本当に汗と汚れを洗い流すだけだったのだろう、寧人が思っていたより、シャワールームのドアが開くのは早かった。
(たぶん、バネッサさんだろうな、髪が短いし)
ラウンジと繋がる通路に、シャワールームはある。
足音がしたかと思うと、寧人の予想通りにバネッサが姿を現す。
青い半袖のシャツにジーンズという、紅囍館でも何度か目にした、バネッサの普段着姿だ。
サウダーデにも、ジーンズやカーゴパンツは存在していて、標準戦闘服の一部として扱われる程度に、冒険者には好まれている。
「さっぱりした! 寧人も遠慮しないで、汗流せばいいのに」
ラウンジに現れたバネッサは、そう言いながら寧人の右隣に座る。
ソファーが揺れて、スプリングが軋む。
石鹸の香料が、仄かに香る。
大雑把に整えられている髪は、まだ濡れているせいか、普段より髪が少なく見える。
「ここのシャワールームは、中に仕切りがあって、お互いの裸はあまり見えないから、男が一緒に使っても大丈夫だよ」
バネッサは小声で、短く付け加える。
「まぁ、男と一緒に使ったこと……ないんだけど」
「あまり見えないってことは、少しは裸……見えるんだろうし、俺が使ったらマズいですって」
寧人は恥ずかし気に、言葉を返す。
「第二キャンプの時にも思ったけど、寧人って……割と恥ずかしがりだよね。ジーナさん相手には、凄いことしてるって話なのに」
バネッサの口調は、からかい半分、不思議さ半分といった感じだ。
「それは、その……」
寧人は気まずそうに、言い淀む。
超人詛咒のせいで、女性に性的な関係を迫られると断れないのだが、基本的には真面目な人間なので、付き合ってもいない女性相手に対し、寧人は一線を引くタイプである。
彼女でもない女性の裸など、見てはいけないと思っているし、女性が口をつけた物を口にするのに、恥ずかしさを覚えるのだ。
そんな自分の性格が、超人詛咒が発動している時の自分と、ギャップが有り過ぎることは、寧人自身も自覚している。
「子供にしか見えない寧人に、ジーナさんが女にされたって聞いた時は、ホント驚いたよ」
どう言葉を返したらいいのか分からず、寧人は目線を泳がせることしかできない。
「……驚いたといえば、今日も驚かされたな。まさか、寧人が……俺よりも強いとはね」
「いや、バネッサさんの方が強いですって!」
寧人の言葉は、謙遜では無く本音だ。
「いくら俺でも、あの大きさのゴーストドラゴンを、一人で秒殺することなんてできない。それができた寧人の方が、俺より強いに決まってる」
「あれは……まともに使いこなせていない力だから、俺の強さなんて言えるようなもんじゃないんで」
気まずそうに、寧人は言い添える。
「具体的な話はできないんだけど、梁師にも使うなと言われてるし」
口止めされているだろうことは察しているので、寧人がゴーストドラゴンを倒すのに使った力について、それ以上バネッサは問わない。
「ま、とにかく……今日は助かったよ。寧人には、何か礼をしないとな」
「いいですよ、礼なんて。俺も助けてもらったんだし」
「そうはいかないよ。あの程度じゃ全然、命を助けてもらった恩返しにはならないだろ」
バネッサは言葉を続ける。
「寧人が助けてくれなければ、俺達は死んでいたけど、寧人は俺達が助けなくても、バウンサー連中が保護していただろうから、死にはしなかっただろう」
あの時の状況であれば、バネッサの言う通り、モリグナが寧人を助けずとも、バウンサーの三人が寧人を助けていたのは、確実と言えた。
聖術士のバウンサーが揃っていて、バウンサーはアガルタでは、可能な限り冒険者達を助けようとするので。
「つまり、俺達が受けた恩の方が、寧人に返した恩よりも大きいから、ちゃんと礼をしないと、気が済まないのさ」
「そんなの、気にしなくていいのに」
モリグナの三人は寧人にとって、異世界での生活でできた、貴重な友人達なのだ。
子供扱いされ、からかわれる時も多いが、気さくに会話の相手になってくれる、モリグナの三人には、寧人は精神的に、かなり救われている気がしていたのである。
寧人としては、助けて当たり前の相手なので、バネッサの言い様は、大袈裟に思えたのだ。
「何がいいかな?」
考え始めたバネッサは、すぐに何かを思い付いたようだが、らしくない照れた風な顔で寧人を見るだけで、その思い付きを口にできない。
その思い付きは、実はバネッサではなく、シェイラの思い付きだった。
アガルタで寧人が意識を取り戻すより前、モリグナの三人は寧人に何か礼をした方がいいと、既に話し合っていたのだ。
その時、シェイラが冗談めかして口にした、かなり過激な思い付きだったのである。
初対面の印象こそ悪かったが、寧人が真面目に働いている姿を、モリグナは目にしているし、真剣に修行を続けていることを、ジーナやヘルガから聞いていた。
故に、すぐに寧人への印象はよくなったし、日常的に顔を合わせ話をするようにもなったので、モリグナの三人は寧人と友人となった。
サウダーデの基準でいえば、子供っぽく見えてしまうが、日本にいた頃から、寧人は大人の女性からの受けはいいタイプだった。
モリグナの三人も寧人を気に入り、子供扱いしつつも、弟分のように可愛がっていたのだ。