ファウストはその日、カレンを魔法訓練場まで見送り部屋に戻ってきた。
本当ならそのままカレンの訓練に付き合いたかったが、新しく装着した左手の義手の調子が悪く、調整をしたかったからだ。
カレンと一緒に過ごすようになって、身体が崩れる速度は緩やかになったものの、その進行は止まらない。すでに両手両足が義手義足となっている。
(カレンが賢者になるまでは、なんとか踏ん張らないとな……)
左手の義手を外して接触部分の調整をしていると、部屋をノックする音が聞こえてきた。
ファウストはすぐに左手に義手を装着して扉を開けようとして、魔力の気配を感じ取り手を止める。
(この魔力……ロニーか?)
ロニーはミカエルに乗っ取られている可能性があり、このまま対応するべきか
(まあ、どちらにしても無視できないか)
たとえ中身がミカエルだったとしても、ロニーを助け出す方法を調べるまでは、いつも通りに接して油断させておく必要がある。
ファウストは深呼吸して扉を開けた。
「ファウスト!」
目の前には間違いなくロニーがいて、ファウストを涙ぐんだ瞳で見つめている。グレースピネルの瞳はかつてと同じように、深い悲しみと決意を秘めて輝いていた。
その様子はファウストが昔から知るロニーそのものだ。
「……ロニー?」
まさか、と思いながら声をかける。
「うん、そうだ! 自分はロニーだ! ようやく少し取り戻せたんだけど……あー、まだダメだ。時間を無駄にしている場合じゃない」
ロニーは慌ててローブのポケットから映像水晶と赤黒い欠片が入った小瓶を取り出し、ファウストに託した。
「これをファウストに調べてもらいたかった。頼む、
「うん、わかった。任せて」
受け取った映像水晶と小瓶を握りしめ、ファウストはしっかりと頷く。ロニーがなにか話そうとしたところで、頭を抱えてうずくまった。
「ゔっ……ゔゔゔっ……」
「ロニー! どうした? 大丈夫か?」
苦しそうにしているロニーの肩に手を添えようとしたが、魔力と共に黒い霧がロニーからあふれ出し、ファウストの手を弾き飛ばした。
「っ!」
「……私に触るなっ!」
カッと見開かれたグレースピネルの瞳には、すでに本当のロニーの面影はなく、ファウストへ憎しみの眼差しを向けている。
(ロニーが消えた……?)
「くそっ、またか……」
困惑した様子で呟いた言葉を聞いて、ファウストは身体を乗っ取られたロニーが一瞬だけ主導権を取り戻し、この部屋までやってきたのだと理解した。
(おそらくこの水晶と小瓶を渡すため、力を振り絞ったんだ……でも、ひとつわかったことがある。ロニーは、この男の中で確実に生きている)
ファウストはそっと水晶と小瓶に幻影の魔法をかけて、ロニーのふりをする男に気付かれないようにする。
(それに、ロニーのふりをしているのは、やっぱりミカエル・バルツァーだ……!)
ロニーが消える瞬間、わずかに漏れ出した魔力はミカエルのものだとはっきり感じ取った。
カレンを苦しめた張本人の魔力を、魂に刻みつけるようにファウストは記憶している。だからほんのわずかで、たとえ一瞬のことだとしても間違えることはない。
(ロニーはどこかでミカエルが接触して、取り込まれていたんだ)
これまで抱いていた疑念が確信となる。
「カレンさんはもう訓練に行ったのか……」
「今日はマージョリーと訓練しているから、ロニーが行っても無駄だ」
「くっ、わかってる! お前だってもう長く持たないだろう。いい加減カレンさんを解放したらどうだ?」
「…………」
それは確かに事実だ。すでに四肢が欠損していて、義手がなければ身支度もできず、義足がなければ歩くこともできない。
「ロニーには関係ない」
「まあ、お前と違ってこっちには時間がたっぷりあるからな。ゆっくり近づくさ」
ニヤリと笑った顔に、ミカエルの邪悪な笑みが重なって見える。どんなに姿形を変えても本質はにじみ出るのだ。
(ロニーは絶対に助け出す。そのために魔神デーヴァについても、もっと調べないと……)
ファウストは一刻も早く託された水晶と小瓶を調べるため、ミカエルを追い払う。
「……用がないなら帰ってくれ」
「言われなくても帰るよ。せいぜい足掻くといい」
ロニーの姿をしたミカエルは、そう言って影へ潜り込みファウストの前から消え去った。
(ロニーはミカエル・バルツァーに取り込まれた。でも、まだあの男の中で生きている)
ロニーの自我が残っているなら、元に戻せるかもしれない。ああ見えて歴代随一の闇の賢者だ。
(今はロニーを信じるしかない……)
そうして、ファウストは証拠をレイドルとセトに預けて解析を頼み、サーシャとリュリュと共にロニーを助け出すため魔神デーヴァについて深く調べる。
終わりの時が近づいている今、少しでも多くの時間を最愛の人のそばで過ごしたい。
そんな気持ちを抑えて、ファウストは山積みになった書籍を手に取った。
* * *
その頃、魔法訓練場ではカレンの雷魔法を見たマージョリーが感嘆の声をあげていた。
「うわー! 今のすごかったわね!」
「ようやく安定して落雷を起こせるようになりました」
ふーっと深く息を吐くと、カレンの肩から力が抜けていく。
なにもない場所に雷雲を起こし天候を操るとなると、魔力だけでなく並々ならぬ集中力も必要だ。
「うーん、でも、もう少しリラックスしてもいいかな。聖魔法を使っていたせいか、その影響を受けているみたい。変に力むと無駄に魔力を消費するからコスパが悪くなるのよね」
「なるほど、確かに力が入ってしまいます。数をこなしたら少しは慣れるでしょうか?」
「そうねえ……それもあるけど、もっといいのはカレンちゃんが自分に自信を持つことよ」
マージョリーは優しく微笑み、そう言った。
今では手足を使うように雷魔法が使えるが、やはり特級魔法となるとどうしても無駄な力が入ってしまう。
(自分に自信を持つ、か……意識はしていないけど、まだ引きずっているのかな)
身近な人間たちに裏切られ、カレンの自尊心は大きく傷ついていた。
ファウストがこれでもかと愛情を注いでくれたおかげでだいぶ回復したのだが、いまだに心のどこかで自分に自信が持てないのかもしれない。
(どこかで自分は結局ダメなんじゃないかって、愛されないんじゃないかって思ってるのかも……)
少し気持ちが沈んでしまったカレンを見たマージョリーは、励ますように明るい声で言葉を続けた。
「いや〜、しかしコントロールはバッチリだもんね。本試験でもこの調子で魔法を使えれば合格間違いなしよ」
「そうだといいのですが……四日後かと思うと緊張します」
すでに本試験まで数日となり、カレンはいつもにも増して訓練に励んでいる。本当はファウストと一緒に魔神デーヴァについて調べたいが、今カレンに求められているのは賢者になることだ。
そのためには、よく寝て、よく食べて、集中して訓練に臨むのが最善だろう。自分の傷ついた心と向き合うのは、その後でも構わない。
(私の気持ちもちゃんと伝えたい……だから、この試験には全力で挑むのよ)
カレンはただ目の前のことを懸命にこなし、希望ある未来を思い描いていた。