カレンたちが魔天城にやってきて、半年が経った。
ファウストは魔道具の調整があり、ますます忙しくしていてカレンと魔法を練習する時間どころか一緒に食事することも減ってしまった。
(今日も朝から魔道具の調整かな……)
朝起きても部屋にはすでにファウストの姿はなく、いつものように作り置きの朝食が用意されてメモ紙が乗せられている。
【カレン、おはよう。今日も魔道具の調整があって先に出かけます。ファウスト】
朝日を浴びた笑顔のファウストは、ここ二カ月ほど見ていない。カレンがテーブルに座り、朝食が乗せられたトレーについているボタンを押すと、瞬間的に食事から湯気が立ちのぼった。
一瞬で出来立ての状態に温める魔道具で美味しく食べられるが、どこか味気ない。
「いつになったら魔道具の調整が落ち着くのかな……」
ポツリと呟いたカレンの言葉は、静かな部屋に虚しく響く。
魔天城に来てからカレンは雷魔法の鍛錬を重ね続け、魔導士と呼ぶのにふさわしい実力を身につけた。
(そろそろ賢者になるための模擬試験を受けてもいいかもしれない。このままファウストのお世話になっているのも気が引けるし……)
生活の費用として魔法研究所で得た給金を渡そうとしても、ファウストは『妻を養う甲斐性くらいはある』と言って頑として受け取らなかった。
この状況を打破するためには、カレンが賢者になって自立するしかない。
賢者になるためには、まず模擬試験を受けて基準以上の数字を出さなければ、本試験に進めないのだ。
決してファウストが嫌なわけではないし、むしろいなくて寂しいと感じるほどカレンにとって必要な存在となっている。
「それに、ちゃんと自立してから自分の気持ちを確かめたいのよね……」
前の人生では盲目的にサイラスを信じたため、ひどい裏切りにあった。だからこそ、生涯を共にすると誓うことは、カレンにとって相当の覚悟が必要だ。
なによりも、真っ直ぐに気持ちを向けてくれるファウストに、不誠実な真似はしたくない。
心のどこかで答えはわかっているのだが、もう少しだけじっくりと考えてみたいのだ。
自立しても、もしくはファウストと離れても、この気持ちが変わらなければ、はっきりと答えを出せる気がする。
「よし、模擬試験の申請に行ってこよう!」
希望あふれる未来を胸に、カレンは準備を始めた。
「――カレン・エヴァリット様。これにて模擬試験の申請は受理されました。試験の日時と会場についてはこちらにある通りです。ご不明点がありましたら、魔導士管理部までご連絡ください」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
あっさりと賢者になるための模擬試験の申請を終えて、カレンは帰路に着く。
(よかった、模擬試験は三週間後ね。しっかり準備しなくちゃ……)
模擬試験には動きやすい格好でくるようにと書かれていた。カレンの衣装はワンピースやドレスがほとんどで、冒険者のような身軽なものは持っていない。
(ついでだから、模擬試験用の衣装も見てみよう)
カレンは軽い足取りで、商業区画へと向かった。
魔天城の地下一階がすべて商業区画となっていて、天井は魔法で青空が広がっているので気持ちよく買い物ができる。
食料品部門と魔法部門、さらに雑貨部門と大きく三つのエリアに分かれ、それぞれが隣り合っていた。
衣装は雑貨部門にあり、その中でさらにジャンルごとに店が並んでいる。カレンは今まで足を運んだことのない、冒険者向けの衣装が揃うエリアへ進んだ。
(うわー、こんなかわいい衣装もあるんだ。フード付きのロングコートとショートパンツに太ももまでのハイソックス……うーん、ちょっと私には無理かな)
見るだけでもキュンと胸が高鳴る衣装も多いが、いざ、自分が着るとなると少し違う。
これまで貴族令嬢として貞淑さを求められてきたのもあり、あまり過激な衣装は身につける勇気がない。
(おとなしめで、綺麗に見えるのがいいかも……)
そんな風に、カレンは端から端まで店舗を往復していた。衣装が並ぶエリアは魔法部門と隣接していて、通路を挟んだ反対側に魔道具屋が立ち並んでいた。
その魔道具屋の前に立つ、濃紫のローブを羽織った黒髪の青年の姿を見かけた。
「あっ、ファウストだ」
賢者しか着用を許されない色のローブだし、その中で黒髪はファウストだけだ。偶然会えたことが嬉しくて声をかけようとしたのだが。
「えっ……女の人……?」
絹のような金髪をなびかせ、グラマラスな身体を強調するようなワンピースを着た美女がファウストの腕を取った。
ファウストはそれを
「今日は、魔道具の調整だって……」
やがて美女がファウストと腕を組み、魔道具屋のエリアの奥へと消えていった。途中、ファウストが驚いた様子で美女に満面の笑みを向ける。
その様子を見て、カレンの心は一気に凍りついた。
サイラスの裏切りを知ったあの夜の記憶が走馬灯のように流れ、指先の感覚がなくなっていく。
心臓がドクドクと大きな音を立てて、その場から一歩も動くことができない。
考えなければいけないことがたくさんあるのに頭の中は空回りして、世界から色が消えていくようだった。
(男の人って、やっぱりみんなそうなの……? それとも、私に魅力がないのかな……?)
