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第52話 賢者の願い

 カレンと図書室で調べ物を終えたファウストは、夕食を済ませて自室へ戻った。


 その途端、ガクッと足を支えるものが外れて、転がるようにベッドへ突っ込む。


(はあ、カレンの前で外れなくてよかった……)


 思わず安堵のため息がこぼれた。床には右足首から下の義足が転がっている。


 実は図書室にいた時から足に違和感があったのだ。


 魔力を多めに流し込んで、なんとか持ちこたえたがギリギリだった。ファウストは明日の朝までに義足をなおさなければならず、キアラに浅葱色の小鳥を飛ばす。


 他の義手や義足をチェックしてから、頃合いを見てキアラが運営する魔道具開発の研究所へ転移した。




「ファウスト! どうしてこんなになるまで放っておいたんだ!?」

「いや、最近調子がよかったから、もう少し持つかなと思ってたんだ」


 ファウストの右足はすねの真ん中あたりまでしかなかった。ポロポロと崩れるように、身体の組織がなくなっていく。


 しかも、カレンになにも言わずに出てきているので、朝までには部屋に戻らなければならない。


「型を取って形成と魔力を通して、朝までに使えるようにしろとは……!」

「うん、わがまま言って悪いけど、カレンに心配をかけたくないから、超特急で頼みたい」


 まだ魔道具開発の現場に戻ることを許されていないファウストは、こうしてキアラに頼むしかないのだ。


「いいか! 足が崩れるから、その場から一ミリも動くな!」


 そう叫んだキアラは、猛烈な勢いで義足を作り始めた。

 極限まで集中して、これまでにない速さで魔道具を仕上げていく。ファウストの場合は、断面に大きな凹凸があるので義手や義足を作るのに時間がかかる。


 本来なら仮で作り、それから製作という流れだが、今回は最初からぶっつけ本番で製作していた。


 微調整を繰り返し、断面がフィットするように魔道具を削っていく。この地道な作業が本当に朝までに終わるのかとキアラは思った。


 そして、東の空から朝日が差し込みはじめた頃、ようやく魔力を通すところまで仕上がった。


「ファウスト、これでどうだ!?」


 ファウストが魔力を通すと、義足は命を吹き込まれたように右足に馴染み、違和感なく動かせるようになる。


 ファウストは何度かその場で軽く飛んで、感触を確かめたがまったく問題ない。


「ああ、すごくいい出来だね。さすがキアラだ」

「本当に無茶なやつだよ。それよりお前……本当にこのままでいいのか?」

「うん」


 キアラが言いたいことはわかる。ファウストの状態をカレンに隠していることを言っているのだ。


 妻として夫に隠し事をされるのはつらい。そのことはファウストだって理解している。それでも、そうする方がカレンのためになると、ファウストは考えていた。


「だが、すでに両足だけじゃなく、右腕まで義手じゃないか! カレンさんが大切なら、ちゃんと伝えたほうがいい」


 キアラの言う通り、ファウストは両足とも義足になっている。


 左足は膝の上まで、右足は脛の真ん中まで。右手は肩まで義手なので無事なのは左手だが、最近は指先に痺れが出ている。


 この症状が出はじめたら、いつ身体が崩れてもおかしくない状態だ。


 でも、ファウストにはやらねばならないことがあった。


「他に優先すべきことがある」

「この状況より優先すべきことなど……!」


 悲痛なキアラの叫びに被せるように、ファウストは穏やかな声で語る。


「……何度も考えたんだ」


 初めてこの症状が出た時の絶望は、思い出したくもない。


 あまりにもショックで、ファウストはその日はずっと上の空だった。カレンもその様子に気付いてはいたけど、魔道具の開発をすることになったと言って誤魔化した。


 それから眠れない夜を過ごして、その間、ずっと考え続けた。


 この症状は止めることができない。いずれ身体が全部崩れ去りファウストは塵となって消えてしまう。


 そのことに後悔はない。こうなることを覚悟していたし、カレンが幸せになるためには必要なことだったから。


「何度も何度も何度も。やっと最愛の人と結婚できたけど……こんな身体じゃどう考えてもカレンを幸せにできない」


 欠損だらけでいつ消えるかもしれないファウストでは、ずっとカレンのそばにいることはできないのだ。カレンを幸せにしたいと思うファウストだからこそ、負担をかけるだけの自分を許すことができない。


 カレンがなんの憂いもなく、満面の笑みで暮らせる未来を誰よりも願っているから。


「だけど、カレンさんがファウストに隠し事をされていたと知ったら、もっと傷つくのではないか?」


 もちろん、そのことも考えた。


 カレンのことだから、秘密にしていたと知った時、大きなショックを受けるだろう。そして、きっとファウストに裏切られたと感じて、いずれ見切りをつける。


「わかってる。でも、この先の未来を考えたら、僕はカレンに嫌われる必要があるから」


 それくらいの方が早くファウストを忘れるはずだ。


 悲しませることは避けられないけれど、カレンがその後の人生でファウストのことなど忘れて幸せに生きていくために必要なのだ。


 それに、カレンが今、ファウストに対してどんな気持ちを抱いているのか、多分本人よりもわかっている。


 カレンの瞳に熱がこもっていることに、ファウストが近寄ると頬が桃色に染まると気が付いて、本当は飛び跳ねるほど嬉しかった。


 すぐに抱きしめて、キスをしたかった。


 永遠の愛を誓って、カレンだけを愛し続けると伝えたかった。


 でも、そんなことをしたら、カレンは一生ファウストを忘れないだろう。悲しみはより深くなり、どれほど最愛の人を泣かせてしまうのか想像しただけで心が苦しい。


 だからこそ、引き返せるうちに手を打たなければならないのだ。


「それでも、部屋に戻ってちゃんと話を――」

「僕が無理なんだ……カレンがすべてを知って、それでも受け入れてくれたら、きっと最後まで手放せない。そうしたら、絶対にカレンを悲しませてしまう」


 ファウストだって、そこまで強くない。

 愛する人が受け入れてくれたら、絶対に甘えてしまう。


 そしてカレンは今のファウストだって笑顔で受け入れると、簡単に想像できた。


 そんなカレンだから、ファウストはすべてを投げ打ち、どこまでも深く愛しているのだが。


「カレンを泣かせたくないんだ。ずっと笑顔でいてほしい」


 今なら、まだ間に合うはずだ。

 少しは落ち込むかもしれないけど、今ならまだ。


 キアラはファウストの秘めた覚悟を聞いてなにも言えなくなった。これほどまでに人を愛することができるのかと、ただただ心が揺さぶられている。


 だから、ファウストが呟いた言葉を聞き逃した。


「それに、あいつを片付けておかないと……」


 ミカエル・バルツァー。あの男の魂が消滅するまで、ファウストは決して油断できない。


 太陽のような金色の瞳は、くらよどみ、明確な殺意をたぎらせていた。




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