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「メアリー秘書官、ライラ・ルンド・クヴィストです。お話があるとシャーリーから伺ったのですが……? メアリーさん?」
食堂に入ったライラとルイディナだったが、肝心のメアリーの姿は見当たらず、他に人影もなかった。
「どうやら、まだおられないようですね。……時間には少し早いので、いらしていないだけかもしれませんが――お嬢様、こちらをご覧ください」
「何か見つけたの?」
ルイディナが差し示したのは、テーブルの上に置かれた一枚のメモだった。筆跡からして、メアリーが書いたものだろう。
「“一人で地下の食料保管庫まで来てください。王女殿下もお待ちです”……そう書かれています」
「ミルネシアも? ……ルイディナ、ミルも呼ばれてること、知ってた?」
「いえ、私も初耳ですね。私もその場にいたので聞いてはいたのですが、メアリー様が呼んでいらしたのはお嬢様だけだとばかり……」
「メアリーさん、いつ来たの?」
「私とフェネリットがミルネシア様たちとお話をしてかから少しして、部屋の方にお一人でやってこられました。ちょうど、お嬢様がまだお休みだった頃ですね。なので我々に伝言を頼まれていきました」
「そっか。もしかしたら二人と別れた後、ミルと何か話してそうなったのかもしれないね。とにかく、行ってみるよ。ルイディナはここで待っていてもらえると助かる」
「かしこまりました」
軽く頷いたルイディナを残し、ライラは食堂奥にある地下の保管庫への階段を降りていった。
地下へ向かうたびに空気は冷え、石造りの壁が静かに息を潜めていた。王国の冷却魔法が施されたその空間は、夏でも冷んやりと澄んでいる。
階段を最後まで降りると暗がりの奥に一人の影が見えた。
「ミル……?」
「えっ? ライラ? どうしてここに……」
ミルネシアが驚いたように目を丸くし、こちらへ小走りで近寄ってきた。
何を驚いているのだろう? とライラは疑問を持たずにはいられなかった。
「どうしてって、メアリーさんに呼ばれたからだよ。ミルは知らなかったの?」
「メアリー? 彼女が? 私は何も聞いてないわよ」
「え、じゃあミルはなんでここにいるの?」
「私はシャーリーに、あなたの事で話したい事があるって言われて」
「え、シャーリー? それはおかしいよ。そんな話聞いてないし、あの子は所用があるって言ってた……ん? ミルは公務抜けてきて大丈夫なの?」
「何を言ってるの! あなたの事なら、そっちを優先するに決まってるじゃない!」
一瞬、ライラは呆れたように目を細め、肩をすくめる。
「……ミル、私が言うのもなんだけどさ、それで王女様務まるの? もしかして私がいないとダメなタイプだったりする?」
「うるさいワンコね……ライラ、お手!!」
「ワンッ!! ――はっ、しまった!!」
元気よく返事をして右手を差し出してしまい、ライラは慌てて手を引っ込める。ミルネシアは満足げに頷いた。
「うんうん。我ながら順調に躾が進んでるみたいね」
満足そうに頷くミルに、ライラがぷくーっと頬を膨らませる。
「もう! 今はそういうこと言ってる場合じゃないでしょ!」
「ふふ、ごめんなさい。あなたを見てると、昔っからついからかいたくなる。……なんか意地悪したくなっちゃうのよ」
「ミルのバカ!」
「悪かったわ。でも……ライラ。あなた、本当にメアリーに呼ばれたの? それ、変よ。だって、今メアリーは私の代わりに公務に出てるから、ここに来れるはずないのよ」
「え、うそ……じゃあまさか、これって……罠?」
ひと筋、背筋を冷たいものが走る。
何かがおかしい。ライラの中で警鐘がなった。
片や、国を裏切った大罪人。片や、その大罪人をかばう王女。
今いる場所も相まって、密会になってしまっている。二人だけでこの空間にいる状況はよくなかった。
「ライラ?」
嫌な予感がする。何度も死に戻りを経験してきたライラは、その辺の感覚が鋭くなっていた。
「――やばいっ、ここにいちゃダメだ。ミル逃げよう!」
「ちょっと、急にどうしたのよ!?」
ミルの手をとって、地上へと繋がる階段を駆け上がろうとした時、ギイッと音を立てて、扉が開いた。
嫌な予感があたった。
「おお、おそろいですなぁ。王女様と売国奴のお嬢様が、こんな陰気な場所で何を密談していたのやら? それに今逃げるとおっしゃいましたかな? 他の人が来て、何か都合が悪いことでもしていたのですかな?」
「モーランっ……!」
宰相モーランが、薄笑いを浮かべて立っていた。その背後には数名の兵士。そしてシャーリー、さらには公務中のはずのメアリーまでが控えていた。