喉がカラカラに乾いて、カレンの胸は八つ裂きにされたように悲鳴をあげ続ける。ふたりの姿が見えなくなって、ようやくカレンは一歩足を踏み出した。
それから三日が経ち、カレンは少し冷静さを取り戻した。
カレンが見たのはほんのわずかな時間だったし、もしかしたら魔道具の関係者で朗報が聞けたのかもしれない。
腕を組んでいたように見えたのも、なにか事情があったのかも、と思える。
これまでのファウストの献身もあり、すぐに裏切りだと決めつけるのもどうかと考えた。
(一度、話をしてみよう。それから判断しても遅くないわ……私たちは契約結婚だけから、いざとなったら契約を解除すればいいだけよ)
その思考にズゥンと胸が重くなる。
しかし、さらに四日経ってもファウストは忙しそうにしていて、なかなかまとまった時間が取れないようだ。
(どうしよう……話す時間も取れないわ。今日こそはファウストの帰りを待っていよう)
日付が変わり少し経った頃、ようやくファウストが家に帰ってきた。
「ファウスト、おかえりなさい」
「えっ、カレン? こんな時間まで起きてたの? うわ、嬉しすぎて泣きそう」
嬉しそうに笑うファウストが、こらえきれないと言わんばかりにカレンを抱きしめる。
そして耳元で「カレン、大好きだよ」と囁いた。
やっぱり、ファウストは忙しくしているだけで、これまでと態度は変わらないようだ。それならカレンが聞けば、ちゃんと答えてくれるに違いない。
「あのね、話したいことがあるの」
「そうか、待たせてごめん。話ってなに?」
ファウストはカレンをエスコートしてソファーに腰を下ろす。隣に座ったファウストから柑橘系の香りと共に、嗅ぎ慣れないほんのり甘い香りがふわっと漂った。
街中で見た寄り添うふたりの姿がカレンの頭をよぎる。
「ねえ、最近忙しそうにしているけど、大丈夫?」
「心配かけてごめん。初めての魔道具を使っているんだけど、慣れるのに必死で余裕がなくて」
ファウストでもそんなことがあるんだと、カレンは思った。
「あまり無理しないでね」
「わかった。カレンがそう言うなら」
真面目なファウストのことだから、これで帰りの時間も早くなるだろう。
「ところで、先週、商業区画でファウストを見かけたんだけど、なにをしていたの?」
「いつの話?」
間髪入れずに聞き返してきたファウストの感情が読めない。いつもはキラキラと輝いている金色の瞳の奥に暗い闇が
「先週の第三の日だけど……」
「うん、その日は魔道具の仕入れで街にいたんだ」
「そう、じゃあ、あの女の人も魔道具を取り扱っているの?」
「女の人……ああ、特殊な魔道具だから。それよりカレン、もうこんな時間だ。そろそろ寝よう」
まるで話を逸らすみたいにファウストが立ち上がり、カレンの手を取る。
ファウストと触れ合う指先が、じんわりと冷たくなった。
(話を逸らされた……?)
カレンの心に鉛のような重苦しい闇が渦巻いた。