カレンが倒れてから一週間が経ち、ようやく通常通りに近い生活を送ることができるようになった。
ファウストが作りたての朝食をテーブルに並べると、ふたりで食事を始める。
「カレン、今日の調子はどう?」
「しっかり休んだおかげで、もう大丈夫みたい。前よりも魔力が底上げされた感じもあるし、明日からは訓練を再開できそう」
すっかりいつもの調子を取り戻したカレンは、そろそろ体を動かしたくてたまらない。
そんな様子を察したのか、ファウストがひとつの提案をしてきた。
「それなら、デートしてみない?」
「えっ! デ、デート!?」
カレンは思わず声がひっくり返る。
ファウストと買い物に出かけたことはあるが、カップルらしい行動なんてしたことがない。つまり、これはファウストとカレンの初デートとなるのだ。
「あ、もしかして嫌だった?」
「いいい、嫌なわけないわ! 訓練以外に久しぶりに出かけるから、ちょっと動揺しただけ」
動揺し過ぎて噛みまくったが、カレンがこの提案を断るつもりは微塵もない。むしろ、大喜びで同意している。
「そう……? じゃあ、どこに行きたい?」
「そうねえ……海とか山とか大自然の中に行きたいわ」
カレンはこれまで遠くに出かけたことがあまりなかった。
辺境伯はいつも魔物の危険に晒されていて余裕がなかったし、サイラスと婚約して王都に来ても、王城と聖教会しか移動していない。
魔天城への移動は一番の遠出だが、これは引っ越しだったので、郷里を思い出すような場所へ行きたかった。
「……ごめん。まだカレンの体調が心配だから、魔天城の中でもいいかな?」
ところが申し訳なさそうに、ファウストが頼んできた。
カレンはファウストよりも乗り気だと知られた気がして、慌てて行き先を変更する。
「あ、そうよね。ごめんなさい、張り切り過ぎたわね。じゃあ、薔薇園とかどう?」
薔薇園は土魔法の魔法使いたちが管理する商業施設で、薔薇は魔法の練習素材として使われることもあり、料金を支払えば園内の薔薇を持ち帰ることもできる。
カレンは魔天城で一番自然を感じられる場所を選んだ。
「いいね、そこにしよう」
カレンたちは笑みを浮かべ、ちょっとだけ張り切りながらデートの準備を進めた。
薔薇園は魔天城の東側にあり、午前中の早い時間には、朝露に輝く薔薇たちを見ることができる。
カレンは雷魔法の練習をしていたので薔薇とは縁がなかったが、ずっときてみたい場所だった。
カレンはミモザ柄の淡いパステルイエローのワンピースを着て、黒のベルトとショトブーツを合わせている。
ファウストは賢者のローブの代わりに黒のジャケットを羽織り、グレーのベストと黒いパンツを身につけた。首元のリボンを飾るブローチはアメジストが使われている。
お互いの色を取り入れ、寄り添いながら薔薇園を歩く姿は、どこから見ても仲のよい夫婦にしか見えない。
「わあ……この品種は見たことがないわ」
「これは魔天城にしか咲いていない品種なんだ。確か、セレッシャルローズって名前だったと思う」
その薔薇は鮮やかな濃紫色の花びらで、まるで賢者のように気高き姿で咲き誇っていた。
「この花びらの色が賢者のローブに似ていたから、セレッシャル、つまり天上の薔薇と名付けられたらしい」
「へえ、ファウストはそんなことまで知っているのね」
カレンはファウストが濃紫の薔薇の由来を知っていて感心する。花にまで興味があったのかと内心思った。
「カレンも賢者に合格したら教えてもらえるよ。賢者は実力だけじゃなく、高潔な人間性も求められるから、この薔薇の花言葉に恥じないように生きろと叩き込まれる」
「どんな花言葉があるの?」
どうやらその知識は賢者に合格した後、叩き込まれるほどしっかりと教えられるみたいだ。
「気品、高貴、尊敬、王座……それから、永遠の愛」
「なるほど、まさしく賢者の在り方そのものね」
魔法使いに頂点に立つ賢者にぴったりの花言葉である。
カレンとファウストは寄り添いながら、色とりどりに咲きみだれる薔薇を堪能して園内を一周し、ひと休みすることにした。
「飲み物を買ってくるから、ここで待ってて」
「うん、わかったわ」
薔薇園の奥には広場があり、飲み物や軽食が販売されている。純白の丸いテーブルと椅子が並んでいて、他にも数組の来園者がくつろいでいた。
広場の一角にはバラを持ち帰るための受付もあって、ひとりの男性がセレッシャルローズの花束を手にして手続きをしている。
その男性がロニーだと気付いた時にはすでに遅く、ニコニコと笑う闇の賢者に声をかけられてしまった。
