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第57話 リベンジデート

 賢者になるための本試験前日。

 この日カレンは、身体の負担を最小限にするため、午前中を訓練の時間に充てていた。


「はあ、やっぱりカレンの魔法は綺麗だな」

「あ、ありがとう。ファウストに褒められると特別に嬉しいわ」


 うっとりした様子で紫雷を見つめるファウストに、カレンはぎこちなく答える。


 全能賢者と呼ばれ、賢者で一番実力のあるファウストに褒められると、恥ずかしいのと嬉しいのとで気持ちが乱れてしまう。


(ファウストへの気持ちを自覚してから、こんな風に褒められるとどうにも落ち着かないのよね……)


 ミカエルを追い詰めるのは賢者の本試験後の計画だ。


 魔法の訓練が終わり、カレンはファウストから思いもよらない提案をされた。


「カレン。よかったら、この前のデートをやり直さない?」

「えっ」


 この前のデートはロニーのふりをしているミカエルに邪魔され、それどころではなくなったから心残りではあった。


 それがやり直せるなら、ぜひそうしたい。


「それとも本試験前日だからやめておく?」

「いいえ、リベンジデートしたいわ!」


 カレンの力強い発言にファウストは破顔する。キラキラと輝く笑顔の夫に心臓を鷲掴みされ、カレンは頬がカッと熱くなった。


(うう、ファウストの笑顔が眩しくて心臓がバクバクしっぱなしよ……!)


 そんな様子は少しも出さず、一度部屋に戻って準備を整える。

 やり直しということもあり、ふたりともこの前と同じ衣装で出かけることにした。


「ところで、今日はどこに行くの?」

「カレンが本試験を頑張れるように、ちょっと遠出しようと思う」

「遠出できるの!?」

「うん、いろいろ調査も進んだから危険ではないと判断できるし」


 確かに、カレンが避けるべき相手はこの魔天城にいるのだ。むしろ外の世界の方が安全かもしれない。


「すごく楽しみ……! もしかして海や山に行ける?」

「それはお楽しみ」


 そう言って、ニヤリと笑うファウストの笑みは転移魔法の金色の光に包まれ、カレンは眩しさで目を閉じた。




 ふわりとした浮遊感を感じた後、すぐに地面の感触が足元から伝わってきて、転移魔法が成功したと思ったカレンは目を開ける。


 すると、目の前に広がっていたのは青い世界だった。


 太陽の光を受けて光を反射する海には波が白い模様を描き、雲ひとつない青空は地平線で海面と交わっている。


 潮の香りが鼻を掠めて、穏やかで優しい波の音がカレンの鼓膜に響いた。寄せては返す波が足元まで迫ってくる。


「う、海だわ……!」

「前にリクエストされたから」

「ファウスト、ありがとう!」


 カレンは弾む心でブーツを脱ぎ、まだひんやりする波に足をつけた。指の間を砂と共に海水が通り抜けて、大海原に戻っていく。


「ふふっ、なんだかくすぐったい感じがするわ」

「僕も海に入る」


 ファウストも靴を脱ぎ、ズボンの裾を捲ってカレンの隣にやってきた。足首までの浅瀬でファウストとカレンは手を繋いで歩き始める。


「砂の上ってすごく歩きにくいのね」

「あれ、海は初めてだっけ?」

「領地は山ばかりだったし、王都に来てからは魔法の勉強や聖女の役目ばかりで、来たことがなかったの。だから、ファウストと一緒に来ることができて嬉しいわ」


 羽のように軽い心でファウストへ笑みを向けた。


 しかし、ファウストはどことなく悲しげに笑みを浮かべている。波打ち際を話しながら歩き続けたが、ファウストの表情から陰りが消えない。


(ファウストなら一緒に喜んでくれると思ったけど……もしかして契約結婚が終わるのも近いから、それで……?)


 ふたりが結んだ契約結婚は、カレンが賢者になるまでの期間限定だ。そう考えるとファウストは思い出作りのために、遠方のデートに誘ってくれたのかもしれない。


(だからそんなに悲しそうなの? これからも一緒にいられるのに……)


 カレンは考えた。


 愛しい夫にこんな表情をさせたくない。もし賢者の本試験に合格しても結婚を継続したいと、今は思っている。


(魔道具開発の邪魔をしたくないから、私が賢者になってからと思っていたけど……気持ちだけ伝えてもいいのかも)


 カレンがちゃんとファウストを愛していると伝えたら、彼の瞳から悲しみが消えるだろうか。


 最近は以前のように一緒に過ごすこともできて、魔道具の開発もだいぶ落ち着いたようだし、賢者の本試験まで待たなくても問題なさそうではある。


 どうにかしてカレンはファウストの憂いを払いたい。前みたいに屈託のない笑顔を向けてほしいと思った。


(それなら、もう言っちゃおう。ファウストを、愛してるって)


 カレンはファウストと繋いだ手をギュッと握って立ち止まる。


「どうしたの?」


 ファウストが不思議そうな顔で、カレンを見つめた。


「ファウスト……」


 カレンは喉がカラカラになって、言葉がうまく出てこない。気持ちを伝えることが、こんなにも勇気を必要として大変なことなのだと初めて知った。


「あの、あのね」

「うん」

「あの……私ね」


 どんどん顔が熱くなって、変な汗が吹き出ている。この態度だけでファウストなら察してくれそうだが、ジッとカレンを見つめたまま身動きしない。


 カレンは意を決して、ファウストを見上げた。


 琥珀の瞳が太陽よりも輝き、カレンの視線を釘づけにする。


「私、ファウストを――」

「待って、それ以上言わないで」


 ところが、カレンの決意も虚しく、ファウストが待ったをかけた。

 言葉に詰まったカレンをそっと抱きしめたが、ファウストの手が震えている。


「ごめん、今聞いたら我慢できなくなるから、それ以上聞けない」

「そ……そっか。ごめん」

「カレンは悪くない。僕の問題だから」


 そう言って、ファウストはいつものように甘い視線でカレンを見つめた。でもやっぱり、その表情には嬉しさと悲しさが入り混じっている。


(私の気持ちはファウストに伝わってた!? でも、それなら、どうして悲しそうにしているの……?)


 ファウストの心の機微が読めずカレンが困惑していると、いつものようにハチミツみたいな甘い声で囁いた。


「カレン、愛してる。誰よりも、いつまでも」


 そして、そっとカレンの額に口づけを落とす。

 熱く柔らかな口づけは一瞬で去っていった。


 カレンは一瞬なにが起こったのか理解できなかったが、やや遅れて額にキスされたと理解し、顔どころか全身が真っ赤に染まる。


「そろそろ帰ろうか」


 気が付けば西の空がうっすらとオレンジに色を変え、風も冷たくなっていた。カレンは火照る頬を冷えた手で冷やしながら頷く。


(うううう……し、心臓が壊れそう……!!)


 まともにファウストの顔を見れないまま、カレンは本試験前日を終えた。




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