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第34話 ……ほんと、色気が服着てるみたいな人だな……見た目は

 心地よい夜風が流れ込んでくる、夜の部屋の中は明るい。

 天井から下がっている、金魚鉢のような照明が、程よく室内を照らしてくれるからだ。


 本棚と机、木製のベッドが置かれているだけの、飾り気のないシンプルな設えの寝室。

 そんな寝室の、西洋風でありながら、中華風のデザインも取り込まれている、ベッドに座っている寧人は、白い半袖シャツに短パンという、ラフな格好をしている。


 普段は功夫服を着ている場合が多いのだが、部屋着や下着は、サウダーデで売っているものである。

 ベーシックな洋服や下着に関しては、日本で売られているものと、基本的には余り変わらない。


 長らく女性しかいなかった洞天福地には、男女兼用の功夫服を除けば、男性用の服や下着がなかった。

 それ故、修行で忙しい寧人に代わり、ジーナがサウダーデで買って来てくれたのである。


 ベッドに座りながら、寧人は書物に目を通していた。

 アガルタに関する資料と、冒険者としての心得などが書かれた、夢琪が書いた書物である。


 アガルタに下りる日の為、夢琪は座学の時間に、色々とアガルタや冒険者について、寧人に教え続けていた。

 今日の夕方と夕食の後も、寧人は夢琪から座学の講義を受けたのだが、その際……これまで習ったことの復習をしたのだ。


 五極楼ごきょくろうという、寧人を除いた三人が暮らしている、城のような建物の講義用の部屋で。


「……明日は忙しくなる、今日は早目に寝なさい」


 そんな言葉と共に、普段よりも早目に座学の講義は終わったので、講義の後、寧人は自分の家に戻った。

 すぐに床に入ったのだが、明日からアガルタでの実戦が始まると思うと、気が昂ってしまうせいか、すぐには寝付けなかったので、寧人は書物に目を通し始めたのである。


 一通り目を通し終えた寧人は、立ち上がって机の方に移動し、書物を机に置く。

 机の上には、履歴書に似た書類が置かれていた。


 パブリックハウスで予約を入れた際、ヘルガが受け取ってきた、申請書類だ。

 申請に必要なことを書き込む記入欄は、既に記入済みである。


(ヘル姐には世話になりっ放しだし、何かお礼でもしないと……いや、ヘル姐だけじゃないか)


 ヘルガだけでなく、夢琪やジーナにも、色々と世話になっていた寧人は、彼女達に深く感謝していた。

 故に、修行の合間の休憩時間などには、八卦溫泉などの洞天福地での様々な仕事を、寧人は手伝っている。


 それでも、受けた恩や世話に比べれば、大したお返しはできていないと、寧人は感じていたのだ。


(そういえば、ヘル姐……何か話があるみたいだったな……)


 ヘルガのことを思い浮かべた寧人の頭に、少し前の記憶が蘇る。

 夢琪の講義が終わった後、寧人は五極楼の前で、講義の助手を務めていた、黒いメイド服姿のヘルガに、声をかけられたのだ。


「……えーっと、何と言うのか、その……」


 普段とは違う、しどろもどろの態度のヘルガは、何か言い難そうな話題を、切り出そうとしている感じであった。

 でも、ヘルガは結局、何の話題も切り出さなかった。


「おやすみ! ちゃんと寝るんだぞ!」


 そう言い放つと、ヘルガは足早に、五極楼の中に戻ってしまったのだ。


(らしくない感じだったけど、何だったんだろ?)