「あれ、カレンさん?」
「……っ、ロニー様」
しばらく会っていなかったから、すっかり油断していた。これ以上絶対に変な誤解をされないように、カレンはできるだけそっけなく答える。
「最近見かけないから心配していたんだよ。今日はひとりでここに来たの?」
「いいえ、夫と一緒です」
だからこれ以上話しかけないで、というカレンの願いは届かず、ロニーは会話をやめてくれない。
それどころか、カレンの隣の椅子に腰を下ろした。
「ファウストと? へえ、それはどう言う風の吹き回しだろう? ま、いいや。ここで会ってちょうどよかった」
ひとりなら雷魔法を使ってこの場から移動するのだが、ファウストがそろそろ戻ってくるから無闇に動くこともできない。
ともかく、ファウストが戻ってくるまでは極力会話をせずに、待つことにした。
「これ、カレンさんにプレゼント。受け取ってくれるよな?」
「……いいえ、結構です」
ロニーは花束から濃紫の薔薇を一本、カレンに差し出す。
「寂しそうなカレンを癒したいだけだよ。気にせず受け取って」
「本当に必要ありません」
カレンが断った直後、背後からファウストの地を這うような声が聞こえた。
「――カレンから離れろ」
飲み物をテーブルに置いたファウストはカレンの前に立ち、鋭い視線でロニーを睨みつける。
「ファウスト……本当に一緒に来ていたのか」
「今はデートの最中だから邪魔するな」
ファウストの視線に
「邪魔する気はないさ。この花を一輪、カレンさんに渡したかっただけだよ」
ロニーの行動を目にした途端、ファウストからピリピリとした殺気が放たれた。カレンはファウストが仲間である賢者に、こんな態度を取ったことに驚く。
「セレッシャルローズを一本渡すのは、プロポーズと同義だ……本気か?」
(えっ!? そんな意味があったの!? 断固拒否してよかった……!!)
カレンは嫌な汗がブワッと吹き出した。
それならファウストがこんなに殺気立つのも納得である。だが、ロニーはさらに煽るような言葉を発した。
「本気。カレンさんはもっと幸せになるべきだ。僕なら彼女を幸せにできる。でも、お前には無理だろう?」
「…………」
そう言われても、ファウストは反論しない。悔しそうに歯を食いしばり、握った拳が震えている。
ファウストにしてみたら一度プロポーズを断られていることもあり、自信が持てないのかもしれないとカレンは思った。
その背中から深い悲しみと孤独を感じて、カレンは立ち上がる。
「いい加減にしてください。私の夫を侮辱するなら、これ以上黙っていられません」
どうしてカレンの気持ちを勝手に決めつけるのか。
カレンは幸せを求めているが、それには絶対に必要なものがある。
それにカレンは今、この瞬間も不幸だなんて微塵も思っていない。
「ファウストでは私を幸せにできないとか言っていましたけど」
「ああ、そうだよ。こいつじゃ無理――」
ロニーの言葉を遮って、カレンは爆発しそうな感情を吐き出した。
「それは大きな間違いです。ファウストが隣にいるから、心が満たされて毎日楽しく過ごせるのです!」
カレンがこんな風に反論すると思っていなかったのか、ファウストとロニーは驚いて声も出ないようだ。
「私は今、この瞬間が人生で最高に幸せです!!」
なぜカレンが今、不幸だと決めつけるのか。この際だから、思いの丈を全てぶちまけてやろう。
「むしろロニー様が私たち夫婦の時間を邪魔しているのですが、いつになったら気付いてもらえるのですか?」
「カレン……」
ファウストは嬉しそうな泣きそうな表情で、カレンを見つめた。
ロニーは肩をすくめて深いため息をつき、呆れた様子で口を開く。
「はあ、本当に話が通じないな。まあ、いずれわかることだから、その時を楽しみにしているよ」
負け惜しみのような台詞を残して、ようやく去っていった。
「カレン、ありがとう……」
「夫を守るのは妻の役目なのよ。当然でしょ」
カレンは胸を張って答える。ただ、妻としての役目を果たしただけなのに、ファウストは嬉しそうに照れくさそうに笑った。
「うん、でも……また、助けられた。ありがとう」
(うわっ、そんな風に笑ったら私の心臓が暴れて口から飛び出ちゃうわ……!)
はにかんだ笑みを浮かべるファウストは、カレンにとって毒にも等しいほど刺激が強い。
なんとかギリギリのラインで平静を装うカレンに、ファウストは真剣な眼差しで切り出した。
「それと、ロニーについて話がある」
カレンはファウストの表情から、その話があまり嬉しい内容でないことだけは理解した。