「解禁はするが、アガルタに下りるかどうか決めるのは、寧人自身だ。嫌なら、先送りにしても……」
そんな夢琪の言葉に、寧人は力強く即答する。
「いや、下ります!」
命の危険がある戦いを、寧人は恐れてしまった。
だが、恐怖に負けて、実戦経験を積むのを先送りにすれば、自分の武仙としての成長が遅れるのが、寧人には分かっている。
成長が遅れてしまえば、それだけ元の世界に戻るのが遅れ、日本にいる家族や友人、その他の人々を助けられる可能性が、低くなってしまう。
そうなるのが分かっていて、実戦経験を積むのを、寧人は先送りにはできない。
恐怖に負けなかった寧人を見て、夢琪とヘルガは嬉しそうな笑みを浮かべる。
「まぁ、そこまで恐れることもない。寧人よりも遥かに弱いのに、アガルタで冒険者活動を始める連中は多いんだ」
夢琪は寧人の恐れを、減らす為の言葉をかける。
「うちは比較的、厳しい部類のカンパニーだから、徹底して基礎固めはした上で、アガルタに潜らせるが、そうでないカンパニーも多いからね」
冒険者とは、危険なアガルタの中を冒険し、様々な貴重な物を手に入れる者達の職業名。
他にも、モンスター退治や護衛の仕事なども行うが、アガルタを冒険してこそ冒険者といえるのだ。
そんな冒険者達の組織がカンパニーであり、サウダーデには大小様々な三百を超えるカンパニーが存在する。
武仙幫はサウダーデというより、クルサードで最も古いカンパニーの一つだ。
様々な貴重な物を発見し、入手する商売をする為、冒険者となる者達が集うのが普通のカンパニーである。
ただ、武仙幫の場合は、武仙を育成する為に存在しているので、存在目的が他のカンパニーとは異なっている、特殊なカンパニーといえる。
ちなみに、温泉関連のビジネスや、仙術で作り出した様々な薬の販売により、手堅く儲けているので、武仙幫はアガルタで稼ぐ必要はない。
その辺りも、武仙幫は普通のカンパニーとは異なっている。
「冒険者として活動する為、知っておくべきことは、一応……教えた筈なんだが、もう一度確認しておいた方がいいだろう」
夢琪の言葉に、寧人は頷く。
洞天福地での修行を始めてから、寧人は夜の座学の時間などに、震天動地で戦う為の知識だけではなく、サウダーデで冒険者として活動する為に必要な、様々な知識を学んでいた。
だが、実際に冒険者として活動する前に、ちゃんと復習しておいた方がいいと、夢琪も寧人も思ったのだ。
「それじゃ、僕はパブに行ってきます。事前に話を通して予約を入れておかないと、当日に時間がかかり過ぎる場合があるんで」
「ありがとう、ヘル姐」
寧人に礼を言われたヘルガは、少し照れ臭そうな表情を浮かべつつ、言い訳の言葉を口にする。
「他にも町には用事があるから、ついでだよ」
ヘルガの言うパブというのは、パブリックハウスの愛称だ。
パブリックハウスは元々、庶民向けの酒場を示す言葉だったのだが、現代では冒険者達が加盟する、職業団体を意味する言葉となっている。
最終戦争後、アガルタを中心とした迷宮都市として発展した為、サウダーデは冒険者を中心とした都市となっている。
発展の初期において、「オリジナルセブン」と呼ばれる七つのカンパニーが出資して、冒険者向けのサービスを行う組織が、作られることになった。
新たに建物を建てる金が勿体なかった為、パブリックハウス……酒場の一角を借りて、冒険者向けの組織は活動を始めた。
そのせいで、いつの間にか組織名自体がパブリックハウスとなり、パブという愛称が定着したのだ。
その後、冒険者の増加に合わせ、パブリックハウスの組織は巨大化し、自前の建物を幾つも建てる程の大組織となった。
パブリックハウスは現在、実質的にはサウダーデにおいて、自治政府を上回る影響力を持つ存在となっている。
サウダーデは世界の迷宮都市の、中心的な存在であるが故に、パブリックハウスの組織は、多くの迷宮都市に真似された。
各迷宮都市のパブリックハウスは、独立組織ではあるのだが、連携もしている。
アガルタに潜る冒険者や採集者は、パブリックハウスで登録を行うのが普通である。
義務ではないのだが、登録を行わないと、パブリックハウスの様々なサービスを受けられないので、登録しない者は殆どいないのが現実だ。
フリーの場合は、冒険者登録には時間がかかってしまう。
素性の調査や、最低限の戦闘能力があるかどうかの確認など、色々とやることがあるので。
だが、有力カンパニー所属の場合、カンパニー側が事前に話を通しておけば、素性の調査や戦闘能力の確認は不要となる。
ついでに予約を入れておけば、他の新人冒険者の登録が長引いた場合に、待たされることもない。
故に、ヘルガは明日……寧人がスムーズに冒険者登録ができるように、パブリックハウスに話を通し、予約を入れるつもりなのである。
「……まぁ、でも……とりあえずは二人共、汗を流してきた方が良いね」
夢琪の言葉通り、寧人とヘルガは汗塗れになっていた。
しかも、寧人の方は地面の上を、何度も転ばされているので、土にも塗れている。
「そうですね……」
ヘルガは思案しつつ言い足す。
「今なら客入れ前の筈だから、今日は八卦溫泉にしようかな」
洞天福地が温泉施設として営業するのは、夕方から夜にかけての数時間だけ。
まだ営業が始まるまで、一時間程あるので、身体を洗うには十分な時間があった。
午後の修行が、八卦溫泉の営業時間まで続いた場合、ヘルガは他の風呂を使う。
でも、そうでない時は、修行の汗を流す為、八卦溫泉を使うのだ。