「シャーリー……これはどういうことか説明してくれる? 私を呼び出したのが貴方じゃないって、どういうこと? それにメアリー、貴方もよ」
「…………」
「申し訳ありません、ミルネシア様。ですが、これもすべて……あなた様の為なのです」
メアリーはばつが悪そうにして、まともにミルネシアと向き合うことができず顔を伏せた。
シャーリーは何も言わず、ただ無表情のまま立っている。
「ははっ、説明の前に――王女様。その懐の手紙、どなた宛のものですかな?」
「は? 懐……? 手紙なんて……? ……え、うそ」
指摘され、ミルネシアが上着の内ポケットに手を入れると、そこには見覚えのない一通の手紙が入っていた。
「ちょっと待って、私はこれ、知らないわ。こんなもの、誰が……!」
「それを拝見しても?」
「待って、先に私が中身を確認させて――っ、これは……!」
手紙の文面に目を通したミルネシアは、息を呑んだ。
それは二周目の時に、ライラの部屋から見つかった帝国への密書だった。
その事を理解できるのはライラだけであったが。
「何が書かれていましたかな? どれどれおお、これは実に面白い」
驚愕したミルネシアから手紙を奪い取り、モーランはククッと笑った。
「いけませぬなあ、王女様。これはまさしく、帝国との内通を示す書状。お二人で密かに何を計画していたのです?」
「私は知らない!! この手紙、さっきまで持ってなかったもの!!」
「そうでしょうとも。きっと彼女に渡されたのでしょう。“中身は見るな、そのまま届けろ”――そう頼まれた? 違いますかな?」
「ライラはそんな事してないし、言ってないわ!」
「ふーむ……しかしこの状況ですと今のあなたは裏切り者を庇って、言っているようにしか聞こえませんなー。王女様が潔白だという事は、私も信じています。ですが、問題は――ライラ・ルンド・クヴィストですな。まぁきちんと調べればわかる事ですよ」
「そんな……メアリーっ!」
「ごめんなさい、ミルネシア様。どうか……目をお覚ましください。ライラ様は、貴女様を欺いているのです」
この場でライラを除き、唯一の味方であるはずのメアリーまでもが、宰相の言葉に同調してしまう。まるで計算された劇のようだった。
「メアリーあなたまで……どうして。この手紙はいつ、誰が――!」
ミルネシアの懐に、手紙を自然に忍び込ませる事ができた人物は一人しかいなかった。
「…………」
ふと、ミルネシアは目の前で無言を貫くシャーリーをみて、朝の出来事を思い出す。シャーリーとすれ違った時、彼女とぶつかってしまったことを。
――まさか、あの時に?
「シャーリーが……懐に?」
「おや、王女殿下。お心当たりでも? 何かあれば彼に伝えると良いですよ。彼は王国の忠実な剣なのですから」
重たい足音が響き、宰相の背後からもう一人の男が現れた。それは王国最強の騎士レオン・アルバートであった。
「レオン……これは何かの間違いよ」
彼はミルネシアの元に歩み寄ると目を閉じて、片膝をついた。
「ご安心ください。私も姫様の事は疑っておりません。しかしこのような物が出てきてしまった以上、確認は必要です。御身を拘束させて頂きます。ご抵抗はされぬように」
「レオン、お願い、聞いて。ライラは――!」
「ライラ・ルンド・クヴィストが王女を利用し、再び王国に仇なそうとしていた可能性は拭えません。よって、彼女の拘束も命じさせていただきます。姫様は利用されたのです」
「……レオン!」
「姫様、貴女はもう子供ではない。道を誤ってはなりませぬ。ご自身の立場をお忘れなきよう」
もはや何を言っても届かない。そう悟ったミルネシアは、ライラへと視線を向けた。その視線の意図に彼女は気付いた。
(ミルっ!? それはダメっ!)
こうなれば武力を行使してでも、ライラを逃す覚悟だった。
だが、それはライラ自身の手によって止められた。
「ミル。私は大丈夫。ミルは、この国の王女様なんだから。一時の感情で動いちゃダメだよ。……だから、あとで会おう。絶対にね」
ミルネシアの手を握り、ライラは落ち着かせるようにできるだけゆっくり話しかける。それが功を奏し、ひとまずは落ち着かせることができた。
「……ライラ。ええ、分かったわ」
「では姫様。ライラ・ルンド・クヴィスト。拘束させて頂きます」
「ええ」
「はい」
ライラとミルネシアはそれぞれ別々に拘束され、地下から連れ出された。
一人は尋問室へ。
一人は王宮の個室へと。
“あとで会おう”
その言葉が叶うのは、――処刑の日。
燃え上がる火の中で交わす、最期の視線の瞬間まで、訪れることはなかった。