「ロニー様……なにかご用でしょうか?」
ロニーのグレースピネルの瞳は狂愛を含み、冷ややかにカレンを見つめる。その視線は嫌というほど見覚えがあった。
(本当に、ロニー様の中にあの男がいるのね……)
一方的な愛を押し付けて、思い通りにならなければ凶行に走る。そんな狂気が渦巻いているのを、笑顔で覆い隠していた。
今のロニー、つまりミカエルも同じような笑みを浮かべている。
「ずっとカレンと話したかったよ。試験が終わって、あいつらも気が抜けたのか」
賢者たちを馬鹿にするような口調にカレンは苛ついた。しかし、グッと堪えて要件を訊ねる。
「なにかご用ですか?」
「カレンが本試験で特級魔法を成功させたのを祝いたいんだ」
ミカエルはカレンの本試験での様子を掴んでいた。しかし、これも想定内のことだ。
「ロニー様、ありがとうございます。ですが、お祝いは結構です」
カレンはいつも通りにミカエルの誘いを断る。
「そう言わずに食事にでも行こう。ファウストもいないみたいだし、あいつの分も僕が祝うから」
「……では、行きたい場所があります」
カレンがにっこりと笑いかけると、ミカエルは途端に上機嫌になった。
その場から動けないように絡みついた黒い霧は、ミカエルの中に取り込まれカレンは身体の自由を取り戻す。
「どこに行きたいの?」
そう訊ねながら、ミカエルはカレンの肩を抱き寄せ並んで歩き出した。
鳥肌が立つような嫌悪感を堪えつつ、カレンは平静を装う。
「その前に、忘れ物をしたことに気が付きました……一度、試験会場に戻ってもよろしいですか?」
「へえ、カレンが忘れ物なんて珍しいな。まあ、いいよ」
「まあ、ありがとうございます」
カレンは聖女だった頃のように清廉な笑みを浮かべ、ミカエルがなにも知らないことに胸を撫で下ろした。
カレンは再び魔天城の地下にある、賢者専用の訓練施設へやってきた。
試験で魔法を使った場所まで歩みを進めると、足元にある液体の入った小瓶を手に取り一気に飲み干す。
すると、喉から胃にかけて焼けるように熱くなり、その熱に追いつこうとするように魔力がグングン回復してくるのがわかった。
(ちょっと刺激が強いけど、この魔力回復薬はよく効くわね)
これは一般に出回っているものに、生命の雫と呼ばれる素材を足して作られた強力な魔力回復薬だ。
ファウストが持っていたのを、今回の作戦で使わせてもらった。
カレンの魔力がどんどんみなぎるのと感じ取ったミカエルは、訝しげに問いかける。
「カレン……魔力を回復してなにをするつもりだ?」
銀色の髪をなびかせて、カレンは振り返った。
アメジストの瞳に狼狽えた様子のロニーの姿が映る。
全快したカレンの魔力量に圧倒され、ミカエルは本能的に一歩後ずさると、ガチャンッと大きな音を立てて部屋に鍵がかけられた。
「誰だっ!?」
ミカエルが振り返って叫ぶも、なにも反応が返ってこない。カレンは静かに目の前の男の本当の名前を呼んだ。
「ミカエル・バルツァー」
ピタリと動きを止めたミカエルは、ゆっくりとカレンに振り返る。
「ロニー様を取り込んで、賢者のふりをしていたわね?」
「いったい、なんのことだ……?」
「とぼけても無駄よ。こちらにはロニー様を取り込んだ様子が写っている映像水晶と、貴方が魔神デーヴァと契約した物証があるわ」
ギリッとミカエルが奥歯を噛みしめる。
だが、凶悪な笑みを浮かべて、言い放った。
「はっ! そうか、それなら仕方ない。だがな、この身体は正真正銘、闇の賢者のものだ。私を捕まえるのは無理だぞ」
「そうでもないわ」
「なっ――」
ミカエルの言葉を待たず、カレンは雷魔法をまとって瞬きの間に距離を詰めミカエルの両手を掴む。
そして、思いっ切り聖魔法が織り混ざった雷魔法を流し込んだ。
「《ギャアアあああァァっ!!》」
この世のものとは思えない絶叫が、室内に響き渡る。
(魔法が効いた……!)
