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第49話 契約夫婦の初デート

 カレンが倒れてから一週間が経ち、ようやく通常通りに近い生活を送ることができるようになった。


 ファウストが作りたての朝食をテーブルに並べると、ふたりで食事を始める。


「カレン、今日の調子はどう?」

「しっかり休んだおかげで、もう大丈夫みたい。前よりも魔力が底上げされた感じもあるし、明日からは訓練を再開できそう」


 すっかりいつもの調子を取り戻したカレンは、そろそろ体を動かしたくてたまらない。


 そんな様子を察したのか、ファウストがひとつの提案をしてきた。


「それなら、デートしてみない?」

「えっ! デ、デート!?」


 カレンは思わず声がひっくり返る。


 ファウストと買い物に出かけたことはあるが、カップルらしい行動なんてしたことがない。つまり、これはファウストとカレンの初デートとなるのだ。


「あ、もしかして嫌だった?」

「いいい、嫌なわけないわ! 訓練以外に久しぶりに出かけるから、ちょっと動揺しただけ」


 動揺し過ぎて噛みまくったが、カレンがこの提案を断るつもりは微塵もない。むしろ、大喜びで同意している。


「そう……? じゃあ、どこに行きたい?」

「そうねえ……海とか山とか大自然の中に行きたいわ」


 カレンはこれまで遠くに出かけたことがあまりなかった。


 辺境伯はいつも魔物の危険に晒されていて余裕がなかったし、サイラスと婚約して王都に来ても、王城と聖教会しか移動していない。


 魔天城への移動は一番の遠出だが、これは引っ越しだったので、郷里を思い出すような場所へ行きたかった。


「……ごめん。まだカレンの体調が心配だから、魔天城の中でもいいかな?」


 ところが申し訳なさそうに、ファウストが頼んできた。

 カレンはファウストよりも乗り気だと知られた気がして、慌てて行き先を変更する。


「あ、そうよね。ごめんなさい、張り切り過ぎたわね。じゃあ、薔薇園とかどう?」


 薔薇園は土魔法の魔法使いたちが管理する商業施設で、薔薇は魔法の練習素材として使われることもあり、料金を支払えば園内の薔薇を持ち帰ることもできる。


 カレンは魔天城で一番自然を感じられる場所を選んだ。


「いいね、そこにしよう」


 カレンたちは笑みを浮かべ、ちょっとだけ張り切りながらデートの準備を進めた。 




 薔薇園は魔天城の東側にあり、午前中の早い時間には、朝露に輝く薔薇たちを見ることができる。


 カレンは雷魔法の練習をしていたので薔薇とは縁がなかったが、ずっときてみたい場所だった。


 カレンはミモザ柄の淡いパステルイエローのワンピースを着て、黒のベルトとショトブーツを合わせている。


 ファウストは賢者のローブの代わりに黒のジャケットを羽織り、グレーのベストと黒いパンツを身につけた。首元のリボンを飾るブローチはアメジストが使われている。


 お互いの色を取り入れ、寄り添いながら薔薇園を歩く姿は、どこから見ても仲のよい夫婦にしか見えない。


「わあ……この品種は見たことがないわ」

「これは魔天城にしか咲いていない品種なんだ。確か、セレッシャルローズって名前だったと思う」


 その薔薇は鮮やかな濃紫色の花びらで、まるで賢者のように気高き姿で咲き誇っていた。


「この花びらの色が賢者のローブに似ていたから、セレッシャル、つまり天上の薔薇と名付けられたらしい」

「へえ、ファウストはそんなことまで知っているのね」


 カレンはファウストが濃紫の薔薇の由来を知っていて感心する。花にまで興味があったのかと内心思った。


「カレンも賢者に合格したら教えてもらえるよ。賢者は実力だけじゃなく、高潔な人間性も求められるから、この薔薇の花言葉に恥じないように生きろと叩き込まれる」

「どんな花言葉があるの?」


 どうやらその知識は賢者に合格した後、叩き込まれるほどしっかりと教えられるみたいだ。


「気品、高貴、尊敬、王座……それから、永遠の愛」

「なるほど、まさしく賢者の在り方そのものね」


 魔法使いに頂点に立つ賢者にぴったりの花言葉である。


 カレンとファウストは寄り添いながら、色とりどりに咲きみだれる薔薇を堪能して園内を一周し、ひと休みすることにした。


「飲み物を買ってくるから、ここで待ってて」

「うん、わかったわ」


 薔薇園の奥には広場があり、飲み物や軽食が販売されている。純白の丸いテーブルと椅子が並んでいて、他にも数組の来園者がくつろいでいた。


 広場の一角にはバラを持ち帰るための受付もあって、ひとりの男性がセレッシャルローズの花束を手にして手続きをしている。


 その男性がロニーだと気付いた時にはすでに遅く、ニコニコと笑う闇の賢者に声をかけられてしまった。


「あれ、カレンさん?」

「……っ、ロニー様」


