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第86話 場所を変えようか、ここでするような話でもないからね

「場所を変えようか、ここでするような話でもないからね」


 そう言うと、夢琪は牌楼の南東に見える、一際大きな城のような建物である、五極楼ごきょくろうの方に向かって歩き出す。


「ついておいで」


 夢琪の言葉の直後、バネッサは少し慌て気味に呼び止める。


「あ、梁さん! ちょっと待って!」


 バネッサは夢琪に近寄ると、耳元に唇を寄せる。

 そして、何かを早口で喋ってから、手を合わせて頼みごとをするかのようなジェスチャーを見せる。


 夢琪は頷いて了承してから、寧人に声をかける。


「寧人は来なくていいよ、風呂に入って、身綺麗にしておきなさい」


「え? 俺の話なのに?」


「お前は全部、知ってる話をするのだから、お前が来ても意味はないだろう」


「それは、そうですけど……」


「それに、氣の流れも乱れたままだ。温泉で休んで、ちゃんと經絡を整えた方がいい」


 いまだに寧人の經絡は、完全回復には至っていない。

 そのことを指摘されると、寧人としても言い返し難い。


「……じゃあ、そうします」


 自分について、どのような話をするのか気にはなりつつも、夢琪に言われては仕方がない。

 寧人は皆に抱拳禮をすると、夢琪の言葉に従い、まずは自分が借りている家に向かって歩いていく。


 入浴道具は、最近では寧人専用の温泉と化している、東側にある葫蘆泉ころせんに、置きっ放しにしてある。

 だが、まずは家に着替えを、取りに戻らなければならないのだ。


「では、行こうか」


 夢琪はヘルガとモリグナを引き連れ、南側に歩いて行く。

 牌楼を入った左……北側には八卦溫泉、右……南側には五極楼などの様々な建物が、建ち並んでいる。


 奥の東側にも、幾つかの建物や施設、温泉や泉などがあり、その一つが葫蘆泉なのだ。

 葫蘆泉の更に東には、五行修練處ごぎょうしゅうれんじょがあり、その更に東にも、また様々な施設がある。


 帶篷飛船もしくは、牌楼を通ってのみ出入りできる八卦溫泉は、洞天福地の他の場所から、塀と結界により隔離されている。

 武仙幇の者達は、結界と塀を通過し、自由に移動できるのだが、八卦溫泉の客達は、基本的には他のエリアには、立ち入ることができない。


 モリグナの三人も、八卦溫泉の常連となり、武仙幇との付き合いも長いのだが、八卦溫泉や関連する紅囍館などを除けば、洞天福地の施設には、立ち入ったことがない。

 今回は珍しく、夢琪が結界と塀の通過を許したので、夢琪やヘルガと共に、五極楼がある南側のエリアへと足を踏み入れることになった。


 建物自体は、八卦溫泉や牌楼の辺りからも見えるので、モリグナの三人にとって、物珍しい程の景色ではない。

 それでも、普段は入れない場所に入ったモリグナの三人は、緊張しつつも好奇心を刺激される。


 夢琪がモリグナを案内したのは、池のような泉の畔に建てられた、壁のない東屋風の建物、夕陽亭ゆうひてい

 夕日が沈む西の景色を、見下ろせる東屋であることから、この名がついた。


 八角形の瓦葺の屋根を、赤い柱が支える夕陽亭では、夕日に染まるサウダーデや庭園の景色を楽しめる。

 応接セット風のテーブルと椅子も設えてあるので、食事や会合にも利用できる。


 夏場の今は、日が落ち切るまでは、まだ時間があるので、夢琪は夕陽亭を選んだのだ。

 夢琪とモリグナは、机を囲んで椅子に座る。


 机の下は、仙術を利用した冷蔵庫になっている。

 冷蔵庫から、冷えた緑茶の入った竹筒を取り出し、皆の前に手際よく並べてから、ヘルガは夢琪の右隣に腰かける。


「……では、始めようか」


 茶を一口飲んでから、夢琪は話を切り出す。


「訊きたいことがあるなら、遠慮なく訊きなさい。無論、答えられないこともあるがね」


「……じゃあ、まずは……あの変身する奴は何?」


 バネッサは質問に、言葉を付け加える。


「足から、凄まじい奥拉射撃を放っていたけど」


「あれは假面武仙といってね、本来は武仙が龍共と戦う為の姿だ」


 モリグナの三人は、驚きの表情を浮かべる。

 最終戦争から三百年が過ぎた今でも、龍……ドラゴンの脅威は、サウダーデでは知られている。


 そんなドラゴンと戦う為の力を、寧人が持っていることに、モリグナの三人は驚いたのだ。


「昔は、あたし達……武仙幇の仙女達も、大っぴらに假面武仙になっていたんだが、最近は表立っては使わなくなっていたから、最近の冒険者の連中は知らないだろう」


 夢琪は短く、言い添える。


「君達にも、假面武仙についての話は、していなかったと思うし」


 冒険者活動を積極的に行っていた二百年以上前、武仙幇の仙女達はロードガーディアン相手や、ゴーストドラゴン相手の戦闘などで、假面武仙となって戦っていた。

 それ故、假面武仙の存在自体は、秘密の存在という訳ではない。


 ただ、実質的に冒険者活動から手を引き、崇龍が操る鬼龍、ゴーストドラゴンなどと戦う場合を除けば、仙女達は假面武仙とはならなくなった。

 そういった戦いは、表立っては行われない為、假面武仙の存在は、最近の人々には知られなくなってしまったのである。


 アガルタで修行していた頃の弾を知る者達などは、假面武仙の存在を知っている。

 だが、その時代に現役だった冒険者達の殆どは、既に引退しているので、弾の話も現代の冒険者達には、伝わってはいない。


 故に、モリグナは假面武仙について、何も知らなかったのだ。


「寧人の場合、まだ假面武仙としての力を、使いこなせていないので、君達が目にした通り、使うと戦えない状態になってしまうんだ」


 夢琪は説明を続ける。


「つまり、使えば大きな隙になるんでね、寧人には使わないように命じているし、使えることも隠しているのさ。隙ができる状況の情報は、敵対してる相手に知られたら、まずいからね」


 武仙幇が敵対している相手については、モリグナの三人も知っていたので、その点については問いかけたりはしない。




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