◇ ◇ ◇
最初の人生で迎えた七九九年六月。
魔道具開発を終えたファウストは魔天城の自室でカレンの死を知った。
『う……嘘だ。カレンが死んだなんて、嘘だ……!』
聖女カレンの訃報が掲載された新聞をぐしゃりと握りつぶし、ワナワナと震える。
(カレンは幸せになるために結婚したはずだ。それなのにどうして――)
新聞記事には葬儀までの間、カレンの遺体は大聖堂で保管されると書かれていた。ファウストは迷わず大聖堂へ転移する。
時刻は真夜中ということもあって、誰もいない大聖堂にポツンと棺が置かれていた。
『……カレン』
ステンドグラスから差し込む月光が優しくカレンを照らしている。
真っ白な顔で静かに横たわるカレンは、ただ眠っているように見えた。
そっと頬に手を伸ばすと氷のように冷たくて、カレンが人生を終えたのだとファウストに現実を突きつける。
『カレンッ! どうして……!』
ファウストは棺に縋りつき
こんなことになるなんて想像もしていなかった。
なにか兆候はなかったのか。
ファウストがそばにいたら、カレンの命を延命できたのではないか。
そんな後悔が後から後から込み上げる。
そこへ、ひとりの男がやってきた。
『貴様は……賢者か? なぜ賢者がここに来た?』
声の主は教皇ミカエル・バルツァーだ。
教皇であれば聖魔法に長け、病や怪我ならほとんどを治療できる。しかもカレンは聖女だった。
それなのに。
『なぜ……カレンは死んだ?』
『貴様には関係のないことだ……いや、お前は確か、貴族学園でカレンに言い寄っていた男だな』
ミカエルは決して打ち明けることがなかったファウストの密かな想いを知っていた。
だがそんなことよりも、今は確かめなければならないことがある。
『お前がカレンを殺したのか?』
『殺したとは心外だな。それよりもカレンを馴れ馴れしく名前で呼ぶな』
ファウストはカレンの身体に残る魔力の波動を感じ取った。それは目の前のミカエルのもので、通常ではありえないほど強く残っている。
死に直面するような病や怪我を治す強い治癒魔法を使ったか、それともなにか大きな魔法をかけたのか。
『この魔力の
カレンが病にかかったとか、怪我を負ったという情報はなかった。それであれば、答えは自ずと絞られる。
『なにを言う。カレンは術式に耐えかねて命を落としただけだ』
『命を落としただけ……?』
なんでもないようにミカエルは真実を口にした。
しかも、まるでカレンが命を失ったことがなんでもないことのように。
『何度生まれ変わってもカレンが私を愛するよう、つまり永遠に〝宿命の片翼〟でいるように本人の魂を使って術式を施したから問題はない。賢者ならわかるだろう? 私が作ったこの完璧な術式が』
永遠に〝宿命の片翼〟でいるための完璧な術式。
ミカエルはその術式を編み出し、カレンの魂を媒介にして発動させたという。
しかし、宿命の片翼は今世限りのものだ。生まれ変わったら肉体が変わるように、魔力の波動も変わり、まったく別の人間が宿命の片翼になる。
それがどれほど自然の摂理に反することか、ファウストは瞬時に理解した。
『……〝宿命の片翼〟は永遠を約束するものじゃない。魂を媒介にするのは魔法使いに禁忌だと知っているだろう!? どんな副作用が出るかわからないんだぞ!!』
魂を媒介にする魔法は魔法使いの禁忌として語られている。聖魔法を極め教皇になったミカエルがそれを知らないはずがない。
ファウストは怒りを爆発させてミカエルを怒鳴りつけた。
しかし、ミカエルにはなにも響いていないのか、しらけた表情で返答する。
『だからどうした? 永遠に私の片翼でいられることに比べたら、たいしたことではないだろう?』
『ふざけるな! こんなことになると知っていたら、絶対に阻止した!!』
カレンが誰に想いを寄せているのかなんて、ファウストが一番よくわかっていた。
