「どうして……」
カレンはファウストの驚いた顔を見て、ふふっと笑いがこぼれる。
いつも余裕があって、飄々としているファウストにしては珍しい表情だ。首元に回した腕を解いてファウストの前に移動する。
「ファウストは私の夫でしょう?」
「いや、それは契約の話じゃ……」
「それでも、まだ婚姻は続いているの。だからファウストは私の夫よ」
カレンはぐずぐずと言い訳をするファウストを一刀両断した。紛れもない事実ではあるが、ファウストはそれでも納得しない。
「……ごめん。僕にはその資格がない」
「いずれ崩れて消えてしまうから?」
ズバッと核心を突く言葉に、ファウストは息を呑む。
やがて肩の力が抜けて、カレンが真実を突き止めたと理解したようだった。ファウストは暗い表情のまま拒絶の姿勢を貫く。
「……そうだよ。そうなったら、カレンを悲しませてしまう」
(ああ、やっぱりこれが理由だったのね。本当にファウストは優しすぎるんだから)
本人の口から語られた言葉が、カレンの心にストンと落ちた。そしてファウストの愛がどこまでも深いことを改めて実感する。
だけど、なにも言ってもらえなかったことが悲しかった。そんなにも信じてもらえてなかったのかと胸を抉った。
ファウストの真実を知って、心が引き裂かれたように悲鳴をあげて、涙があふれた。
なにも知らずにいた自分を責めて、あの時にこうしていれば、あの時にこう言っていたらと、激しい後悔に襲われたのだ。
「もう十分悲しんだし、人生で一番泣いたわ」
「ごめん……」
責めたつもりはないのだが、ファウストがしょぼんと項垂れる。カレンは話題を変えようと、ファウストを見つけてから気になっていたことを訊ねた。
「それに、もう両目も義眼になったのね」
「わかるの?」
「ええ、前みたいに熱がこもっていないから」
「そうか……僕がそんな風にカレンを見ていたとは知らなかった」
このタイミングで見つけられてよかったとカレンは思う。もし手の施しようがないほど症状が進んでいたら、と考えてゾッとした。
もう決して失いたくはない。
「ファウスト・エヴァリット」
「……っ!」
カレンはファウストの前で優雅に跪く。
濃紫のローブとミモザ柄のパステルイエローのワンピースの裾がふわりと広がった。
「どうか私と結婚してください」
真っ直ぐにファウストの金色の義眼を見つめる。
たとえ魔道具を介しても、この想いが、この激情が伝わりますようにと願いながら。
「ちょ、カレン、なにを……」
「たとえどんなにファウストといられる時間が短くても」
ファウストは狼狽えるが、構わずに言葉を続ける。
今、ここで伝えなければ、ファウストが戻ってこない気がしたから。
「いつかどちらかがこの世を去っても」
それはすぐ先の未来かもしれないし、遠い未来のことかもしれない。
でも、それまでは。
全身全霊の想いを込めて、ファウストに捧げる。
「何度生まれ変わっても、永遠にファウスト・エヴァリットだけを愛し、私のすべてを捧げると誓います」
その瞬間、キィンと耳鳴りがして、カレンの魂になにかが刻み込まれた気がした。
本当にカレンの魂に誓いの言葉が刻み込まれたのかもしれない。もしかしたらカレンは、とんでもないこと誓ってしまった可能性もある。
でも、それでも構わない。
だって、何度時間を巻き戻っても、カレンを笑顔にしてくれたのはファウストだった。
「私にはファウストしかいないの。お願い、これからもそばにいて」
絞り出すような声でカレンはファウストに懇願する。
もし、これでも聞き入れてもらえなかったら、ファウストを永遠に失ってしまう。
そう考えるとたまらなく恐ろしくて、カレンはグッと歯を食いしばった。
ファウストは俯いたまま、カレンの言葉を聞いている。
「無理だよ……」
「ファウスト、お願い……!」
絶望の底に叩き落とされたが、カレンはあきらめきれない。
ファウストに縋りつくように手を伸ばした。
「こんな風に全部受け入れられたら……カレンを手放すことなんて、無理だ」
そう言って、ファウストは床に膝をついているカレンをきつく抱きしめる。
カレンの耳元でファウストは震える声で言葉を続けた。
「もしかしたら、この先すごく悲しませてしまうかもしれない」
「うん」
「もっと泣かせてしまうかもしれない」
「うん」
「でも……」
再び視線を合わせたファウストが泣きそうな表情を浮かべている。もし義眼じゃなかったら、ボロボロと涙をこぼしていただろう。
「カレン。もう君を手離すことなんて、できないよ?」
「うん、そうして」
カレンは満面の笑みで答えた。
「カレン。この世界の誰よりも愛してる」
「私も、ファウストを愛してるわ」
ようやくカレンは自分の想いをファウストに伝えられた。
ずっとずっと言いたかった愛の言葉。
ファウストは極上の笑みを浮かべる。
どちらともなく唇が触れ合い、
次第にファウストはカレンを深く貪り、これまで離れていた分を取り戻すように求める。
「んっ、ファウ、スト……はっ」
「もっと。もっとカレンが欲しい」
カレンがファウストを止めようとしても、とろけるような甘いキスですっかり力が抜けてどうにもできない。
ゾクゾクとした感覚がカレンの背中を駆け上がる。
座っているのもやっとの状態で、カレンはファウストの濃紫のローブをギュッと掴んだ。
「あ……ごめん。あまりにも嬉しすぎて、暴走した……」
「もう、いいの……?」
ファウストが我に返った様子で唇を離すと、カレンもいつの間にか熱に
そんなカレンを見たら、ファウストはもう止まらない。
「まだ続けてもいい?」
「うん、ファウストが望むなら」
「僕はもっとカレンがほしい」
再びふたりの唇は触れ合い、時が経つのを忘れて甘美な口付けを交わした。