に明るく言い放った。


「ちなみに、彼女に飲ませてた“聖水”は、元々ライラお嬢様に使う予定だったものの試作品だったんだ。いい治験になったよ。ありがとね。さっきも言ったけど、効果が上手く出てれば姉妹揃って死ねてるはずさ……ああ、もう聞こえてないか。じゃあ、良い夢を。あー、今日はよく眠れそうだ。君たちは見れない明日が楽しみだよ」


 軽い足取りでその場を去るモーラン。


 花の上で、ライラの隣に倒れ伏すシャーリーは、涙を止めることができなかった。半分泥に埋もれた顔から、こぼれ落ちる熱い雫。彼女ももう長くない。


 治療すれば助かるだろうが、こんな時間に庭園に来る人はいないし、宰相も手を回しているだろう。


――助からない。


(ああ……そっか)


 ライラの意識が薄れていく中、最後に浮かんだのは、一つの確信だった。


(シャーリーも……“こっち側”だったんだ)


 彼女は道を誤った。だが、その原因を作ったのは誰か。


 シャーリーを使い捨てにし、姉妹を壊し、すべての糸を引いていた真の悪――モーラン。


(……やっぱり、あいつが……諸悪の根源)


 霞む視界の中で、ピクリと動くシャーリーの指先が見えた。


(う……私も、そろそろ……限界か。次は……も、守らなきゃ……)


 意識が、夜の闇に沈んでいく――。

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