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第64話 カレンの幸せだけを願って

 重だるい身体を引きずり、やっとのことで窓辺の椅子に腰を下ろしたファウストは後悔していた。


(私室の資料を片付ける余裕がなかった……レイドルに頼んだから、うまく処分してくれたと思うけど)


 ファウストは終焉しゅうえんの地をずっと前に決めていた。


 究極魔法の副作用が出た時に自分のタイムリミットを知り、どうしたらカレンが幸せになれるか吐きそうなほど考えた。


 考えて悩んで、また考えて、最後はひとりでこの世から消えようと決めたのだ。


 ファウストが最後の時を迎える場所はここしかないと思っていた。


 愛するカレンと出会った貴族学園。窓の外にはあの頃と変わらぬ景色が広がり、ファウストの疲れ切った心を癒し穏やかな時間を与えてくれる。


 賢者の権限を使い、ファウストは貴族学園の一階にある教員用の部屋を借りていた。早い段階から部屋を確保してもらい、ファウストは来たるべき時に備えていたのだ。


 部屋にはベッドと小さなテーブル、それと外を眺められるようにゆったりとした椅子だけが置かれている。近々消えてしまう身なのだから荷物は少ないほうがいい。


 魔道具の研究半ばでキアラひとりに託すことになったのは申し訳ないが、彼女はファウストの病状を知っているからそれも納得済みで引き継いでいる。


 投げやりになっているかと聞かれたら、そうなのかもしれない。


 でもファウストは充足感でいっぱいだった。


 長いようで短い人生だったが、やれることはすべてやり尽くした。

 今回の人生でカレンは賢者になって、ようやくひとりで幸せを掴むことができるようになったのだ。


 ファウストの目的は果たしたも同然だろう。


 唯一、ミカエルのことが心残りではあるが、賢者たちが一丸となれば倒せない相手ではない。あの男を倒すための方法はすでに伝えてあるし、彼らなら間違いなく成し遂げられるだろう。


 それに、今のファウストにはもう立ち向かう力も残っていない。


 両手両足がほぼ義足になっていて、最近では物もよく見えなくなってきた。


「あ、左目が死んだ」


 数日前からなんだか目がおかしいと思っていたが、ついに左の眼球も砂になってしまったらしい。右目を塞いだら真っ暗闇だ。


「やっぱり、あのタイミングが限界だったのか」


 カレンが賢者になったと知らせを受けた時、ファウストは本当にギリギリの状態だった。


 いつ義手が外れるか、いつ義足が使えなくなるか、毎日ヒヤヒヤしながら過ごしていたのだ。


 幸いにもカレンのそばにいる時は調子が良くて、身体が崩壊するスピードが緩やかになっていたが、それでも病状の進行を止めることはできなかった。


 カレンのそばにいられる幸せを感じながら、現状を隠し続けるのはかなり神経をすり減らした。


「カレンが泣いてないといいけど……」


 悲しむぐらいなら、いっそのことファウストを恨んで前に進む糧にしてほしいとすら思っている。


 セトにカレンの様子に気を配ってくれと伝えることができたので、万が一カレンが悲しんでいてもなんとかしてくれるはずだ。


(でも、セトに頼むあたりが、まだカレンに執着してるよな。情けない……)


 どうしてファウストがセトを選んだのか。

 それはセトがまだ子供といえる年齢で、カレンの恋愛対象外だからだ。


 いくらカレンを手放すことを覚悟したとはいえ、自ら次の男を斡旋あっせんすることができなかった。


 この身体が治るというなら、どんなことでもするだろう。そしてこれからも、自分の手であらゆる危険からカレンを守り続けたい。


 もう二度と生まれ変わることができなくなっても構わない。

 魂が壊れても、今世さえ乗り切れるなら、それでいい。


 それくらいに、ファウストはカレンを愛している。


 そんなことを考えながら、窓の外を眺めていた。


「ファウストー!」


 ハッとして声の方へ視線を向ける。外の世界はキラキラと眩しくて、右目をわずかに細めた。


 光の中で女子学生がスカートの裾を揺らして駆けている。

 ファウストの記憶の中のカレンと姿がダブり、思わず瞬きした。


「ユリア、どうしたの?」

「次の授業の課題終わってる? 一ヶ所だけわからないところがあって――」


 その女子生徒に笑いかける男子生徒が少し先にいて、懐かしさが込み上げる。


(懐かしいなあ……あの頃、カレンに何度救われただろう)


 ファウストはエヴァリット公爵家の三男として生まれた。

 エヴァリット公爵家は代々官僚として王城で勤務し、王族を支えることを誇りにしている。


 そのため勉強はもちろん、剣術も厳しく叩き込まれてきた。

 そんな中、ファウストは魔法の才能を発現させたが、エヴァリット公爵家にとっては必要な能力ではなかった。


 父に求められたのは、社交界で貴族たちを手のひらで転がす狡猾こうかつさと、政務をこなすための頭脳、いざという時に王族の盾ともなれる頑強な身体と剣術だ。


 ファウストはそのいずれも合格ラインには達しておらず、毎日折檻を受けていた。


 貴族学園に入って初めてカレンに魔法を認められて、ファウストはやっと人間として認められた気がした。


 生きていてもいいんだ、ここにいてもいいんだ、と思えてカレンといる時間だけはキラキラと光があふれる世界で過ごせた。


(カレンがいなかったら、僕はとっくに壊れていただろうな……)


 いまだに折檻を受けた背中の古傷が痛むことがある。


 ファウストが魔法に目覚めたのは、あまりにも折檻で受けた傷が痛くて眠れなくて、治癒魔法を使いたいと強く願ったからだ。


 それから治癒魔法をこっそり使っていたが父に知られることになり、「治せるなら平気だろう?」と言われて、ますます折檻が激しくなった。


 傷の上からも容赦なく鞭で叩かれ、何度も痛みで気絶した。そのため治癒魔法が追いつかず、幾つものみみず腫れが残っている。


(あの頃は地獄のような日々の中で、カレンだけが生きる望みだった)


 夕日が差し込む図書室でオレンジ色に輝く銀髪が綺麗だった。

 アメジストの瞳はいつもファウストに羨望の眼差しを向けて、勇気づけてくれた。


 元々死んだも同然の命だったのを、カレンがこの世界に引き留めてくれただけなのだ。


 だから、カレンがいない世界なんて意味がないと思っていたし、カレンさえ幸せならそれでよかった。


 ファウストはカレンの幸せだけを願って、禁忌を犯した。


 魔法使いにとっての禁忌。


 それは魂を触媒にして魔法を使うことだ。驚異的な効力を発揮する代わりに、どのような副作用が出るかわからない。


 ファウストはあの時、なんの躊躇もなく魂を触媒にして究極魔法を発動させた。


 カレンが初めて死んだ、あの時に――。




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