そう思ったのも束の間、ロニーの身体から黒い霧があふれ出した。
「グガッ! ギギぎギギギっ! ゔいいい……あ゙あ゙あ゙あ゙あああ――!!」
ドサッという音を立ててロニーの身体が地面に崩れ落ちたが、意識がないのかピクリとも動かない。
黒い霧は倒れたロニーの後ろでひとつの塊となって、やがて人形を形成していく。艶やかな青い髪が風になびき、怒りに満ちたグレーの瞳があらわになった。
「ようやく正体を見せたわね」
「カレン……! なぜ……なぜだ!? どうして私を追い詰める!?」
漆黒のローブを羽織ったミカエルはあまりの怒りでブルブルと震え、カレンを睨みつける。
「なぜ? だって脱獄犯だもの当然でしょう? 一緒にリトルトン王国へ戻ってもらうわ」
「まさか、行きたいところというのは……」
「ええ、正確にはリトルトン王国の独房ね」
怒りを爆発させたミカエルが叫んだ。
「私はお前を愛しているのだぞ! どうやったら前のように私の気持ちに応えるのだ!?」
「いい加減にしてよ。私が貴方を愛することなんて未来永劫ないわ! それに……私の大切な人たちを傷つける貴方を絶対に許さない!!」
カレンの明確な敵意にミカエルは
「認めない……カレンは宿命の片翼なのだ……私は絶対に、この世界を認めないぞ!!」
ミカエルがグレーの瞳を見開き、カレンを視界の中心に捉える。
「なにを言っても無駄よ。私は自分で決めた道を進むわ。――ウィオラ・ベス・トニトルス」
カレンはすかさず呪文を唱えた。その途端、上空に雷雲が集まり、こぼれ落ちそうな紫雷が雲の合間に見え隠れする。
「敵を捕らえよ」
その命令と共に幾百もの紫雷が降り注いだ。
ミカエルは黒い霧を操るが、聖属性を含んだ雷を跳ね返すことができず、ダメージを受けてしまう。
「くそっ、なんなんだ、この雷魔法は!」
「……貴方を捕まえるための魔法よ」
ミカエルがカレンを聖教会に縛りつけ、強制的に聖魔法を使わせたことが自分の首を絞めることに繋がるとは想像もしていなかった。
(人生に無駄なものなんてないわね)
つらかった聖教会でのお役目は、今こうして花開いている。
どんなに傷ついても、どんなに苦しくても、経験してきたことに無駄なんてない。すべてがこれから先の未来を生き抜く糧となるのだ。
しかし、ミカエルとて魔神デーヴァと契約し、賢者に匹敵する実力を有している。
「このまま終わると思うな!」
カレンが特級魔法を使い続け、集中力が切れた瞬間を狙い反撃に出た。黒い霧がカレンを包み、その細い首に巻きつこうと伸びてきた瞬間。
金色の光の粒がカレンを囲うように現れ、黒い霧は霧散した。
「ファウスト……!」
「カレン、怪我はない?」
カレンはファウストの結界の中で守られ、ミカエルの攻撃が届かない。
「くそっ! また貴様が邪魔をするのか!?」
「絶対にお前の好きにはさせない」
ファウストの言葉で他の賢者たちも次々と攻撃を仕掛けてくる。
「ロニーにした仕打ちを絶対に許しませんわ」
「ボクも許せない」
セトはミカエルが逃げないように周囲に土魔法で壁を作り、サーシャが水魔法を操り水球の中に閉じ込めた。
息ができないミカエルはもがき、やっとの思いで黒い霧の刃で水球と土壁を破壊する。
息をつく暇なく、今度はレイドルが炎をまとった剣で攻撃を仕掛けてきた。紙一重で剣撃を避け、ゴロゴロと荒野を転がる。
「チッ、逃げんなよ」
「くっ……!」
脱獄犯を追い詰めるように連撃を放つが、本来の姿を取り戻したミカエルはロニーの時よりも俊敏に反応していた。
そこへ、紫色に発光した風の刃が飛んでくる。黒い霧で弾き飛ばそうとしたが、逆にかき消され、ミカエルの右肩を大きく抉った。
「ぐああああっ!!」
ぼたぼたと鮮血が流れ落ち、ミカエルはその場にうずくまった。
「うわ、ファウストの言った通りだな」
「わたしの聖魔法とリュリュの風魔法を組み合わせてみたけど……最強じゃない!?」
リュリュとマージョリーが楽しげにはしゃいでいる。その様子を見ていたファウストが呟いた。
「やっぱり僕の仮説が正しかったみたいだ」
「さすがファウストだわ」
聖属性を含んだ魔法が、魔神デーヴァに有効である、という仮説をファウストから聞いた時に、その場にいた全員はそんなことが可能なのかと思った。
しかし、実際に試してみると効果抜群で、雷魔法だけでなく他の魔法でも魔神デーヴァに有効だと実証されたのだ。
「ぐっ……お前ら……絶対に許さんぞ! 私のものにならないのなら、カレンもろとも殺して、またやり直してやる!!」
追い詰められたミカエルはそう叫び、これまでにないほどの黒い霧を放つ。カレンたちは黒い霧が充満する中で視界を遮られ、ミカエルを見失った。
やがて黒い霧が収まると、地面にはぽっかりと穴が空きミカエルの姿は消え失せていた。