 ヘルガの奇妙な言動を思い出しつつ、寧人が自問している時、窓の外で物音がした。

 人の気配もするのだが、おおよそ誰だか見当がついているので、寧人は大して驚きもしない。


 虫除けの仙術が仕掛けてあるので、網戸もはめられていない窓の方に、寧人は目をやる。

 すると、そこには予想通りの人の姿があった。


 赤い半袖のバスローブ姿のジーナが、前傾姿勢を取り、窓から部屋の中を覗き込んでいたのだ。

 風呂上りなのだろう、化粧っ気はないのだが、艶っぽさは化粧している時と、殆ど変わりがない。


「やっぱり、まだ起きてたね」


 そう言うと、ジーナは窓を通り抜け、部屋の中に入ってくる。

 大きな猫科の猛獣のような、しなやかな身のこなしだ。


 ジーナが玄関ではなく、窓から入ってくるのは珍しくはないので、寧人は今更、そのことについて何かを言ったりはしない。


「今夜は遠慮しとくって、言ってなかった?」


 寧人は今夜、紅囍館の仕事を手伝っていた時、顔を合わせた夢琪に、今夜は早く寝るように言われたのだ。

 その時、近くでジーナも働いていたので、夢琪の話を聞いていたのである。


「早く寝た方がいいみたいだから、今夜は遠慮しとくね」


 夢琪が二人から遠ざかった後、そんな風にジーナに耳打ちされたので、今夜はジーナは来ないのだと、寧人は思っていた。


「そのつもりだったんだけど、灯が見えたんで……まだ起きてるなら、遠慮する必要はないかな……と思って」


 そう言いながら、ジーナは慣れた風に、ベッドに腰かけると、寧人に問いかける。


「明日のことを考えて、寝られなかったんじゃない?」


「まぁ、そんなとこかな」


 答を返しつつ、寧人はジーナの右隣に腰掛ける。


「私も初めて、アガルタに下りる日の前は、眠れなかったよ」


 懐かし気な口調で、ジーナは語りかけながら、寧人の左腕に手を伸ばす。

 ジーナは左腕を引き寄せ、寧人を自分に寄りかからせる。


 風呂上りのジーナからは、石鹸やシャンプーなどの匂いがする。

 夢琪やヘルガと違い、ジーナは隣にいるだけでも、女性の艶っぽさを強く感じさせる。


 前が緩く閉じられたバスローブの胸元からは、豊かな胸元が露になっていて、寧人は目のやり場に困る。


(……ほんと、色気が服着てるみたいな人だな……見た目は)


 色っぽい……いや、色気が有り過ぎる、美しい大人の女性というのが、ジーナの外見的な印象だ。

 美人ではあっても、色気を余り感じさせない、夢琪やヘルガとは違い、華やか過ぎる程に華やかで、武仙幫には似合わない人に、寧人には思えた程だ。


 武仙幫よりも、夜の街で男を相手にする仕事をする方が、似合っている感じの女性に、寧人には思えたのである。

 そんなジーナに対する印象は、洞天福地で暮らし始めて、色々な意味で関係が深まってからは、かなり変わってしまった。


 戦闘能力に関しては、夢琪どころか後輩のヘルガにも劣るジーナなのだが、洞天福地を支えていると言える程に、有能で真面目な女性である。

 洞天福地の温泉に関する商売は、基本的にジーナが取り仕切っているようなものなのだ。


 働き者で接客も上手く、経営能力に優れ、人当たりもいいジーナは、ビジネスに向いている。

 木と泥から作られる、仙術で使役できるロボットのような存在、杜人もくじんを操る能力が高いジーナは、やろうと思えば一人で、八卦溫泉の業務を、全て行えてしまうのである。


 もっとも、杜人は細かい作業は苦手であり、接客能力は低いので、任せられない仕事も多い。

 故に、ヘルガや夢琪、最近では寧人も、手が空いている時には、八卦溫泉の業務を手伝ってはいるのだが。


 人当たりがいい寧人は、接客に向いているとジーナに判断されたので、紅囍館での接客業務を、手伝う場合が多い。

 世話になっている武仙幫への恩返しのつもりで、ほぼ毎日のように、寧人は修行の合間などに、紅囍館で接客業務を手伝っている。


 夢琪やヘルガは、武仙としての能力は高いが、人当たりに関して、少しばかり難がある。

 武闘派で正義感の強い二人は、対人や対組織で、トラブルを引き起こしてしまいがちなのだ。




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