 しばらく会っていなかったから、すっかり油断していた。これ以上絶対に変な誤解をされないように、カレンはできるだけそっけなく答える。


「最近見かけないから心配していたんだよ。今日はひとりでここに来たの?」

「いいえ、夫と一緒です」


 だからこれ以上話しかけないで、というカレンの願いは届かず、ロニーは会話をやめてくれない。


 それどころか、カレンの隣の椅子に腰を下ろした。


「ファウストと? へえ、それはどう言う風の吹き回しだろう? ま、いいや。ここで会ってちょうどよかった」


 ひとりなら雷魔法を使ってこの場から移動するのだが、ファウストがそろそろ戻ってくるから無闇に動くこともできない。


 ともかく、ファウストが戻ってくるまでは極力会話をせずに、待つことにした。


「これ、カレンさんにプレゼント。受け取ってくれるよな?」

「……いいえ、結構です」


 ロニーは花束から濃紫の薔薇を一本、カレンに差し出す。


「寂しそうなカレンを癒したいだけだよ。気にせず受け取って」

「本当に必要ありません」


 カレンが断った直後、背後からファウストの地を這うような声が聞こえた。


「――カレンから離れろ」


 飲み物をテーブルに置いたファウストはカレンの前に立ち、鋭い視線でロニーを睨みつける。


「ファウスト……本当に一緒に来ていたのか」

「今はデートの最中だから邪魔するな」


 ファウストの視線にひるんだのか、ロニーは椅子から立ち上がり後ずさった。だが、素直に引く気はないらしく、ニヤリと笑って先ほどの薔薇をカレンの前に置く。


「邪魔する気はないさ。この花を一輪、カレンさんに渡したかっただけだよ」


 ロニーの行動を目にした途端、ファウストからピリピリとした殺気が放たれた。カレンはファウストが仲間である賢者に、こんな態度を取ったことに驚く。


「セレッシャルローズを一本渡すのは、プロポーズと同義だ……本気か?」


(えっ!? そんな意味があったの!? 断固拒否してよかった……!!)


 カレンは嫌な汗がブワッと吹き出した。

 それならファウストがこんなに殺気立つのも納得である。だが、ロニーはさらに煽るような言葉を発した。


「本気。カレンさんはもっと幸せになるべきだ。僕なら彼女を幸せにできる。でも、お前には無理だろう?」

「…………」


 そう言われても、ファウストは反論しない。悔しそうに歯を食いしばり、握った拳が震えている。


 ファウストにしてみたら一度プロポーズを断られていることもあり、自信が持てないのかもしれないとカレンは思った。


 その背中から深い悲しみと孤独を感じて、カレンは立ち上がる。


「いい加減にしてください。私の夫を侮辱するなら、これ以上黙っていられません」


 どうしてカレンの気持ちを勝手に決めつけるのか。

 カレンは幸せを求めているが、それには絶対に必要なものがある。


 それにカレンは今、この瞬間も不幸だなんて微塵も思っていない。


「ファウストでは私を幸せにできないとか言っていましたけど」

「ああ、そうだよ。こいつじゃ無理――」


 ロニーの言葉を遮って、カレンは爆発しそうな感情を吐き出した。


「それは大きな間違いです。ファウストが隣にいるから、心が満たされて毎日楽しく過ごせるのです!」


 カレンがこんな風に反論すると思っていなかったのか、ファウストとロニーは驚いて声も出ないようだ。


「私は今、この瞬間が人生で最高に幸せです!!」


 なぜカレンが今、不幸だと決めつけるのか。この際だから、思いの丈を全てぶちまけてやろう。


「むしろロニー様が私たち夫婦の時間を邪魔しているのですが、いつになったら気付いてもらえるのですか?」

「カレン……」


 ファウストは嬉しそうな泣きそうな表情で、カレンを見つめた。

 ロニーは肩をすくめて深いため息をつき、呆れた様子で口を開く。


「はあ、本当に話が通じないな。まあ、いずれわかることだから、その時を楽しみにしているよ」


 負け惜しみのような台詞を残して、ようやく去っていった。


「カレン、ありがとう……」

「夫を守るのは妻の役目なのよ。当然でしょ」


 カレンは胸を張って答える。ただ、妻としての役目を果たしただけなのに、ファウストは嬉しそうに照れくさそうに笑った。


「うん、でも……また、助けられた。ありがとう」


(うわっ、そんな風に笑ったら私の心臓が暴れて口から飛び出ちゃうわ……!)


 はにかんだ笑みを浮かべるファウストは、カレンにとって毒にも等しいほど刺激が強い。


 なんとかギリギリのラインで平静を装うカレンに、ファウストは真剣な眼差しで切り出した。


「それと、ロニーについて話がある」


 カレンはファウストの表情から、その話があまり嬉しい内容でないことだけは理解した。




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