「お嬢様。この後はメアリー様の所へ向かうのですよね? 私もご一緒させて頂いてもよろしいでしょうか?」
ライラが身支度を終えたタイミングで、ルイディナが問いかけてきた。
「……いいけど、仕事の方は大丈夫なの?」
ライラが振り返りながら問い返すと、ルイディナはふっと目元を和らげて答えた。
「不思議な事を仰いますね。ライラお嬢様に尽くすのが、専属メイドである私の仕事ですので」
その言葉に、思わずライラも苦笑した。
「確かに、そうだったね」
小さく息をつくと、ライラは腰掛けていた寝台の縁から立ち上がった。身につけた日常着はよく手入れされ、上質な布地が肌に優しく沿う。
「じゃあルイディナ。行こうか。メアリー秘書官を待たせるわけにはいかないし」
「はい。お供いたします」
ルイディナが静かに頷き、先んじて扉へと向かう。ライラもその後に続きながら、ある質問をする。
それは彼女が、自分の敵か、味方かを確かめる質問だった。
「ねえ、ルイディナ。知っているとは思うけど、私は取り返しのつかない事をした。王国にとって大損害を生み出し、シャーリーのような子を沢山つくってしまったと思う……あなたは、それでも私のそばにいてくれる?」
一瞬、空気が止まった。
けれど、ルイディナは驚く素振りすら見せなかった。ただ、穏やかに瞳を細めるとライラの方を向き、変わらぬ声で答える。
「もちろんです。私は専属メイドとしてお嬢様の味方であるよう命じられていますが、それ以上に……お嬢様を信じております」
その言葉には、誓いにも似た静かな力があった。
「それはどうして?」
ルイディナは、すぐには答えなかった。そして、まるで記憶の奥底にある大切な何かを手繰るように、そっと口を開いた。
「……私が、昔のあなたに救われたからですよ」
「え?」
ライラが驚いたように目を瞬かせる。だがルイディナは、その反応も予期していたようで、優しく微笑んだ。
「お嬢様は覚えておられないでしょうが……ミルネシア様にお訊きになれば、お分かりになるかと。あの方も、当時のことをよく覚えておいでですから」
「うそ……全然、記憶にない……」
「無理もありません。あの頃のライラ様は、まだ六つにもなっておられませんでしたから」
穏やかな声には、微かな懐かしさと、ほのかに滲む誇りが混じっていた。
「だからこそ、王国を裏切ったと聞いたときは、私には信じられなかったのです」
淡々とした言葉の中に、確かな心の揺れがあった。責めているのではない。事実として、ルイディナはただ“信じられなかった”のだ。
ライラは小さく俯き、申し訳なさそうに唇を結んだ。
「……ごめん」
謝罪の言葉は、自分でも驚くほど弱々しく、頼りなかった。だが、ルイディナはその一言に首を振り、迷いのない声で答えた。
「謝らないでください。怒っているわけではありません。何か事情があったのだと私は勝手に思っています。だから……」
――その先の言葉は語られなかったが、ルイディナのまなざしは優しく、まるで過去の小さな少女を見つめるようだった。
重くなりかけた空気を断ち切るように、ルイディナが手を伸ばし、目の前の扉を静かに押し開けた。
すると、廊下に陽の光が差し込んでくる。
澄み渡った光が石造りの床に淡い模様を描き、次の瞬間、ルイディナの影がそこに一歩、静かに踏み出した。
「お嬢様にはずっと笑顔でいてもらいたい。それが、救われた私からのささやかな願いです」
「……ルイディナ」
まだ、知らなくてはならないことがある。
探らなくてはならない真実がある。
けれど――今だけは、笑顔でいたい。
目の前のこの女性が、そう願ってくれるのなら。