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第34話 破滅への邂逅

 季節は初夏を過ぎた頃で、鬱蒼と生い茂る森の中で、むせかえるような草の匂いがミカエルの鼻先を掠めていった。


 休まず逃亡し続け、ミカエルはとある伝承を元に目的地を目指している。


 だが、身体ひとつで逃げ出したことから、飢えと喉の渇き、それに極度の疲労と深刻な睡眠不足がミカエルをさらに追い詰めていた。


 綺麗に整えられていた青髪は泥と埃に塗れ、汗をかいたミカエルの身体にまとわりついている。


 清浄魔法を使いたくても、ミカエルの腕には魔封じの魔道具がつけられており魔法がいっさい使えない。


「くそっ……後、どれくらいなんだ……?」


 脱獄してからかなりの時間が経った。

 かれこれ一週間は過ぎている。その間、この薄暗い〝深淵しんえんの森〟の道なき道を突き進んできた。


「はぁっ……はぁ……」


 息が上がり、足には力が入らない。ミカエルは限界を感じて、目の前の木の根元に腰を下ろした。


「この私がこんな様とは……これもあの忌まわしい賢者のせいだ」


 心の中で揺れる憎悪の炎は燃え盛り、今のミカエルの大きな活動力となっている。この憎しみがなければ、とっくにあきらめていた。


 百人以上の魔力を奪っても、あの賢者に手も足も出せずミカエルは膝を折った。そのことが山よりも高いミカエルのプライドを激しく傷つけ、沸々としたマグマのような怒りが収まらない。


「そうだ、あの賢者の目の前でカレンを私のものにしてやろう。悔しがるあいつの顔を見たら、さぞかし愉快だろうな。くくくっ」


 醜く歪んだミカエルの笑い顔は、すでに人からかけ離れている。それに気付かないミカエルはそのまま眠りについた。


 夢の中で投獄された後の記憶が甦る――。




 ――ミカエルは謁見室で騎士に捕まり、一旦は独房へ入れられた。

 壁掛けの簡易ベッドと、用を足すためのバケツ以外なにもない部屋で一日中考えている。


(どいつもこいつも私の邪魔ばかりしやがって……! カレンは私と結ばれる運命なのだ! どうしてそれがわからない……!!)


 ミカエルはカレンとの間に立ち塞がる障害に苛立っていた。


 最初の記憶にあるのは、カレンがうっとりとしながらアクアマリンの瞳でミカエルを見つめる光景だ。


 初めて結ばれた夜のことは、今でも鮮明に思い出せる。この記憶が間違いなどではないと、ミカエルは改めて確信した。


 だが、いつからかカレンの瞳からその熱は消えてしまった。冷ややかな視線でミカエルを見つめ、静かに背を向けるようになったのだ。


 そのこともミカエルを無性に苛立たせている。


(私たちは確かに宿命の片翼だった……! 今でもこんなにカレンを求めているのに、どうして私の気持ちに応えようとしないのだ! それに、あれだけ私の魔力を流したのに、結局カレンからあの賢者の痕跡がどうしても消せなかった……!!)


 そこでミカエルはハッとした。


 もしかしたらと思い過去の記憶を振り返ると、いつもあの男の影がちらついていることに気が付く。


 全能の賢者、ファウスト・エヴァリット。


 貴族学園の頃からカレンにまとわりつく、邪魔な存在だ。だが、賢者になるほど魔法に精通し、カレンをしのぐほどの魔力を持っている。


(最初の人生で、あの賢者がカレンになにかしたんじゃないか? そうでなければ、カレンの態度が変化するわけがないんだ……!)


 今までは魔法には詳しいが、それだけの男だと思って警戒していなかった。だが、ミカエルは相手をみくびり過ぎていたのだ。


(あの賢者ならカレンの魔力を変える方法を知っていてもおかしくはない。だからカレンの魔力にあいつの痕跡が残っていて、私が宿命の片翼だと気が付かないのではないか……!?)


 それなら、奪われたものを奪い返すまでだ。


 教皇という立場を使って、相応の情報も貴重な物も手に入れてきた。そのひとつが今追いかけている伝承であり、さらにミカエルの左手の中指に古代魔道具の指輪が嵌められている。


『私がこのまま終わると思うなよ……!』


 ミカエルは古代魔道具の指輪を使い、大爆発を起こして牢屋を破壊した。使用した指輪は粉々になり、外から入り込んでくる強い風に乗って跡形もなくなる。


(確か、聖教会の書庫で古い伝承を読んだことがある。女神と対極の存在。魔神デーヴァ。対価さえ払えばどんな願いでも叶えると言われている存在だ。千年も前の伝承ではあるが……)


 そのデーヴァが本当に存在するのかはわからない。だが、どんな願いでも叶えるのならば、試してみる価値はある。


 どの道、ここにいても死刑を待つだけの身だ。いつでも脱獄できると思っていたから、おとなしくここまで付き合ったが、目的が定まったならジッとしてなんていられない。


『どんなことをしても、カレンを私の伴侶にするのだ……!!』


 ガラガラと崩れ落ちる瓦礫がれきを踏みしめて、ミカエルは夜の闇に消えた。




 そうして森の中で彷徨っている夢の途中で、あまりの眩しさにミカエルは目を覚ます。


 喉の渇きも飢えもそのままだが、休んだことで体力は回復した。木々の隙間から差し込んでくる朝日を避けて、ミカエルは近くの食べ物を探す。


 こんな森の奥深くまでは人間が入ってこないおかげで、野生の果物や薬草は豊富にあった。


 満腹まで食べることはできないが、少しでも口にしておかないと身体がもたない。


「魔法が使えればこんな苦労する必要もないのに……」


 ガサガサと音を立てて、周囲を探索する。

 なんとか食べ物を見つけて、小川があれば水分を補給し、ミカエルは森の中を歩き続けた。




 それから三日後。


「うん……? なんだか違和感があるな」


 森の中を歩き回っていたミカエルは、これまで見てきた景色とわずかに違う場所があることに気が付いた。


 色が薄いというか、空間が揺らいでいるというか、とにかく他とは明確に違うのだ。


 こういう場合、多くは不可視の結界が貼られていることが多い。


 違和感を感じさせるかどうかは術者の腕と、探索している人間のレベルによるのだが、幸いにもミカエルは教皇を務めるほどの実力者でもある。


 しかもあの伝承は千年前から伝わっていることを考えると、結界自体が脆くなっていても不思議ではない。


 ミカエルはそっと揺らぎのある空間へ手を伸ばした。薄い膜が張ってあるような感触がして、抵抗を感じる。


「ここか……!」


 そのまま腕に全力で力を込めて、薄い膜を思いっ切り押した。するとバリバリバリッと大きな音を立てて、透明な膜が割れていく。


 膜がなくなると、その奥に地下へと続く階段が現れた。


 はやる気持ちを抑えて、ミカエルは手探りで階段を下りていく。壁はゴツゴツとしているが、地面は平らなので歩くのは問題ない。


 最下段まで下りると、目の前は巨大な壁になっていた。


「くそっ、なんだこの壁は! ここまで来たんだぞ! どうなっている!?」


 もう古代の魔道具は残っていない。目の前の壁を壊すには、自力でそうにかするしかなかった。


 何度も目の前の壁を叩き、ミカエルの手から血が流れ落ちる。

 痛みなど感じない。ただ目の前の障害物へ恨みに近い感情をぶちまけた。


《――お前は何者だ?》


 そんな声が聞こえたと思った瞬間、ミカエルの意識は暗転し深い闇の中へと引きずり込まれていった。




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