カレンとファウストが再び一緒に暮らしはじめてひと月経った。
ファウストは魔力の消費を抑えるために、ほとんど魔法を使わないようにしている。
この日も日課となったキスを終えて、ファウストがこんなことを言い出した。
「カレンとキスすると調子がいい」
「……いくらなんでも、それは言い過ぎでしょ」
「でも、身体が軽い気がする」
「そんなこと言っても、キスはもう終わりよ。この本を読みたいの」
「もう一回だけ、駄目?」
手に持っているのは究極魔法について詳しく書かれている本だ。当然、ファウストの後遺症の治療法を調べているのだが、当の本人がこの調子である。
調べても調べても成果がでなくて、じわじわと追い詰められるような焦燥感を感じていたカレンの心がほぐれていった。
「……もう一回だけね」
「カレン、愛してる」
そう言って、ファウストはカレンを喰い尽くすような口付けをする。
心を通わせたふたりだが、ファウストの状態を悪化させないためにも、触れ合うのは唇だけだ。
それにファウスト本人が、義手を睨みつけながら「魔道具でカレンの身体に触れるのは僕が許せない……」とわけのわからないことを呟いていた。
そのせいなのか日課だけに収まらず、日に何度となくキスを交わしている。
「はあ、カレン。かわいい……」
「んっ」
チュッチュッとリップ音を立てながら、ファウストの唇がカレンの首筋を下りていきチリッとした痛みを感じた。
「残念だけど、これで終わり」
「もう少し軽くしてほしいわ……」
「それは無理」
「…………」
カレンは今度こそ翻弄されないように、もう一回のおねだりを断固拒否すると心に決める。
ポーッとしてしまった頭を切り替えて、再び本を開いた。
ファウストは機嫌よく食器を洗いはじめて、家のことをこなしていく。そこでカレンはずっと考えていたことを口にした。
「会ってみたい人がいるの」
「誰?」
「キアラ・ジョルダーニ様よ。義手や義足のことで、聞きたいことがあるの」
皿を洗っていたファウストの手が一瞬止まったが、すぐに笑顔で頷く。
「わかった、手紙を書くからカレンの風魔法で届けてくれる?」
「ええ、もちろんよ」
カレンはこの一カ月で、手紙を小鳥にして飛ばす風の初級魔法を習得していた。ファウストが書いた手紙を手のひらに乗せて、反対の指で魔力を込めて螺旋を描く。
最後にふっと魔力を込めた息を吹きかけると、手紙は浅葱色の小鳥になって飛び立っていった。
「さすがカレン。見事だね」
「ふふっ、ファウストの言った通り、聖魔法よりも覚えやすかったわ」
「今度は炎魔法も覚えたらいいかもね」
キアラからすぐに返事が届き、その日の午後に魔道具研究所へ向かうことになった。
魔天城の一階にある商業区画に、キアラが営む研究所がある。なんの変哲もないオレンジの扉を開くと、魔道具研究の一任者であるキアラが満面の笑みで出迎えてくれた。
「やあ! 君がファウストの奥方か! ははっ、とてもかわいらしくて強い女性だな」
「は、初めまして……カレン・エヴァリットと申します」
「僕の最愛で大切な妻だから、丁重にもてなしてほしい」
「はははっ、わかっているよ。さあ、入ってくれ」
豪快に笑ったキアラは、カレンとファウストを研究所へと招き入れる。応接室へと通されて香りのいいお茶が目の前に並べられた。
キアラの見た目はスタイル抜群の妖艶な美女なのだが、口を開くと快活な紳士のようだ。そのギャップに脳が混乱して処理が追いつかない。
(すごいギャップだわ……それに、想像していたのと全然違った)
キアラは面倒な相手を避けるために、魔天城の外では男装している。そのため、言葉使いが男性的なのだ。
身のこなしもスマートで、美しい美貌にポーッとしてしまいそうになる。
だが、カレンはここで言わねばならぬことがあった。
「あ、あの!」
「うん、ないだい?」
「ファウストの義手や偽足を作っていただき、ありがとうございます!」
「ああ、そんなことか。わたしの研究にも協力してもらっていたから、その一環だよ」