いつもいつもカレンを見つめてきたからこそ、その視線の先に誰がいるのか、誰の前ではにかむ笑顔を見せるのか、誰のことを想って頬を染めるのか、嫌というほどわかっていた。
だから、カレンを困らせないように静かに身を引いたのだ。愛し愛される人と結ばれるが一番だと思ったから。
ただただ、
『はははっ、お前がどんなにほざこうが、もうカレンは私のものだ。永遠の〝宿命の片翼〟になったからな』
それなのに、ミカエルはファウストの想いを踏み
『お前のような魔法しか能のない男がカレンを想うだけでも許せん。私とカレンの世界に入ってくるな』
『――ぶち壊す』
『は?』
ファウストはカレンが幸せにならない世界を認めるつもりはない。
それならカレンが幸せになるよう、やり直せばいい。
『術式を受けたカレンの魂を治して、世界をすべてぶち壊す』
魂を捧げる魔法を使えるのはミカエルだけではない。ファウストもまた、金色の瞳を持つ者だけが使える時空魔法を極めた賢者なのだ。
『世界を壊すだと? そんなことできるわけが……』
『僕はできる。カレンのためなら、どんなことでも』
ファウストは身体を巡るすべての魔力を両手に集中させていく。
やがて金色の光の粒子があふれ出し、ファウストを中心に複雑な模様を床に描いた。
その尋常じゃない魔力の塊にさすがのミカエルも怖気づいている。慌ててファウストを静止しようとした。
『待て、そんなことをしたらお前も――』
『そうだな。僕の魂も無事では済まない。だけど、カレンの魂が傷つくよりいい』
自分の魂が傷つくくらいどうということはない。ファウストにとっては、カレンの幸せがなによりも大切なのだ。
床に描いたのは、膨大な魔力をコントロールし確実に時空魔法を発動させるための術式である。
ミカエルはそれを見て、ファウストがなにをしようとしているのか悟った。
『馬鹿な! 自分を愛さない女のためにそこまでするのか!?』
『愛することを知らないお前にはわからないだろうな』
ファウストは密かに想いを募らせ、一途にカレンを見つめた。
どんなに傷ついても。
どんなに報われなくても。
どんなに愛してもらえなくても。
それでも、カレンの幸せそうな笑顔が見られればそれでよかった。
『私はカレンを愛している! だから永遠に……』
『だったらなぜ、自分に術式を施さなかった?』
『それでは私の魂が傷つくではないか! そんなことをしたらカレンを愛せないだろう!』
ミカエルの自己中心的な言葉は、ファウストの揺るがない決心を後押しする。
『カレンより自分を大事にする時点で、彼女を愛していない』
『なっ……!』
『それに〝宿命の片翼〟は同じ魔力の波長を感じ取るが、それは優れた遺伝子を残すための本能に過ぎない』
『しかし、惹かれ合うことは事実だろう!』
叫ぶようなミカエルの必死の訴えは、ファウストの心に少しも響かなかった。
純真な心を持ち、真っ直ぐに生きてきたカレンを利用したミカエルを、ファウストは絶対に許せない。
『本能のままに生きるのと、愛することは違う』
『貴様、私が本能だけで生きる獣だとでも言うのか!?』
もし、カレンが伴侶に深く愛されて大切にされているなら、あのまま魔天城で一生を過ごすつもりだった。
でも。もうそれはできない。
『話は終わりだ』
『おい! 待て! くそぉぉぉぉっ!!』
ミカエルが聖魔法を放つが、ファウストのすべてを賭けた時空魔法はびくともしない。
術式から金色の光が立ち上がり、大聖堂の屋根を貫通して空まで伸びた。空を埋め尽くすように広がる術式に、ファウストは全生命力を、さらに魂を込める。
カレンの傷ついた魂を癒すように、金色の光が冷たくなった身体に降り注いだ。
術式は忠実にファウストの魂をカレンにわけて、壊れた部分を補修していく。
『カレン、必ず君が幸せになる世界にするから――』
ファウストはこうして時を巻き戻した。