義手や義足があるおかげで、身体が崩れてもファウストは自由に行動できる。恩人とも言えるキアラにお礼を伝えたかった。
「それよりも、ファウストの愛は重すぎてつらくないか?」
「キアラ、僕の愛が深いと言ってくれ」
「まあ、そうとも言うが……お前の愛はねちっこいからな」
「君が雑すぎるんだ。いつも旦那さんを振り回しているだろ」
「そうか? なに、ちゃんと結果を出すのだから問題ない。夫への愛だって、嫌というほど伝えているぞ」
目的のひとつを果たしたカレンはホッとしつつ、ふたりの応酬に耳を傾ける。
(気心しれた仲間なのね……少しだけやきもち焼いちゃいそうだけど。でも、キアラ様がとても素敵な人だとわかってよかった)
最初に見た時は感情がぐちゃぐちゃになってしまったけれど、こうして実際に接してみるとそんな心配は必要なかったと心から思える。
むしろキアラは夫をとても大切にしていて、ファウストは単純に研究の関係者といった態度だ。
ふたりのことを疑ってしまった自分は、闇へ葬り去りたい気持ちでいっぱいになる。
「カレン、僕の愛はちゃんと伝わってるよね?」
「ええ、もちろんよ。これでもかってくらい、翻弄されまくってるわ」
「ぷはははっ! やはりファウストらしい。それにしても、魔力の多い人間は愛が重い傾向にあるようだ。これもそのうち研究してみたいな」
「僕は協力しないから」
「それは残念だな。いいサンプルが取れそうなのに」
お茶で喉を潤したキアラは、カレンに穏やかな視線を向けて切り出した。
「それで、わたしに聞きたいことがあると手紙に書いてあったが、どんなことだい?」
「これまでに、義手や義足が突然不要になった人はいませんか? どんな些細な情報でも構わないのです。なにかご存じであれば、教えていただけませんか」
キアラは魔道具開発について、この世界の誰よりも豊富な知識を持っている。その中に義手や義足に関するさまざまな情報もあるはずだ。
「ふむ。義手や義足が不要になった者か……残念ながら、そういった話は聞いたことがないな」
「そうですか……」
しかし、カレンが期待したような答えは返ってこなかった。
「だが、わたしが義手や義足を作るきっかけとなった話ならある」
「それはどのようなお話ですか?」
「ある田舎の街の話だ——」
周りには山に囲まれたその村では、主に農業で生計を立てるものが多かった。
山でも育てられる果樹園を営む村人が多く、何代もその地で暮らす男の一家もりんごを育てて暮らしていた。
しかし、ある時、不慮の事故で右足を失った男がいた。これまでは毎年豊作を願って神に作物を奉納していたが、それもできなくなる。
家族を養っていくこともできなくなった男は、神に足が元に戻るように祈った。
すると神の涙が恵みの雨となって大地へ降り注ぎ、万物の秘薬となり男の足を癒した。
「その話を聞いたのは、魔物からわたしを守るために夫が左腕を失った直後だった。失ったのなら元に戻せばいいのだと思い立って、義手の魔道具開発を始めたのだよ」
「そうだったのですね……」
そんな理由があったなんて知らなかった。だが、その状況はカレンと酷似している。
キアラはどれだけ必死に魔道具開発をしてきたのだろうか。きっと、一日でも早く最愛の人の腕を治したいという、強い思いがキアラを魔道具開発の第一人者にさせたのだ。
「わたしのせいで夫を不自由な身体にさせてしまったと自分を責めた。だからこそ、なんとしても彼の腕を元に戻したかったんだ。だからわたしは、カレンさんを心から応援するよ」
カレンは背中を大きく押された気がした。
今、目の前に見事に目的を成し遂げた人がいる。その事実はカレンを大きく勇気づけてくれた。
「はい、ありがとうございます! 私は絶対にファウストの後遺症を治してみせます……!」
「うむ、いい眼をしている。この話はその村に伝わる伝説のようなものだから証拠はないが、なにかのヒントになるかもしれない。少し待っていてくれ」
運命の歯車がカチリと音を立てて、周りはじめる。
カレンはその気配を感じ取っていた。